10−8話 決行はセレモニカ(ハイネ視点)
冬の精霊に眠りを与え春の精霊を覚醒させる儀式、セレモニカ。
ここに至るまで幾許かの鍛錬を重ねてはいたが、ソルディアに所属して三度目の儀。懸念など存在していなかった。
だが、今の状況は一体なんだ?
常は表情の薄いハイネの顔に今はありありと困惑が滲んでいる。
セレモニカの儀が開幕する直前のアナウンス。カーマイン教諭が口にした言葉からして、これまでに二度経験した内容とは大きく異なっていた。
「さて、此度は季節の巡る時。滅びと再誕、水と土、雪と花、精霊たちの眠りと目覚めが訪れる。精霊も運命も、普遍のものは存在しない。
……が、時にその理を理解しないまま、普遍は普遍だと。忘却は全てを埋めると。愚かしい愚考を抱く者も、時に存在する。」
「?」
始まりから俄に変わっていた言葉に、参加している生徒たちの多くが首を傾げ、ざわめきが生まれる。
対するカーマイン教諭の表情は変わらない。その冷静な表情が崩れた記憶はハイネの中では一度しかなく、この時も上書くことはなかった。
おかしなことはもう一つあった。セレモニカの儀に参加する面々のうち、一部の人々の配置が直前になって変わったことだ。
昨年はハイネは春、シグルトは冬の舞手を務めており今回もそれに倣う予定だった。だが、二週間ほど前になって突如役割の変更があった。幸い対となる動きは互いに慣れるのに苦はなかったが、変更があるのならもっと早くに告げてほしいと思ったのは記憶に新しい。
更に、直前である今はそのシグルトの姿すら見えない。……昨年彼を閉じ込めたのはハイネ自身であった以上、下手にそれに言及をすれば余計な呼水を産みかねないと口を閉ざしてはいるが。異常事態であることに変わりはなかった。
けれどもそのことに言及することもなく。
春と冬、二つの立ち位置の合間の舞台に立つカーマイン教諭は言葉を続ける。
「だがそれを看過するのはソルディアとしても、ルーンティナの国としても許し難いことだ。故に、この円環の輪が巡る行事の直前に、古き
「咎人?」
小さく言葉を
カーマイン教諭の立つ中央の舞台まで進む彼は、項垂れた青い顔の生徒を二人連れてくる。その顔に見覚えはない。
──ないはずだというのに、何故かその強張りきった表情を見てハイネの胸がざわついた。
どこか、腹の煮えるような。否、知らない人間だ。タイの色からしても上の学年の、おそらくは貴族。接点などないはず。だというのに。
暗澹としてきた思考を裂くように、鋭い声が響き渡る。
「この者たちはかの第三王女、アザレア=フォン=ルーンティナの従者が在学していた折、彼女に対して洗脳、忘却魔法を付与した疑惑が課せられている。
咎人らは彼女を操り他者を害するように仕向け、またその記憶を忘却させることで自らの嫌疑を免れていた。極めて悪質と判断される。」
「………それ、は。」
かの王女の従者を、ハイネは知っていた。
誰にも言っていなかった、ソルディアに所属してから受けた数々の狼藉。或いは少女の雇い主でもある王女殿下の手向かと、疑惑を抱いたこともあった。
けれどもその言葉が真だとするのならば、真なる敵は──。黒曜石がそちらを睨みあげれば、震える二人の生徒の顔がさらに青褪めていく。
「ち、違う!俺たちはそんなことやっていない!」
「出来心だったんだ!許してくれ!」
必死に否定するその顔すら、今のハイネにとってはただ滑稽にしか映らない。他の生徒たちの視線も冷たく、一身に突き刺さる。
それらに一瞥すらくれないまま、カーマイン教諭の言葉は続く。
「既にかの従者にかけられていた呪文は解呪され、証言も得られている。加えて、かの咎人の親族についても調査を進めた結果、恐るべき事実も判明した。」
