8-10話 終幕と爆弾

「それにしても、よくこの絶妙なタイミングでいらっしゃいましたね。お陰で助かりましたが。」


 私たちを乗せた天馬は大きな翼を斜めへ傾け、湖の上を滑空する。身体強化を続けていた体は若干の疲労を覚えていたが、落ちないようにハイネ先輩へ回していた腕に力を込めた。


「先生の指示だ。」

「カーマイン先生の?」

 視線を横へずらす。ルイシアーノを乗せた先生は前を向きながらも、眼鏡の奥の瞳が妖しい輝きを見せる。……聞いておいてなんだが聞かない方がいいかもしれない。


「あ、やっぱり大丈夫で「ワタシの指示というのも正確ではない。キミたちを送り届けた後、ワタシは学院に戻ってからも精霊をリュミエルの元に送っていたが、あれはことごとくを跳ね除けていたのだから!」


 嫌な予感的中だ。

 一度火が入ってしまった以上、スルーして熱が冷めるのを待つのが最善。ソルディアの誰しもがそう判断したが、その空気を読めないのが天然の天然たる所以だ。


「ふわぁ、リュミエルお兄さんって精霊さまもはねのけちゃうんですか?」

「そう、その通り!あれは1486回目の潜入のことだ……」

「あれ、でもそれならどうして今日はここまで来れたんですかぁ?それもお馬さんまで連れて。」

「む、それはだな。」


 1486回ということは以前の潜入事件の話よりも前のことだなと現実逃避をしていたが、ミラルドは浮かんだ疑問を素直に投げかけた。あのヤンデレハイペースを気にせず質問できるとか、天然のなせる技だな。

 一つ咳払いをしてから問いへと話は逸れる。否、戻ったと言うべきか。結局リュミエル絡みの話題から逃れられてはいないが。


「今回もこれまで同様精霊を送り込んでも音沙汰なしだったのだがな。キミたちが会場に潜入する予定の時刻を過ぎてから一刻ほどたってからだったか。ワタシの精霊を介してリュミエルから連絡が来た。正確には、あれが精霊の操作権を一時的に乗っ取って精霊をこちらによこしたという方が正しいが。」

「精霊乗っ取るとか出来るんですかあの人!?」

 新たなるやばい能力が明らかになったのに瞳を見開いて叫ぶ。あのチートは留まるところを知らないのか?


「乗っ取ると言っても契約の上書きではなく、操作権の一時的貸与だ。契約している人間の意志は不要だが、精霊そのものの許可は必須だ。」

「十分人間離れしてるんですよね。なんで他の人の契約精霊の許可取れるんですか。」

「さすがはリュミエルだな!話を戻そう。そうして精霊がワタシの元へと来た際にことづけをされた。『至急、天馬を三頭用意して指定の場所へと来てください。今回の任務に関わることです』とな。」


「……待機していたら、其方そなたらの姿が見えたため回収した。」

「ふふ、いきなり先生から正門へと集まるようにと言われて天馬に乗せられた時にはいかがなさったのかと驚きましたわ。」

 先輩方二人が説明の幕を引いた。

 私としては頭を抱えたい。パーティーが始まって一刻が経過した頃は、まだ挨拶回りをしていたはずだ。あの男、どこまで先を読んで誘導したんだ?


「……手を離すな。落ちるぞ。」

 眉間に片手を当てていた私に、ハイネ先輩がそうとだけ告げてから着陸の姿勢に入った。



 ◆ ◇ ◆



「お疲れさまでしたぁ、シグリアちゃん」


 湖畔のほとりに着陸した先で、メッドさんや他の騎士団の方と合流を果たした。兄はまだソルディアの一員として任務の後片付けがあるらしいが、会場に現れた魔獣たちの討伐は無事済んだらしい。

