4-9話 活路

 背筋を震わせている間にも、母親ヤンデレの言葉は止まらない。


「だから大丈夫よ。もちろんこれがはじめてだから、シグリアちゃんにも少し痛い思いをさせてしまうかもしれないけど。でもその分、ちゃんと責任は取るもの。……嗚呼、二人の赤ちゃんはとても可愛らしいのでしょうね。今から待ち遠しいわ!」

「ちょ、ま、まって、ください」


 つっかえつっかえ言葉を出しながら、彼女の言葉の意図を汲み取る。

 これって要は、そういうことだよな?頭の中で警鐘ががんがんと鳴り響いているのをよそに、きょとんとした顔を返される。


「あら、どうしたのかしら。シグリアちゃん。……ごめんなさい。もしかして、まだ初潮は来ていなかったかしら?」

「~~~~~!!」


 間違いない、この頭のおかしい女は、書面上の婚約とかそういうものをふっとばして、ただ既成事実きずものにした責任を作ろうとしているのだ。血の繋がりが必ずしも選定に結びつくわけではない、ソルディアの系譜を自らの手中に収めるためだけに。

 それを裏付けるかのように、からころと鈴のような音が響く。


「ふふ、そうだとしたらちょっと残念だけど。でもここでちゃんと“約束”しておけば大丈夫よね。実際に赤ちゃんが出来るのが後になっても。」


 もはや開いた口が塞がらない。

 これはダメだ。

 母親を気絶させてから、ミラルドの説得に取り掛かろう。そちらの方がまだ望みがある。木製の棒を構えて呼吸する。


「あら、そんな物騒な持ち方、女の子がしちゃダメよ。……やりなさい、ミラルド。」

「────はい、お母さま。」


 短い言葉と共に後ろにいたミラルドが密着してくる。

 身長は私の方が幾らか上なので、おそらくは背伸びをしているのだろう。両目を覆うように手を回された。


「なっ……はな、しなさっ……!」

 ダンッ!

 咄嗟に振り払おうと手にしていた棒を振り回し、勢いをつけて少年の足のふくらはぎの裏側を狙って叩いた。

 弁慶べんけいの泣き所とも呼ばれる場所だ。感触からして手ごたえは確かにあったはずだが、ぴくりともしない。


「なっ……」

 流石におかしい、これだけの痛みなら流石に苦悶の声の一つ、手の緩みの一つ発生するはずだ。今のミラルドは明らかに、これまでの彼ではなかった。


 耳元で、ボーイソプラノがうたう。

「……齧れ毒林檎アトファスファム我が熱に溺れよアルファララ

「──っ!!」


 その呪文には覚えがあった。


 とはいえこれはゲームの知識ではなく、フェルディーン家の御屋敷で学んだ魔法。

 かつて誘拐騒動が起きた余波は大きく、その後の魔法の授業では第一に状態異常を与えてくる魔法やその対策を詰め込むことになった。


 魔法には幾つか種類があるが、これはその中でも特定の相手に幾らかの状態異常デバフ……この世界で言う生理的変質を与えるものを指す。


 睡眠欲や食欲、果ては肢体のマヒなども与えられる類の術。

 使い方次第では不調の改善にも繋がるが、他者を害す可能性も高い呪文たち。そのため使用には一定の免許や申請が必要とされている。

 犯罪に使用したとしても魔力の痕跡は残ることは公に流布されており、それが一定の抑止にも繋がっているものだが。由緒正しい神官一族のお坊ちゃんがそんなのを使うと思うか!?


 更にはその呪文の効果その物が問題だった。生物の繁殖のために発情を促すためのもの。


 熱に溺れる……つまりは、欲情の術式。


 ここに来て本当になりふり構わなくなってきたな!?対策?ひとまず逃げて安全な場所で熱を覚ませとしか言われてないんだが!?

 せめてもの抵抗とばかりに唇を噛みしめる。



 ・・・


 いや、何事もないが??

 本来ならそれこそ噂に聞くエロ同人誌のようになってもおかしくない代物だ。なりたくはないけど。


 手のひらで覆われて暗くなっていた視界。更には自らも目を閉じていたのをゆっくりと開ける。

 未だ意識ははっきりしている。一体どうしてだと視線を下にやれば、ミラルドの指の間から見える世界、白い光が瞬いた。


「(…………!)」

 鎖をはめられている右手の、その中指。親指で付け根に触れれば、手錠とはまた異なる硬質な感触。

 兄に渡された指輪だ。性別認識変換魔法を打ち消すとか荒唐無稽こうとうむけいな話と共に贈られたもの。


 否、正確に告げられた言葉は違う。

 これは《対象にかかっている魔法効果を無効にする》ものだ。だから今、私にかけられた欲情の術は無効にされた。そう言うことだろう。


 それならば。


「…………あら?」

 様子の変わらない私に、アーノルド夫人も違和感を覚えたらしい、今だ!

 持っていた棒切れを放り投げ、代わりに私の顔を覆っていたミラルドの手をわし掴みにした。

 先程からだいぶ容赦のない行動を取っている自覚もあるし、後で謝罪はするつもりだ。


 だが、彼の記憶に覚えがないという手錠の存在に青あざ間違いなしの怪我に対する無反応さ。そして何より躊躇ためらいのない呪文の行使。



 ミラルド=アーノルドは、もしかして操られているのではないだろうか?

 確信にも等しい疑惑。それをたしかめる手段を、文字通り私は手中に持っていた。



「……っ、──」

「こ、の、……っ!!」

 催眠か何かにかかっているのだろう。表情を無にしたまま抵抗するように身をよじるミラルド。

 引き剥がそうとしてくる手が、こちらの肩を容赦なくわしづかみにしてくる。食い込んでくる力も常人のものではない。指の形のアザができているかもしれないが、構うものか。こちらも意地で喰らいつき、彼の人差し指を握りしめる。


「ごめん!」

 加減できなくて折るかも!

 心の中で謝罪しつつも、自らの指から抜き取った指輪をその指へと無理やりねじ込んだ。


 とたん、ミラルドが膝から崩れ落ちる。

 推測は大当たりだったようだ。


 自らの手のうちだったはずの傀儡ミラルドが我を取り戻したことに動揺したのだろう。平静だった夫人が烈火のごとく表情となる。


「ミラルド!……くっ、あなた一体何をして……」

 今にも飛びかかってきそうな鬼気迫る声。魔力が揺れる、何らかの呪文を行使しようとしているのだろう。


 まずいっ…!

 今の私は指輪をミラルドへと渡したばかり。呪文を先ほどのように無効化することはできない。避けようにも、そうすれば茫然としている彼へと呪文が当たるだろう。


 息を呑んだその時、声が聞こえた。幼い頃から何度も聞きなれた声。

 ぱきりと小さな音がして、手の枷が地面に落ちた。


「おっと、うちの可愛い妹に、それ以上無体を働くのはやめてもらおうか。」

「なっ……!!」


「────リュミエル兄。」


 いつの間に現れたのだろうか。それこそ魔法のようだ。

 瞬きと共に、私と夫人の間に立った兄の背中を見て、ぽつり、小さくつぶやいた。

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