11-2話 自覚と、

「ということがありまして。ハイネ先輩、結局あの場でいきなりルイス様に蹴りかかった理由をお伺いしてもよろしいでしょうか。」

「……。」


 言い訳をしようとしても無駄ですよ?と笑みの中にありありと圧を浮かべた。


 ユーリカに対して無体をルイスが働いていたのなら、過剰防衛をしでかしても仕方がない。というか先輩が蹴る前に私が殴る。だが、二人の証言からしても別にそんな険悪な状況ではなかったようだし。


 けれどもその問いかけにハイネ先輩は口を開かない。それどころか、その目線はどことなくこちらを気遣うように細められている。

 いや、嫌がるとか困るならともかく何故私が気遣われるような眼を向けられなければいけないんだ。浮かんだ文句は続くハイネ先輩の言葉で閉ざされる。


「自分は……、ユーリカを愛おしく思っている。妹のようにも、それとは異なるようにも。」

「は、はい。」


 想像の斜め上から直球で言われて思わずのけぞる。いや、自分事でないながらもはっきりとした物言いは照れるな。

 そこにフラグが立っていたのは存じ上げておりますとまでは口にしない。そもそも入学式のあの日の調子からしても、翌日のお茶会にしても好意はありありと見えていた。

 事件のことを考えると幾らかは妹と重ねていた箇所もあったのかもしれない。いや、だからと言ってゲームのハイネ先輩がやったことは同じようなクズ行動なので許されないが。


「だからだ。」

「すみませんよく分かりませんのでもう少しはっきりと仰っていただけませんか?」


 改心しようとヤンデレのフラグが折れようと人間性が丸ごと変わるわけではない。ディスコミュニケーション!!と内心叫びながらもハイネ先輩の腕を握りなおす。


 もうこうなったら全部吐かせるまで終わらないが!?その決意を新たに耳を澄ませていれば、声が聞こえてくる。──ハイネ先輩とは別の声。

 澄んだ鈴のような声ははずんでいて、ちょうど通路の曲がり角の向こう側から聞こえてきた。ユーリカの嬉しそうな声に、自然と私とハイネ先輩は顔を見合わせ、そちらの方へと近づいていく。

 消音魔法まで掛けたら偶々耳に入りましたという言い訳すらできなくなるというのに、自然と呪文を唱えてから曲がり角を覗き込む。


 赤とあお

 美しいコントラストの二人がそこには立っている。


 そういえば、ノアクルのパッケージの中央に並んでいたのはあの二人だったっけと。どこか遠い感覚で思い出す。

 いけないことをしている自覚はある。自らの主人はこういったことを好まないだろうとも。それでも、自然とその会話に耳を澄ませてしまう。


「演武、すごい迫力でしたね……!少しハラハラしましたけど、無事に終わってよかったです。ルイシアーノさんは怪我はありませんか?」

「遠慮なくハイネのやつが打ち込んできたから皆無とは言わんが、この程度なら治癒魔法で治るし些事の範疇はんちゅうだろうよ。俺としては彼奴があの愚か者どもを一撃たりとも殴らなかったことの方が驚きだが。」

「……うぅん。私の想像ですけれど、ハイネ先輩が辛かったのって、勿論その悪いことをした人たちへの怒りとか憎しみとかもあるでしょうけれど。誰も味方がいなかったことへの哀しみもあるんじゃないかって。」


 柔らかな声が紡ぐのは清らかな。人の悪性に触れてもなお善を信じようとする少女の声。

 私の隣にいたのがルイスだったらさすがヒロイン!と団扇すら振りたい気持ちだった。けれども隣に彼はおらず、少女の正面で金の瞳を瞬かせている。


「だから今回私たちがその犯人を探して、怒ってもいい、裁く権利があるって。そう伝えたのがハイネ先輩の救いになったんじゃないかって。……そうだったらいいなと思ったんです。」

