2-12話 ただ、一度きりの 下
(※ルイシアーノ視点)
気がつけばもうすぐ夜半になる時間帯。
普段なら就寝に入ってもおかしくない頃合いだが、生憎今宵ばかりは眠気も何処かへと消え去ってしまったようだ。こちらが望む時ばかり側には現れない。
燭台をじっと見据えていたところで、ノックの音が飛び込んでくる。こんな時間に来る報せなど碌な話でもないだろう。無視を決め込もうと沈黙を保つ。
…………が、向こうは向こうで意地でもあるのか、控えめな音ながらもそのノックは絶えることがない。
「ル〜イシア〜ッノ様〜、どうせ起きていらっしゃるんでしょ〜? お届け物っすよ〜」
間伸びした調子はシグルトとそこそこ交流の深いもう一辺。
確かフレディとかいう男だったか。時折失言をして執事長に叱られている姿を幾度も見たことがある。
それにしたって普段以上にふざけた調子だ。或いは友人をあんな目に合わせた此方への意趣返しのつもりか。
「届け物だか何だか知らんがこんな真夜中に来るなどと無礼だぞ。まあ、貴様の今の態度以上の無礼さもそうそうないがな。怒鳴りつけて贈り主にでも突き返してこい」
座っていた椅子から腰を浮かすことすらなく、突き放した物言いをする。ある種平常の自身らしい対応ではあるが、その奥にある言葉の棘に相手は果たして気がついただろうか?
「いやいや、無茶を仰らないでください。オレだってこのしんどい時になんでって思いもしましたけどね? でもソルディアからの届け印があったらそりゃ、お渡ししないわけにもいかないでしょ」
「………何?」
ぎしりと木の軋む音がするが意にも介さず、つかつかと扉へと向かい予備動作なく開ける。
「うぉっ!? ビビったんですけど……」
扉を開けるならもうちょっと予備動作いれません?などと目を丸くさせる男に返事を返すことなく、一対の金を彼が持っていた細長い包みへと落とす。
それと共に携えているカードには確かに、ソルディアからの依頼品だと分かる印が記されている。王家からの文と同等の扱いを受ける書面にのみ刻まれるもの。
ルーンティナの王家の紋章である月と対比している太陽の
その下には宛名すらない短いメッセージ。
《一回限りのお品。使い方にはご注意を》
何故今ここにソルディアからの届け物が来るんだ?思考が
否、唯一ありえるとしたらシグルトの兄か。
奉公に出た親族が怪我をしたと知れば、見舞いを贈ることそのものは理解できる。
ならば何故自分に送りつけるのか。しかもなぜソルディアの印を使ってまで早く届けるように命じたのか。カードに記されている内容といい、全くもって理解できなかった。
「…………届け主は誰だ。真逆ソルディアからの届け物だと知って急いた結果、送り主も聞き損ねるような酩酊は働いていないだろうな?」
今更染みついた言い方がそう簡単に変わるはずもなく、またそこを意識する余裕もなかったので吐き捨てる。
目の前の使用人の顔が困ったように眉を下げた。
「あー、いえ。ちゃんとこちらで名前は確認したんですよ?宛先の方も。でも間違いなくルイシアーノ様宛だった上に、送り主の方も何と申し上げるべきですか……」
ぽりぽりと頰をかいて、笑わないでくださいね、後バカにもと前置きをする。
煩い、とっとと言えと促せば思いもよらない言葉が返ってきた。
「祝福の配達人……って。ルイシアーノ様はお心当たりございます?」
◇ ◆ ◇
誘拐犯から逃げていた時と同じくらいの足取りで廊下を駆ける。
誰も彼もが寝静まるような時間帯でも使用人や衛士は幾人かは起きていて、何事かと振り向いては見なかったふりをして職務に戻る。
けれどもルイシアーノは、ただ前を向いて足を進めるのみ。その手に握りしめられていたのは半端に包装を解かれた届け物だ。
***
『真実君が望むものを送りとどけよう。』
わらった配達人が、病を抱える少女の持つ花へと魔法をかけた。
***
どこぞの誰とも知れぬ者の言葉に藁にもすがる思いで縋りつくなどと莫迦莫迦しい。そう吐き捨てたってよかった。
否。常の自分なら間違いなくそのまま
