2-10話 苦痛に耐えて
刺すような、では無い。実際に左脚、足首の箇所から銀色の塊。誘拐犯の一人がこちらに投げてきた短剣が深々と突き刺さっている。
向こうも多少の魔法を身につけていたのだろう。そう思うくらいに正確な狙いと、容赦のない威力だった。
お屋敷で学んだことをこういったところで使う時点で、解雇されて正解だったんじゃないか。そんな言葉が一瞬だけよぎり、すぐに苦痛で掻き消される。
ぐらりと傾きそうになる身体。
熱い、痛い、痛い!!
叫びたいのを堪え、息を呑み硬直したままのルイシアーノの腕を引く。
「っ、つ……走れ!!」
追手も、まさか足を傷つけている状態で突如駆け出すとは思ってもみなかったのだろう。叫び声の後すぐに唱えた風魔法で突風を起こし、追い風として足を進めた。
立ち止まっていた男が驚愕の声を上げる。ざまあみろ。一度狭い瓦礫の隙間を伝って撒きさえすれば──血痕という多少のリスクはあれど──幾らかのアドバンテージを取り戻す。
ルイスの脚が縺れそうになっているが、そんなの知ったことか。
気合で走れ。今の私のように。
掴んでいる服が引きちぎれそうになるのもお構いなしに引きずっていけば、次第に傍らの少年も足取りが安定してきた。そのままただひたすら、方角も分からないままに走る。
入り組んだ路地裏ではどちらが大通りか、或いは奥まっているのかなど判断つかない。
そんな中で頼りになるのは祭りの喧噪。或いはかつての兄の言葉だ。
祝福の配達人の話をはじめて聞いた時に花精霊の助けなんてどうやって借りたのだと、聞いた時に返された話。
──いいかい、シグ。花精霊の気配を辿るのは、実のところ難しい話じゃあない。
──魔力を鼻腔に集めるんだ。そうすると花の香りがほのかに感じられるだろう。匂いの先に花精霊がいる。
──特に感謝祭の日はその気配が顕著になるからね。今度お祭りに行った時に試してごらん。
柔らかく告げる兄の声が脳裏にこだまする。
そもそも精霊の居所が分かったところで助けを借りられるものなのかを聞いたら笑顔ではぐらかされたけれど、今はその居所さえ……祭りの方角さえわかれば十分だ。
ほんのりと、僅かに甘い香りが漂う。
錯覚かもしれないけれども、今はただその香りをよすがに。ひたすら足を動かし続ける。
◇ ◆ ◇
それからどれほど時間がたったころだろうか。
あの誘拐犯たちから、ある程度の距離は取れただろうか?
疑問はけれども口に出す余裕などなく、限界が来たように足ががくんとなり、つんのめってしまった。
そのまま顔から着地しそうになるのを、先程まで腕を引っ張っていたルイシアーノにフォローされる。
「おい!何を無様に逃げ出しているんだ!!」
うるさい。
あの場で反撃しろってか、お前のような脳筋DVと一緒にするな。
いつもの軽口を叩こうとする口は、粗い息しか出てこない。
「……おい、大丈夫か、シグルト…?」
普段と異なる様子にようやく意識が向いたようだ。怪訝な顔つきに文句を言い募ろうと口を開くも、呻いた小声しかやはり出ることはしなかった。
「ぅ、ぐ、ぅあ……、……っ」
「……っ!!おい!貴様!急に倒れるんじゃない!どうしたんだ!!」
困惑を極めている少年の声が、けれども意味を持って頭の中に入ってこない。
けれども私の状態を上から下まで診たルイスはそこで漸く気が付いたのだろう。私の足に深々と突き立てられたその短剣に。
「っ……!!こんな怪我をしてあんな走りをしたのか、何を無茶な……っ!!」
「う、……っさ、……、無茶、でも……しぬ、よか、ましでしょ……」
こんな時でも反射的に絞り出してしまう軽口に、目の前の少年が何を考えたのかは分からない。
ただ、訪れた静寂に我ながらもう駄目かと思ったものだ。
「──…………ちっ。おい、こっちに行けばいいんだな」
聞こえてきた声に続く片腕を引っ張り上げられる感触。ルイシアーノが私の腕を自身の肩に回したことで浮遊感すら味わった。
互いに成長期は来ていない体格。持ち上げることは難しいのだろう。足は地に着いたまま、それでも確かに引きずるようにして彼が私の身体を持ち上げようとする。
「……いてか……な、……んですね……」
てっきり置いていくものかと思っていましたと叩こうとした軽口は、けれども苦悶に取って代えられる。
それでも精度のいい地獄耳で私が何を言おうとしているのかは理解したのだろう。吐き捨てるような彼の声が聞こえた。
「置いていっても構わんが、その結果貴様があいつらの仲間入りする羽目にでもなったら厄介でしかないからな。くそっ……」
苛立ちにまみれた声は、叶うなら今すぐ取って返してあいつらに仕返しをしたいとでも言いたげだ。
事実、ゲームの中のルイシアーノだったら反撃の一つでも目論んだだろう。
だがそれをしないのは、もしかしたら一縷でも先程の私とのやり取りが響いているからかもしれない。他の使用人だって生きていると、人間なのだと。
それはきっと本質的には良い兆候なのかもしれない。
────それにしたって、言い出したタイミングは最悪でしたね……。
その躊躇の結果が今だと考えれば、この足の痛みも因果応報というべきかもしれない。
自嘲めいた笑みを浮かべながら、最後の気力を振り絞って声を上げる。
「まりょ……鼻、しゅうちゅう……花、…おり……方、むかって……」
「はな?鼻か、花か?おい、中途半端な言い草をして気絶するんじゃない!!」
無茶を言うのは相変わらずだ。
どこか可笑しな心地になりながら、私の意識は再び闇へと落ちていった。
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