2-1話 紅茶と冷戦

 窓の外は夜の帳がおり、鳥たちの囀りも聞こえない穏やかな空気の中。熱々のお湯を茶葉の入った陶器製のティーポットに勢い良く注ぐ。

 そのまま蓋をしてジックリと待つ。紅茶の風味が程よく染み出したら魔法のかけられたポットが鳴り響くから、その前にカップの準備を済ませよう。

 予め温めて置いた二つのカップ。そこに蜂蜜──正確には蜂ではなくミツドリ、この世界特有の鳥が集めた蜜。栄養価も味も、勿論値段も最高級というそれを少し贅沢に山盛りふた掬いずつ入れる。


 だが、別にこの紅茶を飲む人が甘党という訳ではない、別の理由がある。

 この蜜は分からないが、蜂蜜には様々な効能が有ることを知っていたからだ。

 一つは、疲れている自分への疲労回復。……そしてもう一つのカップの持ち主への高血圧対策と殺菌効果を期待しての事。


 タイミングよく音が鳴るポット。

 直ぐに準備万端のカップに紅茶を淹れ、そのまま台車へと乗せる。

 本当は向こうに行ってから淹れる方が良いのだろうが、所作について迄アレコレと言われるなどごめん被る。

 大体熱々の紅茶を渡しでもしたら猫舌な彼に追加して嫌味を言われる羽目になる。


「遅いぞ、愚図。相変わらずの鈍間加減だな。」

 ……いや、どちらにしてもこいつが嫌味を云うのは決まり切ったことか。

「それは失礼致しました。まさかルイス様が熱々の色付き水を御所望だとは思っても見なかったので。」

 慇懃無礼を人の姿にしたならば、きっと今の私の笑みにそっくりなのだろう。

 だが、言われっぱなしなどは私の気が済まないのだ。


 暴君俺様何様ルイス様の従者として仕えるようになってから早半年が経過していた。

 これはつまり、冷戦状態になってからの時間とほぼイコールである。


 冷戦といっても時と場合位は読んでいる。

例えば、ルイスは父母にだけは本性を晒していないようだ、この猫かぶりが。

 かく言う私としてもそんなくだらない理由で雇い主の不信を買うつもりは無いので侯爵夫妻の前ではやらかさないという暗黙のルールもいつしか成り立っていた。尤も、使用人達にはそんな気遣いなど何処へやらと云った様子で、彼等の前で死闘を行った事は数しれない。

 勿論表立って殴り合うわけではないが。私自身が魔法騎士としての研鑽を積むためということもあり、勉学や武術の特訓を行う時に共に家庭教師や師範に見て頂いているのだ。


 一介の男爵家の子どもの教育を侯爵家が……と思われがちだが、意外とこの国では使用人の勉学について雇い主が責任を持つことも多い。

 精霊の契約が必ずしも血筋に沿うとは限らない以上、万一自らの家で雇い入れている者が選ばれないとも限らないらしい。


 事実、このゲームのヒロインは元々市井の出だ。元々のストーリーでもある日突然精霊の一柱に見染められて契約を行った結果、魔法学院の二学年へと編入後即座にソルディアへと加入することになっていた。

 今考えるとなかなかにハードな境遇だ。市井の出だと簡単な文字書きだけならともかく魔法に関する専門用語などは何一つ分からない状態。現代日本で称するならば平仮名は分かるけれども小学校中学年以上で習うような漢字は読めないといったところか。

 とはいえソルディア入りした際に契約した精霊から加護を得ているようで、勉学をちゃんと選択していけば学力面も著しく上達するのだけれど。

 話が逸れた。そういう訳で家庭教師がその家の子息だけでなく使用人の勉強を見るのは自然な流れではある。だからこそ男爵位である我が家も従者として子を送り出しているのだろう。


 尤も、子息張本人と同じ場所で学ぶのは珍しい話だけれど。

 そこはソルディア入りした兄の威光も多少なりとも影響していそうだ。妹である私としては全くもって不本意だけれど。


 そうして学び合っている折々に幾度となく舌戦で、態度で、時に稽古でぶつかり合っている私とルイシアーノ。それをふまえた上で厨房を訳も聞かず快く貸してくれる程度には、この屋敷の使用人達は私を受け入れてくれている。

 ──それだけでこの暴君がどれだけ恐怖されているかが良く分かるな。

 やはり一度冥府の底にでも堕ちてこい。


 戦績は総合してイーヴン。

「相変わらずの減らず口だな。少しは主を立てる事を知らないのか、この礼儀知らずが。」

「すみません、重ねてお詫びします。どうも嫌な所ばかり主人に似てしまったようで」

 いかにも申し訳なさを前面に出したその声色に向こうの息が一瞬詰まった。

 前世も合わせた年の功か、口での喧嘩は私に分が有る。

「ふん、その割には俺の長所は全く反映されていないようだな。未だにディルオスの詩の一節もまともに朗読出来ないなど、貴様の脳はスポンジか?」

「……すみませんね。そんな今後の人生に一欠片も役に立たなそうな物を憶える程、心にゆとりが持てないもので。何処かの頭でっかち主の所為で。」

 だがこれまでの英才教育による経験の差か、家庭教師に教わる教養系はルイシアーノが優位に立っている。

 仕方ないじゃん。こっちの世界の単語横文字が多すぎて覚えられないんだよ。

 アントニオさんとアンツォーニオさんとアントニーさんを一つの詩に出すんじゃないディルオス。


「なら貴様にとって今後の人生に必要な知識とは何だ?物乞いの為のおべっか使いか?その性格では一銭も得られない儘餓え死ぬだろうがな。」

「どうでもいい知識を詰め込んだ所為で記憶力が殆ど喪われているようですね、そんなに手遅れになる前に気がつかなくて申し訳ありません。まさか従者であるこの私の生家を忘れてしまう程とは。」

「魔法騎士の家系だったか、そういえば。騎士に必要な品性など微塵も持ち合わせていない様子だからすっかり忘れていた。況してやなけなしの才すらそのヘナチョコな筋力では何の意味もないだろうな。」

「…そうですね。貧弱な私の取り柄と言えるのはそのスピード位でしょう。それも精々生意気な御曹司の鼻をへし折る程度ですしね。」

 実技である剣術はというと、意外な事に実力は伯仲していた。

 まだ幼いながらに性差もあってか、一撃の重みは圧倒的にルイシアーノの方が上である。しかし、実践の場ではスピードと知略を活かした私の方に軍配が上がっていた。

 或いはかつて兄に出されたおふざけで鍛えられた可能性もあるが、それを認めるのはなんかムカつくので却下。


 折角淹れた紅茶も此の空気の所為で冷めてしまったのでは。そう言いたくなる空間を切り裂いたのは十時を報せる鐘の音。まだ身体的に幼い私達の一日の終りを告げる響きだ。

 ルイスが軽く舌打ちをした後、「下がれ、もう寝る」と追い出しにかかって来る。癪だが便乗し、退室の挨拶をおざなりに返した。

扉の外に足を踏み出した所で「ああ、明日の件について、忘れるなよ」

 お前は鳥頭だからと暗に告げられたその言葉には返事をせず、ドアノブを握る力を強めた。


 扉が閉まったのを確認してから一息つくと、傍を通りかかった女中に同情と尊敬の入り混じった視線を向けられる。

 お辞儀はしたつもりだが、会釈が帰って来なかった所からするに、上手く身体が動いていないのかもしれない。

 瞼を無意識に擦ろうとする手を押しとどめた。


 明日も早いのだ。主にあの自己中暴君の所為で。とっとと退室してリフレッシュをしよう。

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