その言葉にシグルトが踵を返して舞台袖へと向かっていく。凛とした歩き姿は騎士然としていて、目の前を通り過ぎられたというのに声一つ上げられない。舞台袖に消えていった青年が再び現れた時には別の人々を連れて歩いていた。
一様に縄で縛られ、大声を出そうとしているようだが声を封じられているのか、その口からは何も生み出されない。学院の生徒ではない、けれども今まさに中央の舞台で晒されている者たちに何処となく似た顔つきをしていた人々。その姿を見た瞬間、ずきずきと頭が痛んだ。
脳裏によぎるのは黒髪と紫の瞳をした幼い少女。
はにかむ笑顔に、手を掴んで駆け出す姿。青褪めて変わり果てた──。
「先輩。手を失礼します。」
気がつけば先ほどまで彼らを連行していたシグルトが、隣に来て膝をつく。未だ頭痛止まぬハイネの片手をとり、節くれだった指の最も細い指にオーロラ色の石がはまった指輪を通した。
その瞬間、全てを思い出して目の前が真っ赤に染まる。握っていた演舞のための儀礼刀を、硬く握りしめた。そうだ。貴奴らは。
「……彼らは先ほど壇上に上がった生徒たちの縁者であり、同様に忘却魔法を濫用し自らの咎をもみ消した者たちでもある。」
「な、何のことだ……!」
「そんなこと、俺たちはやってなんて……!」
「ならば朗々と声高に証明してみせればいい。」
たっぷりの皮肉まじり。如何にも傲慢な貴族らしい貴族の声が愚者たちの言葉を遮る。向かい側の壇上から、ルイシアーノが愉悦混じりの笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「真実自らは潔白だと、そう高らかに宣言できるのならこの場で述べてみせろ。尤も、安易な偽りは真実を取り戻した獣が断罪するだろう。その覚悟があるならば、だが。」
金の瞳がこちらを向くのに合わせて、周囲の目線は一斉に此方へと突き刺さる。けれどもハイネの精神はその一切を感知せず、ただ壇上の愚かな咎人だけを見ていた。有象無象の騒めきも通り抜けてはいたが、傲慢なその声だけはいやに耳に残った。
「ハイネ=シドウ。その愚か者どもの断罪をするにあたり、貴様以上に相応しいものはこの場にはおらん。選ぶがいい。どのようにして其奴らへの咎を断罪するか。」
導かれるように、足が進む。儀礼刀の感触を確かめながら、一歩、二歩。
進むたびに壇上に立つ咎人どもの顔色は土の色になり、その体は震える。こんな愚か者どもの欲望のために、あの幼かった妹は、優しかったあの子は無辜の命を散らしたと言うのか。
誰からも愛されていた
儀礼刀に魔力を通す。
振り下ろす寸前、向かい側の遠くで見守る一人の少女の姿が目に入った。
赤髪と紫の、すみれ色の瞳をした少女。
「……………──ッ、!!!」
激しい音を立てて舞台の床へと儀礼刀が叩きつけられる。教諭によって防護魔法をかけられていた床は傷ひとつなく。数センチだけわずかそれていた咎人どもはその衝撃で気絶をしたようだった。
「…………其方らに、国の法で然るべき罰を。」
「……良いのですか?シドウ先輩。」
翠の瞳を丸め、シグルトが穏やかに問いかけてくる。
舞台での動きを見るに、彼をはじめとしたソルディアの面々が、今回のことを目論んだのだろう。先ほどの言葉かけから考えても、主導は彼の主人か。そのことに対する嫌悪は湧いてこない。
口元の強張りがほどけていく。
気がつけば知らず、笑みを形作っていた。
「……皆、感謝する。」
何を思ってのことかは分からないが。あれだけのことをした自らに対して、その行為を断ずるのではなく自身の歪みの元凶を断じた。
それだけの器を持つ者を、忘却をよしとして好き勝手していた獣と同等と扱う必要性を。もうハイネは持っていなかった。
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