8-9話 谺と嗎き

 地下からの階段は狭い。他方向からの攻撃を心配しないで済むのは利点だが、駆けあがるのは至難の業だ。

「ちぃっ……リュミエルの奴めっ、まだ来ないのかっ、」


 その中でも一番難を強いられているのは他でもない、ルイシアーノだろう。

 私はまだ比較的メリハリのなく動きやすいエンパイアドレスだが、ルイシアーノが身に纏っているのはプリンセスライン。

 パニエを入れたペチコートは激しく動き回るのを想定して作られていない。ルイスが身体強化の呪文を自身にかけているからこそ何とか走れるようなものだった。

 走るので精一杯になっている我が主人の代わりに、最後尾で防護魔法を展開して魔獣の攻撃をいなす役割を私が受け持つ。


「おい、階段を上がったら元の広間に戻る方針でいいんだな!」


 聞かれはするが、他に選択肢がない。むしろあの広々とした廊下で如何いかに男たちと黒狗ブラックドックの猛攻から身を守るかが最大の懸念点だ。


「ええ、そうですねっ!そこに行けば……」

『あー、てすてすっ。シグー、聞こえているかな?』

「ぎぃあっ!?」


 割り入るように突如聞こえてきた声に悲鳴をあげる。防護魔法が一瞬揺らぎ、黒狗ブラックドックが放った魔弾を完全にいなしきれずに壁へと直撃した。

「シグルト!貴様急に集中を切らすな!」

「え、いや、だって今リュミエル兄の声が……っ!?」

「はぁ?」

「……えぇと、ボクも聞こえませんでしたよぉ?」


 まさか私の空耳? チートさっさと来いという願望訴えがとうとう音にまでなったか……。


『あ、もしかしてシグ以外にも聞こえておいた方が良いやつかなこれ?んじゃ対象を広げて……っと、これでどうだ?』

「ッ、」

「わぁ、リュミエルさんだぁ、メッドお兄様がいつもお世話になってますぅ。」

『いやいや、メッドにはむしろこっちがお世話になってるからなぁ。』

「それは間違いないでしょうね! あと今それどころじゃないんですがどうやってこの通話を!? というか通話する余裕があったらさっさとこっちに来てくれません??」


 二人にも声が聞こえたのだろう。動揺で足を踏み外しかけたルイシアーノを微塵みじんも気にしない奴らを怒鳴りつける。

 余談だが、会話をしている間もルイシアーノが躓きかけたのを除いてスピードを落としてはいないし、後方にいる彼らは突如声を荒げたり躓きかけた私たちを見て非常に戸惑っている。


『通話の方は魔力の位置からシグたちの位置を把握して、ちょっとその耳元の空気を震わせて音にしているだけだよ。』

「えっチート怖っ。」

 私の反応も聞こえているあたりこちらの声も振動で把握していそうだ。私が先程やった探索呪文の数倍難度が高いことをやっているぞこの男。


『で、すぐそっちに行けない理由なんだけど、会場でも乱闘騒ぎというか、さっきのシグの報告に焦ったやつらが魔獣を召喚してね、その対応に追われてるんだよ。』

「大問題じゃないですか!!!」

 そんな最中に連絡をしてきたのかこいつは?

