10-6S-4話 案内と援け

「そう?ならやめておこうか。折角案内してくれる人もいることだしね。」


 その言葉に前方を歩く女性の姿を見る。髪を一つにまとめ上げて眼鏡をかけた理知的な女性。

 先程私たちの案内に対して難色を示していた女性と同じ髪型と服装をしている。恐らくはここの制服なのだろう。

 大理石で出来た通路はなめらかで、足を滑らせてしまえばそのまま広い廊下の先にまで向かうことになりそうだ。


「リュミエル様をご案内する手はずとして。本日立ち寄らせていただく場所は武具庫と家具倉庫、用務庫を予定しております。

 あまりお嬢様方が楽しめる場所の案内ができず申し訳ありませんが、宝物庫や衣装室などは事前の申請がなければ入れない場所となりますのでご容赦ください。」

「はい、分かりました。代わりにというのもなんですが、こちらの商会の歴史についてはお伺いしてもよろしいでしょうか?」

「ああ。もしかしてそういった場所の案内が出来ないとなると不興を買うだろうからと断わっていたのかな?」


 周囲の霧は薄くなったり濃くなったり。どうやら兄が操作しているようで、彼が推測をつぶやいた時には一段と霧が濃くなっていた。

 相変わらず周囲の魔法感知の魔法石が、それを検知してなる気配もない。


「ええ。それでしたら喜んで。このオリエンタル商会はおよそ300年の歴史があります。異民族である初代のキリシュ=シドウ会長が、ルーンティナの辺境と貿易を開始したのが興りとなります。」


 そんなに昔から存在しているとは知らなかった。驚きの声をユーリカと共に上げれば、それまで固く引き締まっていた従業員の口元がほころぶ。

 この職場に誇りを持っているのだろう。異民族である初代会長がこの地の人々から魔法について学び、移住した後も偏見を受け続けていたこと。それでもなお大衆に根差した商売を続けていたこと。

 魔法石の算出とその加工方法については、オリエンタル商会の二代目が技術を確立したらしい。固く手を握り締めて臨場感たっぷりに語ってくれる彼女の話は、調査関係なくとても楽しいものだった。


「……ということで、要の金属箇所に特殊な回路を刻むことで、ただ魔力を貯めるだけだった魔法石に均一の役割を持たせることが出来たのです!

 これは今でも代わりが効かない特殊な技術で、これによりルーンティナの民の平民層の多くが魔法の恩恵を得られることになりました。」

「すごいですね……!技術を見つけた職人の方々もですが、実現に至るには魔導士の方ともつながりが必要ですし。」

「ええ。職人と魔導士、それをつなぐ商会。誰が欠けても結実はしなかった偉業でした。」

「そうなのですよ。ですからこのオリエンタル商会では、当時の理念を忘れずにその繋がりを大事にしているのです。現会長のご子息も、あのソルディアで活躍されているということですよ。」


 もっとも、フェルディーン家の使用人の皆さまには今更なお話かもしれませんがと微笑むその顔は、最初の時よりもずっとやわらかい。

 少々リスクはあるがここが踏み込み時か。愛想よく微笑むが、来た経緯が経緯なのもあるので眉を下げるのも忘れない。


「そうですね。ルイシアーノ様がいつもお世話になっております。……とはいえ、何分私どもの主人も外での経験が薄いもので、ハイネ様にはご面倒をおかけしていないかは気がかりで……。」