だが、自分はその真実の裏側をあの大莫迦者から聞いている。
『これ、実話です』
最も容易く口にした。多くの者が望む奇跡を、まるで気紛れのように与える者の存在を。
包み紙が破かれたその隙間から、零れ落ちるような仄かな光の色彩。
下らない与太話だろうとは今でも思っている。そう思いながらも足を止めない自分も含めて愚かしい。
それでも気がつけば屋敷の西端、常は最も人通りの少ない医務室へと足を運んでいた。
その隣、寝台が置かれている部屋への扉を、音を立てぬようゆっくりと開いていく。
薄い絹で織られたカーテンの外、星の瞬きだけが室内の光。暗闇に慣れた瞳でも凝らしてようやく見えるほど朧げなその世界に、その身体は横たわっていた。
普段は一つに緩く結っている金の髪が、薄闇色のシーツに散らばっている。
熱の上がった身体は呼吸すら辛そうで、氷枕を下に敷きながらもなお浅い息を吐き出していた。今は熱を下げる薬草も使えないから、明日の治癒術師の到来まではこのまま苦しむ羽目になる。
「…………大莫迦者め。今日見た中でも一番の愚か者だな」
吐き捨てるように
誘拐騒動のとき、こいつ一人だったなら何の問題もなく放免されたのだ。それをわざわざ煽って、敵視をそちらへと寄せるなど、愚かにも程がある。
やり方次第ではもっと上手く出来ただろう。同意して逃げたふりをして、他の大人を呼んでくれば。
──或いは、人の気持ちだのなんだのいい出す奴だ。置いていった場合の此方の気持ちとやらでも
鼻を小さく鳴らして、手に持っていた届け物の包装を剥がしていく。
静かな室内に響くのは紙が擦れ合う音だけ。頭の中で頁を捲るように、御伽噺が蘇る。
***
『《どうかこの花を受け取った人は幸せになりますように》』
その言葉とともに、花々はやわらかな光を身にまといます。
***
包み紙を解けば、星が落ちて花弁として生まれたような、柔らかな光。
夢見がちな少女に渡すのならば適任とも言えるチョイスだな。
***
かがやく花を返しながら、配達人は言いました。
『その花を、君のお母さんに渡しておいで』
『君のお母さんが君といることを幸せだと思っているのなら、きっとこれで元気になるよ』
***
此奴が何を幸せとするかなんて、知らない。
あれだけ不満ばかり口にしていた奴だ。
このまま足の怪我を言い訳に生家に戻る方がよほど、幸せだと感じていたって可笑しくない。
瞼を閉じているシグルトの傍らに立つ。
今の父母に渡せばもっと有用な使い方もできるだろう。彼らはルイシアーノがこんな目にあったことを悲しんでいた。
今の二人に花を渡せば、望むのはきっと、彼らの破滅だ。
そちらの方がよほど胸がすっとする。尤も、幸せとやらを願う花でどれだけ他者に不幸を散りばめられるかなどと分かりはしないが。
所詮は歌語りの一つだと言い聞かせながらも、心臓の鼓動を制御しきれないのに歯噛みする。
「……俺にここまでみっともないことをさせるんだぞ。
花を枕元へとおく。
淡い光を放っていた花が、一層その輝きを増した。花弁の端から粒子状になり、はらはらと崩れ去っていく。光の粒が向かう先は、寝台に眠る従者の元。
まるで歌語りだ。
先程とは異なる意味合いで、その言葉を内心呟く。
精霊は奇跡を起こすと昔から言われている。実際父に連れられて訪れた国儀では精霊の御技による奇跡を見た。
それと同種のことが、今起きているのだ。
閉じられていた瞼が揺れる。それに合わせて金の睫毛も星の光に揺らいだ。
もう頬の熱は引いているようだった。すぐには確認できないが、足もきっと。光の粒子の大半が向かっていたのが、そちらだったから。
「ん……、……なん、か。すごい無茶、言われた、気が……」
目覚めの悪さか地獄耳ゆえの苛立ちからか分からない。覚醒も間もないその翠の瞳は半円となって此方を睨みつけていた。
それを見て、自然と口の端が緩むのを感じる。相変わらずの不敬さだが、それでいい。
