2-11話 ただ、一度きりの 上
(※ルイシアーノ視点)
気絶したあいつを引きずって、そこから先は無我夢中だった。はながはながと繰り返していたあいつの言葉は理解できないまま、それでもこれかと当たりをつけたのは花の様な芳香。生まれてからずっと、どこかから香っていたもの。
きっとそれこそが花精霊様の祝福だと父上と母上は笑っていた。“
だからずっと、俺は特別だと思っていた。特別だから何でもできる。何でも許される。
そう思ってた、のに。
「ルイシアーノ様!!大丈夫ですか!」
「シグルトも……っ!!おい、誰かすぐに担架を!」
向こうもいなくなった自分達を探していたのだろう。血相を変えて駆け寄ってくる執事と護衛。
そんなもの不要だと言いかけた口が乾く。いつにない此方の様子に気がついてか、奴らが青褪めて声を荒げた。その声に気がついたのだろう、他の面々も──両親も此方へと向かってくる。
「一体何があったんですか!?」
「あぁ、ルイス。ルイシアーノ!なんて痛々しい……!」
母上が涙を瞳に浮かべながら抱きしめ、その温もりでようやく体の時間が動き出したのだろう。今になってがくがくと震えてきた。
「……ゆうかぃ、されて……逃げて、きた、けど……シグルト……俺のせいで……っ」
無知を理解するというのがこんなに恐ろしいことだなんて、考えたこともなかった。
或いは知る由もないからこそ無知なのだ。
足元を固めていた全能性はもはや崩れ去り、ただ遣る瀬のない不安だけが残る。誰に対して怒ればいいのかも、何を謝罪すればいいのかも分からない。
自分は悪くないと、高らかに吼えられればどれほど気が楽になれただろうか。
そうして震える俺をよほど怖い目に遭ったのだろうとただ抱きしめる母上。その傍らで父上が未だ意識が戻らないシグルトを運ぶように周囲に指示を飛ばすのが聞こえた。
「周囲に兵を回せ!誘拐犯どもの足取りを決して逃すな!」
「大丈夫……。大丈夫よ、ルイス。もう怖いことなんてないわ。私が貴方を守ってあげるからね」
あの誘拐犯たちが恐ろしいとは思っていない。殴られた顔や蹴られた腹はずきずきと鈍い痛みを訴えてくるが、今でも愚かな者だという認識は拭いきれていない。
怨恨だけで侯爵家を敵に回すなどと。
けれどもそれだけの強行に彼らが至ったのは自らが元凶なのだ。そして今そこでシグルトが、自らの従者が倒れているのも。
「……こいつ、は」
大丈夫なのだろうかと抱きしめる力を弱めない母上の、自分によく似た金の瞳を見上げる。
「シグルトのこと……?ええ……そうね、クアンタール家にも伝令を遣らないと。お預かりしている御子息をこんな目に遭わせてしまったのだから」
ずれた金の瞳に映しだされた同系色に、再び胸の辺りが締め付けられた。
◇ ◆ ◇
当たり前のことだが
慌ただしく馬車に乗り市街地から離れる間も、ずっと街の中央部から止まらない花の香り。
精霊はいまだあの地で祭りを慶んでいる。それは世界の中心が自分ではないことを示していた。
屋敷へと戻ってきてすぐに主治医が俺とシグルトの診察にかかる。程なくして知らせを駆けつけたのだろう、彼奴の父親が血相を変えて屋敷を訪問したと耳に入った。
俺はといえば、診察が終わったっきりこうして自室に閉じこもったままだ。
常のように苛立ちすら露わにしない俺の様子はよほど不気味だったのだろう。
入れ替わり立ち替わり様子を見に、或いは包帯を代えに、或いは食事の用意をしに、或いは清掃に来る使用人たち。誰一人として例外なく彼らは皆ちらちらとこちらを見てくる。
「………………おい」
痺れを切らしたまま、苛立ち混じりに声をかけたのはシグルトが入る少し前にウチに採用された女中。
自らがまさか呼び止められるとは思っても見なかったのだろう。「ぴゃぁい!?」と妙な悲鳴をあげて肩が珍妙なまでに跳ね上がる。
「な、なな、なんだすかっ!?じゃない、なんでございましょか!?」
田舎者らしい喋りにいつもは苛立ちを憶えていた。今はそんな余裕もなく、ただ詰まる息を吐き出すだけ。びくびくとこちらの様子を窺う女。今日相対したあの誘拐犯どもも、かつては俺をこんな風に見ていたのだろうか。
「あいつの容態はどうなんだ」
「あいつ……?」
誰のことか見当もつかないと言った声音に苛立ちを覚えて心中で吐き捨てる。この騒動の後に他の誰の容体を聞くと思っているんだ。背もたれのある椅子に深く腰掛け、指先で肘掛けを叩く。
首の上で切り揃えた癖のある髪を、カチューシャで留めている女中に短く吐き捨てた。
「シグルトに決まっているだろう。お前、親しいんだろ」
「はふぇっ!?」
その驚愕はどこから来ているのやら。自分がシグルトの名前を知っていることか、或いは彼女……エイリアが彼奴と親しいということか。
使用人同士の関係性など同じ家だ、いくらかは自然と頭に入る。特にシグルトのやつは女に甘いからやらかした彼女のフォローをする姿は否が応でも目に入っていた。指摘をする必要もないから放置をしていたまでの話。
だというのに目の前の女は、今にもその両の眼にはまったはしばみを落っことしてしまいそうだ。
「なんだ。何か言いたげだな?それまでの恨みつらみや文句でも言いたいのか?」
「いいいいえいえそんなめっそうもありま゛ぜっ!!シグルトさはえっと、……やっぱりあんまり、容態もよろしくないようです」
地の訛りそのままに話し出すエイリアは、けれども次第に落ち着きを取り戻してきたのだろう。深呼吸の数に比例して、慣れていなさそうな敬語に戻っていく。
「その、命には別状ないけど、足の怪我から悪い゛菌がはいった?とかで、まだ意識戻さなくて、寝ています。奥さまと旦那さまは治癒術師さまを呼んでくださるって仰ってました。到着は明日になるから、今夜はそのまま寝てもらって、体力を取り戻そうって……あと……。」
「あと?」
口籠もりかける女中を睨みつければ、「ぴゃっ」と奇妙な声を口から漏らして震えられる。なんだ、この程度で怯えるものなのか。およそ理解ができなかった。
「えぇっと、その……。足の怪我。すごい深々と傷ができてて、その。その状態で走ったせいで、ぼろぼろ、みたいで。えっと。
もしかしたら治癒術師さまでも治せないんじゃないかって、お話しされてたんです。……旦那さまと、シグルトのお父さまが」
じわりと彼女の瞳に涙が浮かぶ。先ほど睨み付けた余波……ではない。それはきっと。
「あの足で騎士になるなんて無理だって。だから、従者も辞めて家に……って、ひっ!」
だぁん!と大きな音を立てて卓を叩く。
何もかもが腹立たしい。
目の前で泣きそうになっている女中も、無能な治癒術師も、勝手に怪我をした挙句生家に帰る羽目になりそうな従者も、それらを引き起こした誘拐犯どもも、自分自身すら。
「もういい、十分だ。下がれ。」
端的にそれだけを返せば、踵を返すように出て行く小柄な影。それ以上扉と音の方に目線をやることなく、ただ頬杖を再びつき直した。
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