 ダンスホールで他の人々を守りつつ剣を振るいつつ魔法でこっちの居場所を探知して連絡してくるとか言う離れ業……。

 ……やりそうだし実際にやるのがこの兄貴だ。


 とはいえそれではすぐ救援は望めない。

 このままホールに戻っても、乱闘騒ぎに更に狗を一匹連れていく羽目にもなってしまう。


『という訳で、君たちは書斎を出たら真っすぐ右手に曲がって、つきあたりの階段を駆け上るんだ。その塔の頂上まで、脇目もふらずにね。』

「はぁ!?」


 最善手はないかと思考を働かせようとすれば、その前に兄が無茶苦茶な指令を出してきた。

 正気か? 既にミラルドの疲労は溜まっており、ルイスも慣れないドレスで階段を駆け上がるのに苦戦している。

 この状態で更に上を目指せとは、我が兄ながら中々に無茶ぶりをしてくる。


「……だそうですが。行けますか? ルイス様、ミラルド。」

 だが、この兄の無茶には悲しいことに慣れきっている。文句は溜め息へと変えて、二人へと短く確かめた。

「えへへ、ちょっと魔力はすくないですけど、がんばります。」

「そうだな。どうせ無理だの無茶だの言おうと貴様の兄のごり押しは変わるまい。」


 良い意味でも悪い意味でもあきらめの声が聞こえてくる。再びたたらを踏みかけたルイシアーノが、舌打ちとともにドレスの裾を破った。

「ちょ……っ、」

 下のペチコートがあらわになったのを見て思わず制止しかけるが、服にかかずらっている時間が惜しいのも確か。そのまま一部を砕くのを見て見ぬ振りをする。


「貴様は下への警戒を続けろ、シグルト!」

「……はいはい!分かってますよ!」

 再び上へと駆けのぼる速度を高めたルイシアーノに短く返し、口を閉じた。




 リュミエルが指示した通りの道を駆ければ上へと向かう階段を見つける。聴覚強化をせずとも聞こえてくる鍔迫つばぜいからして、ホールではまだ騒動が続いているようだ。


「ミラルド……あと少し、いけますか?」

 彼の魔法のセンスはさておき、まだ精霊に選ばれてはいない魔力の量には限りがある。既に底も付きかけているのだろう、顔色が普段より青い。

「えへへ……ちょっとつかれてます、けど、まだいけます!」

「……。」

 ルイシアーノの無言が痛い。かと思えば、無言でミラルドから木箱を取り上げる。


「あっ……。」

「はぁ……、現在魔力の底も理解しないまま無茶をするのは愚の行いだ。おい、シグルト。本体は任せた。」

「本体って言い方はどうなんですか。ミラルド、失礼しますよ……っと。」

「うわぁ!お姫さまだっこですね。」


 横抱きにすればミラルドのはしゃいだ声。緊張感に欠けるが仕方がない。隊列が縦に長いよりも、一人抱えて距離を狭めた方が楽なのだ。


『グァァッ!』

「っと、危ないですね……!」

 主に、未だに魔弾を放ってきている黒狗ブラックドックから身を守るのに。

 避けたそのまま、指定された扉へと潜り込んだ。人一人抱えた状態だというのに疲労感なく駆けあがれるのは身体強化と精霊の加護様々だ。魔力をどれだけ使っても、むしろ使えば使うだけ体が軽くなるような心地すら感じる。


 だが、精霊の質の差だろうか。ルイシアーノはそこまで軽快というわけでもない。破って動きやすくはなったとはいえ未だに動くたびに揺れ跳ねるドレスに苦戦していた。


「ルイシアーノ様は大丈夫ですか? 私の片腕がまだ空いていますのでこちらで抱き上げて差し上げてもよろしいですが?」

「抜かせ!貴様の手を借りるくらいなら黒狗ブラックドックと一騎討ちでもした方がましだな!」

 それは是非見たい気もする。とはいえ交代しましょうかとまで軽口を叩いたところでそれをする余裕ほどはないことを理解していたので、再び二人揃って階段を駆け上がった。



 ◆ ◇ ◆



 火花すら撒き散らされる攻撃を時にかわし、時に防護魔法で受け止めながら、魔力はさておき精神力が枯渇しはじめてきたその時。

 ようやく上方に光が見えてきた。


「出口だ……っ!」


 勢いで駆け上がれば、けれどもそこは塔の上。他に人はおらず、ただ下を見れば広がるのは広大な湖のみ。


「……何もない?」

 そんな筈はない。何より先に心がそう訴えかけた。リュミエルがここに向かえと言った以上、何もないはずがない。けれども他に人や物はなく、困惑が滲む。


 最初に気がついたのは、ミラルドだ。腕の中から一度降ろされた彼が、はっとして遠くを見た。

 それにいち早く気がついたルイシアーノが、私の肩を掴む。


「あそこ……っ!」

「────飛ぶぞ!シグルト!!」

 ぐん、と肩に置かれた腕。予備動作もなくその力は明後日の方向へと我が身を押し出す。


「え………っ!っ、はい!」

 心臓が一度大きく跳ねたけれども。その言葉に文句を言う理由はありこそすれ、疑う理由など何もない。

 腕が押し出したその方向へ、宙の先へ。

 欄干を踏んで飛び出した。


 聞こえてきたのは獣の吠え声。

 そしていななく馬と翼の音。

 ばさり、と大きな羽ばたきの音とともに、硬い何かに身をぶつけた。

 温かいそれは獣の温もり。魔獣と同じく魔の力を持ちながらも、その力は精霊に依るもの。


「……先遣隊、回収完了。」

「うふふ、お疲れ様ですわ、皆さま。お怪我もほとんどないようで何よりです。」

「フェルディーンの持っている箱が件の毒物か。そちらは後で騎士団へ引き渡すぞ。良くやった。」


「……は。」

 顔を上げれば真っ先に、天馬の翼がはためく光景が入る。下へと視線を向ければ、湖よりも遥か上空。

 周囲を見れば、ルイスとカーマイン先生、ミラルドとアザレア先輩がそれぞれ天馬の上に乗っている。

 そして私の目の前には。


「無事だな。クアンタール。」

「……ええ、お陰様で。ハイネ先輩がここまで天馬の扱いがうまいとは思いませんでした。」

 衝撃による身体の痛みは若干あるものの、一歩間違えたら湖に真っ逆さまな私を拾い上げたのだ。その腕前たるや。


 三体の人々を乗せた天馬が翼を翻し、急上昇する。先ほどまでその爪と魔力でこちらを翻弄していた黒狗ブラックドックを置き去りに、空へと。


 気がつけば、空からは雪が舞い降りていた。

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