2-7話 誘拐犯ご対面

 ぐゎんぐゎんと頭が痛む。


「………ぃ……、ぉ…い…、おき、……」


 思考が明滅する。覚醒と入眠の狭間の感覚。


 このまま二度寝ができたら幸せだろうな。幸福感はありながらも、鈍い痛みとどこかから鳴り響く音が邪魔をする。


「……起きろ!この莫迦!!」

「っ……、あ……?」

 瞼が一度あがり、再び閉じる。だが今度は痛みと振動が眠りの世界へと踏み出す足を邪魔してきた。


 次の瞬きでは状況を把握する。

 木で出来た床は屋内だろうか。それにしては所々が欠け、或いは腐り欠けている。鼻にツンとくる匂いもまた、頭痛を悪化させている一因だろうか。


 視線を動かせば、先ほどの怒鳴り声の元凶、ルイスの怒りに満ちた顔が飛び込んできた。

 けれどもその表情はどこか普段と違う。

 目の下から頬の上にかけての部分に青あざができている。イケメンは怪我をしていても様になる。でも痛々しさは増すなと他人事のように考えてから、ようやく頭が警鐘を鳴らした。


 ──いや、なんでルイシアーノが怪我をしている?


 慌てて周囲を見渡せば、そこは廃屋のような場所。祭りの喧騒は今は遠く、埃まみれの室内はカビ臭さすら漂っている。こんな場所に連れて来られる理由なんて…………。

 そこまで思考したところで、かちりと脳内のピースが遅まきながら嵌まった。


 改めて視線をルイスへと向ければ、その両腕は後ろに回されている。拘束されているのだろう。横に倒れた状態から起き上がれないようだ。私自身の腕も、動かそうとするとぎしりと不自由さを感じた。


「……もしかして私たち、誘拐されました?」


 いえ、そうなるとは薄々想像していましたけれど。半ばそれを覚悟して動き回ってもいましたが。

 それでも実際されるとではまた緊張感が違います。思わず背筋が震えました。


「はぁ……思考の整理が遅いぞ愚図。理解したならどうにか……っ、」


 ぎしり、ぎし。

 さほど遠くない場所から聞こえてきた木の軋む音に口をつぐむ。程なくして立てつけの悪い扉がぎぃ、と音を立てて開いた。


 向こう側にいたのはさぞ人相の悪い男かと思いきや、どこかみずぼらしい姿をしながらも至って普通の顔立ちの壮年の人々。

 その表情はどこか悲壮的だ。彼らが本当に私を誘拐したのだろうかと疑問符を頭に浮かべていれば、隣にいたルイスが尊大な声を掛ける。


「貴様ら……良くもこの様な不躾な真似をしてくれたものだな。俺が一体誰なのか理解してのことか?どこの家を敵に回しているのか分かっているんだろうな」

「ラスボスの言種ですよそれ」


 しまった、波風を立てない様に沈黙を保っていようと思ったのに。つい反射的にツッコミを入れてしまった。


 けれども当の誘拐犯たちは私の方へ一瞥たりとも視線を向けることはない。その怒りに満ちた熱量は全て、傍らの碧色へと向けられていた。


「誰なのか理解しているのか、だと?分かっているに決まっているだろう。

 ルイシアーノ=フェルディーン」

「お前たちこそ、俺たちを忘れているのか?いや、忘れているんだろうな」


 嘲笑う様な響きにルイシアーノは眉根を寄せる。一体何を言い出しているのかと訝しんででもいるのだろう。

 反面私はふつふつと嫌な予感が湧いてくる。


 ──この人たちもしかして、ルイシアーノに個人的に怨みを持ってる面々なんじゃなかろうか?

 そうだとするとわざわざこの花精霊フロール感謝祭フェスティアでルイスを狙ったのはフェルディーン家への怨恨だろうか。

 金目当ての誘拐なら不要なほどに、彼がゲーム内で凄惨な目に遭っていたことも理解できる。


 そこまで考えて背筋がぞっと冷えるのを自覚した。目の前でそんな展開は御免だが??

