閑話5
「先日は
ソルディアの一員であるリュミエルは破格の待遇なのだろう。
狭くはあるが騎士団の中に個人の執務室を与えられており、その最奥の椅子に腰かけたリュミエルが机の上で手を組んだ。
春期休暇の折、シグルトに知られぬようにわざわざこんな
「どうしたもこうしたもない。シグルトにかけられている呪いについてだ。」
「ああ、あの子から聞いたのかい?性別認識変換魔法について。」
未だに魔法だと言い張るのか。大声をあげて笑ってやりたくなる。寸でのところでやめたのは傍らに控えている男の無言の促しを見たためだ。
「呪いだろう、あれは。肉体的には何の変質も与えず、それを見た者の認識を歪める。
花そのものを変えることはせずにそれを渡した相手に術の影響を行使させる“祝福の配達人”様らしいやり口だ。」
祝福と呪いは表裏一体。過去に類似のことをやってのけた男へと皮肉を交えて言い放つ。けれども返ってきたのは拍子抜けするような瞬き。
「……、……。あっ、もしかして俺がかけたと思われてる?」
「は、違うのか!? 他の誰があんな珍妙な呪いをかけるんだ!」
なぜ呪いを身内にかけるのかという問題はあるが、この男の破天荒具合を聞くと「ノリでかけた」と言い出してもおかしくない。
「いやいやいや、あの呪いはクアンタール家代々のものだからなぁ。」
「あんな馬鹿げた呪いを代々食らうなどあり得るわけないだろう。寝言は寝て言え。」
「いくらリューが大馬鹿の愉快犯だとしても、実の妹に呪いをかけるとは思いたくないが。他にそんな頓珍漢な呪いをかける宛もないか……。」
「俺がどう思われてるのかよく分かるな、あっはっは!」
俺と傍らに立っていた男、メッドの言葉を聞いて笑いながら机を叩く愉快犯。けれどもそれはすぐに潜まり、真剣な目つきへと変わる。
「でも残念ながら事実だよ。何せあの子が性別認識の変換を受けた時、俺は学院で勉学に励んでいる真っ最中だったからね。
……クアンタール家の女児は呪われている。十歳から先、肉体は何も変わらずとも周囲から女性として受け入れられることがなくなる。性別認識変換魔法は、それを当人に知らせないためのいわば隠れ蓑さ。」
「……馬鹿げた呪いだな。何故そんなものを掛けられる羽目になった。」
代々の呪いなど、常人にかけられるものではない。それこそ精霊か……あるいは。
「ルイシアーノ殿は聞いたことがあるかな?魔獣たちを統べるもの。《ヴォルクス》たちが信奉している魔の者たちを。」
「──おとぎ話程度の認識だな。」
精霊や人間と、魔獣。前者と後者では魔力の体系が異なるという学説。
そこから派生して生まれた寓話として、魔獣は魔獣で精霊とは異なる高位存在に加護を与えられているのではないかというものがあるのだ。
今回の問題を引き起こしていた《ヴォルクス》はその説を信じ、精霊とは異なるとされる高位存在……魔王や魔族と呼ばれる其れをあがめている。
彼らを祀ることで魔獣と同じ魔の力を得られると信じている狂人どもだ。
おかげで巻き込まれた厄介ごとを思い出して苦虫を噛みつぶしていれば、至極当然のように爆弾を目の前の男が落としてきた。
「あれ、事実なんだよね。で、そのうちの一人、一柱というべきかな? それがかけてきた呪いだ。俺がシグ──シグリアにあげた指輪をはめている時は魔法的効果と認識されて無効化できるけれど。」
「……いったいどんな恨みを買ったんだ。貴様の先祖は。」
この兄にあの弟……否、妹だということを考えれば、先祖も何らかのやらかしをしていたであろうということは想像に難くないが。
「あっはっは! いや、ご先祖様は品行方正に過ごしていたと思うんだけどなぁ。」
信憑性がいっそ見事なまでにない。
「それで、ここに来たのはあの子の呪いについて確かめるためだったのかい?」
「ああ、現状の把握をな。……それと念のため聞いておくが、呪いを解くすべはあるのか?」
自らの従者として在るならば解呪の方法まで探る必要はない。とはいえ継続している呪いである以上術者次第で変質しない保証もまたない。
呪いをかけた者よりも優れた力量を持っていれば解呪も可能だが……精霊とほぼ同格の魔の者がかけたとなれば人の手には余る。
目の前の男の言葉が真実という保証はないし、精霊に群がられていたという男ならどうにかして解呪できそうな気もするのだが。
けれども彼は首を横に振って返す。
天地を返すことすら容易そうな男でもできないことがあるというのかと地味に驚きを感じた。
「現状はない、かな。……とはいえ俺も無為に手をこまねいているわけではないからね。いずれ解呪のための機は熟すよ。」
「いつ頃だ?」
「あと半年くらいかな。それが結実するかは
その瞬間、表面上に浮かべている常の笑みはなく、真摯な瞳でこちらを見つめてきた。不謹慎ではあるが、こいつも一人の人間なのだとそこでようやく気づかされた。
「はっ、リュミエル殿に頼まれる筋合いもない。あれは俺の従者であり、俺のものだ。ならば至らぬ従者を補佐するのは俺の役目だろうよ。」
至極当たり前のことを口にすれば、向かい合う男の眉が左右非対称に上がり下がりする。口元にはまたいつも通り笑みが復活しているものの、随分と人間味が出てきたようにも感じた。
「それを
◆ ◇ ◆
「いやぁ、これからすっごい拗れそうだなあいつら。メッドはそうは思わないか?」
ルイシアーノが立ち去ってから二人に戻った詰所の執務室。しみじみとした心地で告げたリュミエルにメッドがため息で返す。
「拗れるというのなら今の時点で中々拗れているだろう。あのルイシアーノとかいう子どもにしても、お前の妹にしても。」
後者については暗に半分くらいはお前が原因だろうという圧が込められていたが、相変わらずリュミエルとしてはどこ吹く風だ。
「あっははは。否定はしないけれど、俺が言いたいのはあくまでこれからの話だよ。」
「否定くらいしろ……。」
眉間に手を当てるメッドを見ながら、リュミエルが姿勢を正す。
「俺が言いたいのは、あの子は執着ばかりで大事なことが見えていないってことだよ。
今のままあの子が……シグリアが呪いを解けば、彼の傍らにいる必要がなくなることすら理解できてない。」
「……。」
金の男は両腕を頭上へと伸ばして体をほぐす。けれども瞳は鋭く細められていた。
「俺は妹には恋愛結婚をしてほしいと思っているよ。少なくともただ“もの”としてあの子を認識する奴にあげるつもりはない。……まあ、最終的には本人の希望が一番ではあるけれど。」
「……はぁ。ならまだうちのちびすけが逆転をする可能性もあるわけか。」
その言葉に細まっていた翠が丸くなる。組んでいた腕が机の上に戻っていった。
「え、ミラルド君ってば、もしかしてうちの子に気があるの?」
「本人曰く、な。あの天然具合だからどこまで本気かは知らないし、お前の妹本人にはことごとく流されているようだが。」
気がついていなかったのかと珍しく機嫌よくメッドが笑いを噛み締める。
「──いやぁ、これは何も分からなくなってきたな。楽しみだ。」
《
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