「はっ、当たり前だろうが。貴様は職務を果たしただけのこと。多少の労わりならばともかく、荷運び人めいたことをさせたのだから感涙にむせび泣く言葉の一つでも投げるのは当然だろう?」
「うっわ……相変わらずの暴君……」
幾度かその翠色が瞼の奥へと隠れ、現れてを繰り返してから漸く意識が浮上したのだろう。何処か普段よりも自然体な笑みにこちらもつられるように口角があがる。
そうだ。あの犯罪者どもが何を言おうと、一朝一夕で俺という人間が変わることはない。それは此奴だって同じこと。
精霊に選ばれるかは魂が定着する7つまでに決まるのと同じように、染みついた人の性分などそう簡単に変えれやしないのだ。
それでも尚、ほんの少しくらいは気を配るようにしてやってもいい。
癪だが恩を着せる羽目になった、大莫迦者の従者の顔を立てるくらいは。
「それで、感謝の言葉はどうした?今なら多少雑なものでも受け入れてやらなくもないが?」
「あー、はいはい。ありがとうございました。お陰で助かりま……、いや、何で怪我治ってるんですかね、私。というか今日、何月何日ですか?」
未だ熱の余波が残っているのか、それとも起き抜けで状況が分からずに混乱しているのか、周囲を
「日中に
「え?そうなんです、それにしては痛みとか何にも……」
困惑した顔で布団を剥ぎ、足元を見遣るがその箇所には先ほど負ったはずの傷など痕すら残っていなかった。
──持ってきておいてなんだが、末恐ろしい力を持っていやしないか?あの花は。
「……え!? 何で傷がきれいになくなってるんです?? ルイスいつの間にそんな高等の治癒魔法使えるように!?」
「煩い。違う。というか貴様の傷は本来ならば治癒魔法でも完全に回復は不可能だったそうだぞ、父上と貴様の父親の話曰くだがな。全く、向こう見ずな無茶にも程があるな。」
「一言多いですよ、じゃなくて。本当にどうして………」
困惑しきりなその顔が愉快に感じながらも、ネタばらしをしてやろう。
その耳元に顔を近づけて囁いてやる。胸倉をつかむことはしないが、きっと今の自分の顔つきは在りし日の出逢った時と同じ顔をしているのだろう。
次に浮かぶであろう無様な顔が、楽しみで仕方がないというような。
「『祝福の配達人』殿からの贈り物だ。」
「…………は?」
一瞬完全に動きが止まるのを心底可笑しい気分で見やる。
あれだけ口が早いのだ、頭の回転だって凡人に比べれば幾らもましだろう。まさか日中に話をしたその正体に、シグルトが気が付かない訳がないのだ。
ミツドリの羽ばたきがきっかり三回分聞こえるであろう時間がたってから。
頭を抱えて大仰な身振りで
「っっあぁぁああぁあ~~!寄りにもよってあのくそ兄貴に貸し作ったってことですかちっきしょぉぉぉ……!!!」
「なんだ、作ったら不味い案件なのか。法外な礼を要求でも?だとしても今更取り返しはつかんぞ。」
「そういうのは全くしない輩ではあるんですが、ただこうひたすら“あの”兄に貸しを作ったことそのものが我慢できねえんですよ~~!!」
今にも寝台の上で転がりはじめそうだ。というかこんな深夜に大声で叫びでもすれば、如何に人通りが少ない場所でも流石に誰かが聞きつけるだろうに。
そう考えていた所で足音が聞こえてくる。一つの音は更に別の音と合流して二つ、三つに。やがて扉が叩かれる。
ざわめきが増していく中、彼等は一体何を考えているのかとふと想像した。
同僚が目覚めたことへの喜びか、聞こえてくる内容への疑問か、そもそもこの深夜に大声で叫ぶことへの呆れか。
何より彼は、シグルトは。彼らの反応を受けて一体何を思うのだろうか。
生憎これで生家に帰り損ねたと歯嚙みしたところで、鼻で笑うつもりしかこちらにはないのだけれど。あれだけ人に文句を散々言ってきたのだ。そう易々と思い通りにさせてたまるものか。
開かれた扉から駆け寄ってきた使用人たちがシグルトに駆け寄るのを眺めながら。彼等の人間としての反応を、想いを想像して独りほくそ笑んだ。
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