 ソルディアの執務室内とはいえ、学院で噂になる程度には殴る蹴るをやり合った二人だ。

 ルイシアーノ自身は親に隠しているようだから私も知らないふりをするが、果たしてハイネ先輩の周囲の人には、どこまでそれらのやり取りが耳に入っているのか。

 内心不安を覚えながらも問いかければ、写し鏡のような苦笑が返ってくる。


「いえ、そういったお話はお聞きしません。……というよりも、あの子はあまり学院でのことをお話しくださらないんです。」

「そうなんですか?」

「あの子……もしかして、ハイネ先輩と親しいんでしょうか。……あっ!」


 先輩と呼んでしまったユーリカが慌てて口を抑えるが、目の前の案内人は気にしたそぶりを見せない。

 霧は相変わらず私たちを包み込んでおり、その一瞬だけ色濃くなったのを見るに兄が上手く調整してくれたのだろう。


「ええ。ハイネ様が幼いころからここで勤務しておりましたから。……昔はもっと、はつらつとした子だったのですが。やはりあの事件が、尾を引いているのでしょう。」

「あの事件……?」


 女性はその瞬間はっと視線を彷徨わせて、眼鏡を上下させる。何でもありませんと首を横に振るが、あいにくそれを私もユーリカも見逃すことは出来なかった。

「「何か事件といわれるようなことが遭ったんですか?」」

 二つの高い声が重なる。もしかしたら、ハイネ先輩のトラウマはその事件とやらに起因するのかもしれない。


「いえ、変なことを言ってしまって申し訳ありません。そんな外部の方にご心配をかけるようなことは……。」

「そう仰らないでください。俺も一体何があったのか気にかかります。」


 渋る彼女の反応に、助け舟を出してきたのはリュミエルだ。

「俺は騎士団出身で過去の国内の主要な事件にはあらかた目を通していますが、オリエンタル商会の周辺でそんな大きな事件があったとは存じ上げませんでした。

 在学期間は被っていませんが、俺もソルディアの一員であり、ハイネ殿は俺の後輩にあたるのです。彼の健全な成長を阻害するような話があったと聞いては、知らぬ存ぜぬというわけにはいきません。」


 その言葉に彼女の方も感じ入るものがあったのだろう。しばし視線を下に落として、そのままの姿勢で小さくつぶやいた。

「……旦那様に相談してまいります。恐れ入りますが、リュミエル様。ご同行をお願いしてもよろしいでしょうか?お嬢様方の案内は別の者に引き継がせていただきます。勝手な話で申し訳ございませんが。」

「いえ、お気遣いなく。むしろお忙しい中ご無理を言ってしまい申し訳ありません。」

「ええ。……どうか貴方の御心に巣食う悩みが取り除かれますよう。女神ルナイアの加護がありますように。」


 ユーリカの一礼に彼女の方も深くうなずき、足早に駆け出していく。その後を追うように一歩踏み出したリュミエルが、小さく声をあげて振り返った。

 ──珍しく、その顔に浮かんでいる笑みは複雑そうな、困ったものだ。


「あ、ちゃんとこっちで聞いた話は二人にも聞こえるようにしておくよ。ただ、そうだね。……恐らくあまり良い話じゃあないだろうから、聞いていることを周りに悟られないようにするんだよ。」

「……はい、気を付けます。」


 薄々彼は話の内容に察しがついているのだろうか。そう思いながらも首を縦に振れば、静かにこちらを見遣る目線。やがてそれは、小さく綻んだ。


「うん。なら良かった。今回の件でも、そうでなくとも。シグが思い悩んでどうしようもなくなったらちゃんと助けを求めてくれて構わないよ。俺はお前の兄なんだから。」

 まあ、俺にできることなんて限られているのだけれどと言い添えた兄に、どこかしんみりとした雰囲気を感じてこちらも苦笑を返す。

「何を言うのやら。リュミエル兄に出来ないことなんて、この世界の誰にもできないのでは?」

「そうかもしれないね。でも逆にいえば、誰にだって解決できないことは存在するだろう?」

「前段の話は否定しないんですかこの野郎。」


 穏やかなやり取りが次第に軽快さを増していく。先行していた女性の声が遠くから聞こえてきたのを振り返り、小さく手を振った。


「まあそういうことで。それではお嬢様方、悔恨のない選択を。女神ルナイアの加護がありますよう。」

 そしてその背中は、曲がり角の向こうへと消えていった。

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