5-6話 諦めって大事ですよね

 一人恍惚こうこつとした教諭を目の前に、私たちは今これでもかと冷めている。正確に言えば引いている。

 私は勿論だが隣にいるルイシアーノまでもが汚らしいものを見る目だ。

 分かるよ。ストーカー気質ヤンデレに免疫ないと気持ち悪さの方が先立つものだ。私?ゲーム以外でそんな経験あるわけないだろ。


 もはや時折漏れ聞こえてくる感嘆の声すらBGMか何かのように感じてしまう。侮蔑ぶべつすらのっていない、完全にドン引いた目をしたルイスがつぶやいた。


「こいつ、いっそ教職から罷免ひめんした方が世の為ではないか?」

「それはまったくもって同感なんですが、ソルディアに所属していて教鞭きょうべんをとれる人物って貴重なんですよね。よほどのことがないと無理かと」

「そもそもよくこんな狂人がソルディアに選ばれたな。精霊は一度ソルディアの選考基準を見直すべきではないか?」

 奇遇きぐうだな。私もずっとそう思っているよ。前世の記憶を取り戻した瞬間から。


 少々皮肉めいたことを考えていれば、金の双眸が静かにこちらを見つめてくる。

「冗談ではないぞ。いいか、貴様の兄に対してあそこまで狂信的な感情を持っている奴だぞ?それが貴様になにかの折に飛び火しないという保証もないだろう。」

 変声期もとうに過ぎた、低く落ち着いた声。それが常よりも真摯しんしな響きと共にこちらへと向けられる。


「……心配してくださっているんです?」

 驚いた。

 まさかルイスがこちらを思いやるような言葉を口にするようになるだなんて。思わず胸すら高鳴ってしまったほどに。


 小熊の成長を感動して見つめる母熊の様な気分になっていれば、「勘違いするなよ」と鼻を鳴らされた。

「貴様が厄介な手合いに目をつけられて面倒を掛けさせられるのは主人であるこの俺だからな。貴様のために火消しをする羽目になるなどご免だ」


 う~ん、知ってた!

 でも幼少期に比べればだいぶとげが抜けていることもあってか、最近はこれツンデレの発言なのでは?とすら感じてしまう。

 暴君から敵意を抜くとツンデレになる。新しい計算式を得てしまった。


 とはいえ彼が懸念けねんしている点だが、うん。あえてここで逆に考えてみよう。


 少なくともカーマイン先生のこの「相手を知りたい」「手中に収めたい」という欲求が兄の方に向いている限り、ヒロインは無事だ。

 否、兄に向いているのが恋情抜きの執着単体なことを考えると、ヒロインにそのまま執着が移り変わる可能性はあるが。そうなったらそうなったときに性根を叩き直せばいい。

 ……だよな?恋情らしい発言はなかったはずだ、多分、きっと、めいびー。


 幸い回避方法についてはリュミエル兄が躱し続けた体現者だとするならば意見も聞けるだろう。あの愉快犯なら面白そうだとさえ思ってもらえれば食いつくはずだ。

 そうでなくともこの世界がヤンデレ乙女ゲームの世界と知った上で先生を放置したのだ。責任の一つくらいとってしかるべきだろう。


 一番厄介なのはルイシアーノのいう通り兄の身内として私にその管理願望が向いた場合だが、その場合もヒロインの時に同じく。

 と、いうか。兄が要因でこっちに向いたら普通にキレるが? 顔面を全力で殴っても許される気がする。今の私は対外的に男なわけだし。


「まあそうなったとしてもご迷惑はかけないようにしますよ。

 ……ちなみに万一こちらに矛先ほこさきが向いた場合の話ですが。私が教師の顔面を殴って決闘をする羽目になったら、その監督責任かんとくせきにんはルイス様に及ぶのでしょうか?」

「はっ、そこまで愉快なことになったら見物だな。そうなったら決闘の会場を借りるべく学院にかけあってやろう。」


 今のところ予定はありませんよと肩をすくめるが、もしもの時にはお願いしよう。

 ──まずいな、ちょっとやってみたくなってきた。勝ち負けや経緯はさておき私の奮闘ふんとうのためにルイスが掛け合ってくれるのか。


 さて、それはそれとしてちょっとジャブは入れてみたい。主に今後どれくらい要注意人物としてみるべきかを図るためにも。


「あの、カーマイン先生」

「そう、あれは3284回目の潜入の時に、先行していた精霊が……、……何かな?」

 そんなに潜入やらかしてたのか。そしてその全てをことごとく食い止めていたのか。

 ヤンデレ教師もやばいが兄もやばい。全く真逆のベクトルで。


 思わず反射的に言いそうになった口を意識して開閉してから、穏やかそうな“兄に似た”笑みを意識して笑んでせた。


「随分と兄と親しくしてくださっているようでありがとうございます。あいにく此度こたびソルディアに選ばれたとは言え、私に兄程なく目覚ましい働きは出来ないと思いますが……」

「当たり前だろう。リュミエルはリュミエル、キミはキミだ。シグルト=クアンタール」


 それは先ほどの熱狂的だった言葉と比較すれば随分と熱の冷めた、単調な響きだった。兄に似せた、兄に似ている私の声への、けれども全く異なる人物に対しての返答。


「同じクアンタールだろうとキミと兄は全く別の存在だ。兄の代わりになろうなどと考えず、キミはキミで出来うる尽力じんりょくをつくせばよい。」


 ともすればつめたいとすら思えるその言葉。しかし、だからこそ混じりけのない感情なのだと伝わってくる。

 たとえ過去に何があろうと、彼はけして私と兄を重ねることはないだろうと。


「…………普段だったら感動してもおかしくないんですけどなんでそうさせてくれないんですかね!?!?」

 教師の前だからと我慢していたがいい加減耐えられないと言わんばかりに大声で叫ぶ。


「……だいたい貴様の兄のせいではないか?」

 こうした私の奇行ももはや見慣れているルイスが軽く肩をすくめた。

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