 騎士団へと状況報告と木箱の受け渡しを済ませ、この後について確認をしている最中にかけられた声だった。


「ミラルド、だからここではシリ……シグルトと呼んでください。」

 未だドレスは脱いでおらず、指輪も填めたままだから間違ってはいないのだけれど。アザレア先輩にはそうしていると本当に女の子のようだと微笑まれて、非常に複雑な心地になったのはつい先ほどだった。


「シグルト……。うぅん、じゃあシグちゃんって呼びますね。」

「シグちゃ……いえ、別に構いませんが。」

 脳裏にシグと私を呼ぶ某兄の姿がよぎるが、他意はないのだろう。緩く首を横に振る。


「えへへ、よかったぁ。ボクにとってのシグちゃんは可愛い女の子ですから。男の子の名前で呼ぶの、なんか変だなぁって。」


 いきなり何を口説くようなことを言い出しているんだ、この天然は。

 脳内にて脊髄反射でツッコミを入れる。というか少し離れたところにソルディアの面々がいなければ間違いなくいれていた。声は聞こえていないだろうがなるべく彼らからの注目は集めたくない。既に地味にルイスからの視線が痛いのだ。


「今は性別認識変換魔法が仕事をしてないのでそう思うのではないでしょうか。学院では指輪を外していますから、シグルト呼びでも違和感はないと思いますよ。」

「そういうものなんですかぁ……?」


 少なくともこの一年間学院生活をしていてお前は女だろうと指摘されたことはない。問題ないはずだ。

 だがミラルドとしては納得しきれなかったのだろう。きゅっと口元をとがらせた。


「……、でもやっぱり、」

「シグルト! いつまでそこでコソコソと話を続けている!」


 苛立ち混じりのルイシアーノのげきが飛んでくる。暴君にしては保った方と言うべきか。一部破けたとはいえ、未だにドレス姿のままだ。早く着替えたくて堪らないのだろう。


「もう少ししたら戻りますから!……ということですみません、ミラルド。ルイシアーノ様の血管がそろそろ怒りで切れてしまいそうですので、私はこれで失礼します。来年は学院に入学される予定でしょう? またお会い出来るのを楽しみにしていますね。」


 名残は尽きないが、あと一月もすればまた再会できるのだ。ミラルドの肩を落とす様は犬が気落ちしている姿を想起して心が痛むが……ここは笑って別れを告げよう。

 メッドさんの側からもミラルドを呼ぶ声がした。もう時間だ。小さく鼻をすすったミラルドが、けれども次の瞬間には破顔する。


「うん、それじゃあまたね。……シグちゃん、来年は絶対学院に入るから。そしたらプロムナードでボクと踊ってね!」


「ぐぇ、」

 大きく手を振って軽やかに兄の元へと戻っていくミラルドとは対称的に、潰れたカエルのような声が喉から漏れた私。ドレス姿には似つかわしくない、と言うか性別関係なく人が出すには似つかわしくない声。


 近づいてきたソルディアの仲間たちが、めいめいに言葉を紡いでいく。


「あら、あの子とパーティーで踊られていたのですか?ふふ、今のシグルトはとても愛らしいですし、お似合いのお二人だったでしょうね。」

「潜入任務だというのに緊張感に欠けているが……無事に解決できているのだからな。良しとしよう。」

 アザレア先輩とカーマイン先生はまだいい。鷹揚に、或いは無関心に今の言葉を受け止め流している。


「クアンタール……任務とはいえ、そんなことまで。」

 ハイネ先輩が分かりやすく渋面を作る。口数こそ少ないが明らかに引いているのが目からも分かる。

 うん、そうだよな。後輩の男子生徒が女装してパーティーで踊ったとか。普通は笑うか引くかのどちらかだよな。


 ルイシアーノに至っては──。

「────。」

 無言だ。口を開くことなくただこちらを真っ直ぐに睨みつけている。正直言って不気味だ。普段のようにがなり立てられる方がまだ安心するというもの。


 任務クエストはちゃんとしていたでしょう!?と内心で言い訳を叫びながら、私たちは帰路に着くこととなった。

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