2-6話 油断と衝撃
「はぁ………ぜぇ、はぁ。全く……貴様のせいでいらん体力を消耗する羽目になったぞ……」
「えぇ……そうですね、それはどうも、すみませんでした」
ようやっと人目の薄い路地へと辿り着き、互いに呼吸を整える。何度か深呼吸をすればすぐに落ち着いてくるのは攻略対象としての補正か。否、どちらかというとまだ10代になりたての若さと鍛錬の成果な気もする。
日頃の関係もあり素気無い口調にはなってしまったが、確かに先ほどのミスは私自身が発端だ。
頭を下げれば、
「は?なんですかその顔。人が謝ったのを見てドン引くのは正直人としてどうかと思いますよ?」
「そういう貴様は、普段の傍若無人さを理解していないのか?ロクに主君を主君とも思わない無礼さをあれだけ見せておいて、今さら頭を下げるなどと……」
失礼すぎんかこのクソガキと思わなくもない。だが一方で何処かこれまでの振る舞いに得心した心地になり、感嘆めいた声が上がる。
「……あぁー……、そっか、そういう……」
日の光がほとんど差さない影の中の路地裏でも、日中はそこまで暗くはない。目の前のルイスが盛大に訝しむ顔をするのもよく見えた。
「なんだその顔は……」
文句を言おうとしながらも上手く言葉が続かないようなもどかしさが、彼の声からは漏れ聞こえる。
無理もない。今の私の声音のような調子でものを言われる経験などほとんどないのだろう。
滲んでいたのは紛れもない同情だった。
「いえ、ルイシアーノ様はもしかして、私が想像していた五倍は鈍いお方だったのだな、と」
「ごっっ……!?」
どストレートに失礼なことを申し上げた自覚はある。日頃の舌戦ではこちらから無礼なことをいうことはしないように心がけていた。あくまで言われたらやり返す。そのスタンスではあるように気をつけてはいたのだけれど。
けれどもこれはダメだ。誰かが言ってやらないと下手したら自覚しないまま大人になってしまうだろう。そうしたら取り返しがつかない。
「よし良いだろうそこまで喧嘩を売りたいというのなら買ってやろう。剣を取れ」
「こんなお祭りの場に剣なんて持ち込むわけがないでしょう」
軽くいなすがこれは嘘だ。
従者兼護衛の立場としても、この後起こりうるかもしれない誘拐イベントの対策としても、短剣はこっそりと忍ばせている。
だがそれはルイスと決闘をするためのものでもないし、今かわすべきは剣ではなく言葉だ。
「失礼。鈍いというのは確かに適切な表現ではありませんでした。世間知らずと申し上げた方がより近かったでしょうね」
怒りで顔を赤らめる彼に人差し指をつきつける。普段の軽口の応酬とは訳が違うのだと、こちらは真剣な目を向けた。
それを彼も気がついたのだろう。
相変わらず青筋は浮き上がっているものの、この路地裏に相応しいような低い声を出すに留める。変声期はまだ来ていないはずだというのに、よくそんなに低い声が出せるものですね。
「……貴様。俺のどこが世間知らずだというのだ」
「世間知らずでしょう。だって貴方」
──自分以外が“人”として生きているだなんて考えもしていないじゃないですか。
そう告げてやれば、目の前の金色の瞳がぱしぱしと瞬いた。心底私が口にした言葉の意味が分かっていないのだろう。
無理もない。これまで両親に甘やかされ、使用人たちは皆自分の言いなりだった子ども。
挫折や恐れを知らない少年の全能感は、手折られる可能性など微塵もなかったのだろう。
実際侯爵家ともなれば王族とそれに連なる公爵家以上に上の立場などない。当然といえば当然だろう。
が、現代の在り方を知る私からすればひどく歪だとも思うのだ。
「私もですけれど、他の使用人だって生きているんですよね。貴方に従うのは立場とかお金とか、そういうしがらみがあるからです。」
「……?当然だろう。生まれからして違うものだ。下位の者が上位に奉仕をする。自然な話だ」
ええ、そうでしょう。何もそれが可哀想だからそもそも雇うのをやめろだなんていうつもりはありません。
「だからと言って、傷つかないわけではありません。その辺りを貴方は勘違いしているんです。
使用人だって、私だって人間です。侮辱されたら怒りもしますし傷つきもします。ただ、それを貴方は知る機会がなかっただけで」
だから怒りや呆れではなく、同情が先に立つ。それこそが彼の誇りを刺激するだろうと分かっていても、だ。
これは私がゲーム内での殺害エンドの後、彼がどうなったかの末路を知っているからかもしれない。
ゲーム本編ではヒロインが、或いは従者が殺されることもありうるルート。その話の続きは作中に存在しないが、友人が見せてくれたシナリオライターのインタビューに記載されていた。
当たり前のことながら学校内で起きた凄惨な事件。それもソルディアのメンバーが絡むものとあれば、如何に侯爵家としても完全な隠匿など出来るはずがない。
それまで彼に虐げられていた同級の取り巻きや、家の使用人たちにまで見限られてしまう。それまでの彼の横暴さ全てを
国からの調査により過去の殺人歴までも明らかになった彼は、その責を自らのみならず家にまで課せられ、フェルディーン家は一家まとめてお取りつぶしになるという話だ。
凄惨すぎないか?これ本当に乙女ゲーム??
いや、実際これらの話がゲーム本編で出ることはなかったけれど。
とはいえそんな末路を辿ることになるのも元を
なら、誰かはそれを告げなければならない。これは優しさや責任感なんて美しいものではなく、ただの義憤だった。偽憤という方が近いかもしれないが。
まさかそういった言葉が投げかけられるとは思ってもいなかったのだろう。呆然として口を開いては閉じるを繰り返すルイシアーノを、真っ直ぐと見据える。
従者としての
何せまだこの後一大イベントの誘拐が残っている可能性もあるんだし……ん??
「ル、ルイシアーノ!?」
口を開きかけた状態のまま、目の前でルイシアーノがばたりと倒れ伏す。
続いて、自らをも襲う強烈な眠気。
不味い、と自らの失態をなじる。
誘拐されるような可能性があると分かっていたはずなのに、こんな路地裏で長話だなんて、どうぞ今がチャンスですよと告げているようなものではないか。
目の前の彼に言葉を伝えるのに集中しすぎて、周囲の警戒すら怠っていたことにようやく気がついた。
「ご、め、……」
目の前の彼を叩き起こすことなど出来ようもなく、反射的に紡いだ謝罪の言葉すら形に成すこともできず。
周囲に散布された眠り薬に誘発され、そのまま闇の世界へと誘われていった。
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