 せめて少しでも意識を分散させようと、張り付きそうになる喉に力を込めて息を吸う。


「あ……あの!どうして貴方たちはこんなことを?私たちに何か恨みでもあるのでしょうか?」

 声をあげれば、幾人かの視線はこちらへと移る。先ほどルイスに向けていた底冷えする様な瞳よりは幾許か同情めいた色。

 仰向けの状態だった私も上体を何とか起こして、向き合う形となった。


「ああ。君は本当は連れてくるつもりはなかったんだ。今のこいつの従者なのだろう?巻き込んでしまってすまないね」


 地面を蹴る仕草は苛立ちを抑えているのだろうが、こちらとしてはいつその爪先が私や隣に転がっている碧色に向けられるのではと気が気ではない。

 緊張のあまりごくりと唾を飲めば、「安心してほしい、君に危害は加えないよ」と温度のない声が返ってきた。


「我々はただ、この暴君に思い知らせてやりたいだけだ。

 ……君にも覚えがあるんじゃないか?人を人とも思わぬまま振る舞い、時に食事を投げつけられ、時に罵倒を投げつけられ。お前の価値はその程度だと」


 やっぱりそういう案件ですか。ええ、薄々嫌な予感はしてましたけどね。

 全力で顔を顰めたこちらの反応をどう取ったのかは分からないが、ロクな受け取り方はしなかったのだろう。訳知り顔で頷かれた。


「やはり覚えがあるようだね。さぞ辛い思いをしただろう。これまでよく頑張ったね。……我々も同じだ。この暴君に訳もなく詰られ、罵倒され、そうして職を追われる羽目になった」


 ドカッ!

「ぐうっ、」


 とうとう鈍い音が辺りに響く。

 ただでさえ慣れぬ極限状況で聞こえてきた打撲音と呻き声。手始めにと与えられた一撃に、思わず背筋が震える。吐き出した白い泡がひとつ腐りかけの木片の上に落ちた。

 まだゲーム内で本来彼が受けていた仕打ちには到底及ばないのだろうが、それでも十分にえげつない。それだけの仕打ちを彼らは受けていたのだろうか。



自らの敵ルイシアーノ”ではなく、寧ろその被害者とも思われる私に対して。はじめてそこで温度のある笑みを浮かべて口元を緩めた。


「君がもし我々の気持ちを少しでもわかってくれるのなら、一つ頼みがある。解放したあと、遠くに逃げてほしいんだ。フェルディーン家から離れた、遠くへ。

 ……そうして、今日のことはまるきり忘れてほしい」


 つまりは、ルイシアーノにこれから行う非道な行為を見て見ぬふりしろということだ。そうすればお前だけは見逃してやるぞと。


「君だって分かるだろう?この年にしてここまで傲慢な、尊大なやつだ。

 このまま放置すればろくな大人になどなりはすまい。ならばいっそ、ここで葬り去ってしまった方が世の為だろう」


 ……そうだな。そうすれば少なくとも、ヒロインが悲劇に遭うことはない。

 私だって日頃の罵倒に怒りを憶えながら望んでもいない、本来やる必要すらない鍛錬や従者としての仕事をする必要だってなくなるだろう。


 そこまで考えたところで無性に苛立ちを覚えてきた。


 蹲っている碧髪へと視線を移す。

 うめき声を上げてはいるが、いまだ傲慢にも。けれども何かを耐えるような色を奥底に忍ばせながら真っ直ぐにこちらを睨みつけていた。


 ゆっくりと首を回し、再びこちらを見下ろしている男と目線を合わせる。私への怒りや憎しみはその瞳には映らず、むしろ見えるのは同情と憐憫が混ざり合った色彩。

 そうだろう、貴方と私はきっと同じような経験を受けたはずだ。座った体勢、後ろ手の状態ながらも胸を張る。


 カン、と金属音を立てるのと同時に、意識してにっこりと、攻略対象“らしい”笑みを浮かべた。



 美しく、魅力的で、けれども末恐ろしさを与えるヤンデレらしい笑みを。


「は?? 戯言も程々にしてもらえませんかこの自己憐憫他者責任依存野郎どもが」

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