「……はっ。全く甘いな。」


 そう言って笑うルイシアーノの声はけれどもやわらかい。貴様の甘さが移ったようだと笑う姿を、私は一度ゲームで見たことがある。


 ゲーム中のルイシアーノルート。

 彼はヒロインに対して暴力を振るい、心身共に彼女を傷つける。けれどもそれに耐えながらもなお愛を伝えることで、畏れなくとも良いのだと伝えることで彼は心を開く。その時の光景スチルと今の顔が、いやに重なった。

 心臓が嫌な音を立てる。


 冷静な頭は良いことだと。少なくともヒロインユーリカがヤンデレに捕まる可能性はぐっと狭まるのだからと言っているのに。引っ切りなしに鳴る心臓と背中を伝う汗がその言葉を聞き入れやしない。どうしてだと疑問に思いながらも、穏やかな会話は止まらない。


「そうでしょうか?それはきっと、ここで皆さまに良くして頂いているからだと思います。」

「その言葉自体が甘っちょろいと言うんだ。女に甘いうちの従者や貴様に泥のような甘さを見せるのと違って、貴様にそんなものを見せてやった覚えはないが?」

「……そっか。覚えてないんですね。」


 眉を下げて寂しそうに笑うユーリカの顔に、隣から舌打ちが聞こえる。一瞥したハイネ先輩の顔はとても歪んでいる。さすがに駆け出して蹴りを喰らわせることはもうしないが、それでも不満を隠しもしない。

 先輩は何か知っているのだろうか。そう訊ねようとしたところで、鈴の音が聞こえてくる。


「私、実は去年にこの学院に来たことがあったんです。家の仕事の手伝いで。その時に持ってきた花を落としてしまって……台無しにしそうになった時に、助けてくれた方がいたんですよ。」


 はにかむ姿はまさしく物語のヒロインだ。

 穢れなく、ただ純然に人の美しいものを信じている。愛を信じている。私のような捻くれ者とはまるで違っていた。


「花。……ん?」


 ルイスの眉間に皺がよる。何かを思い出しそうで思い出せないと言うように、口元に手を当てたのをくすくすとユーリカが笑った。


「ルイシアーノさんは覚えていないでしょうけれども。昨年のセレモニカの前にお会いしたことがあるんですよ。私が落として潰してしまいそうになった花を、歌をひとつ歌って潰れてしまった花を甦らせて……。」


 少女の語る話に覚えがあった。ゲームの中のセレモニカで、一定以上ルイシアーノの好感度が高い時に発生する。潰れてしまった花へと魔力を与えるイベント。

 それまで傲慢な姿しか見せていなかった男の、意外な一面を発揮させるシーンは、ファンの間でも人気が高いのだと聞いた。そうだ。私もあの光景を見て、二人がくっ付いた後のことを当時は夢想していたのだっけ。


 だと言うのに、今は冷や汗が止まらない。時折こちらに視線を寄越すハイネ先輩の顔も見れず、震える指先が壁をぎゅっと握りしめる。

 視線の先にいる少女は、ああ。間違いなく恋をしていた。目の前のルイスに。だからハイネ先輩も、きっと平静ではいられなかったのだろう。恋した人が別の相手を。それもその時は信用もできない貴族をだなんて。


 けれどもゲームのことを思えば、彼女をヤンデレの魔の手から救うことを考えれば。ある程度の改心を得た彼を想うこの流れは歓迎すべきことだと分かっている。理性では。けれども感情に支配された脳は別のことを考えていた。


 ──どうすれば、彼女は彼に幻滅する?

 ──どうすれば、彼女は彼を見なくなる?


「だから私、あの時からずっと。魔法に憧れていたんです。ルイシアーノさんみたいにすごい魔法で、沢山の人を喜ばせてあげられたらなって。」

「…………っ!!」


 限界だと背中を向けて駆け出した。

 消音魔法は優秀だ。咄嗟に声をかけようとしたハイネ先輩の声も、私の荒い息も、足音も何もかもを飲み混む。

 駆け出して、駆け出して。少しでも彼らから離れている間に私は呟いた。消音魔法の効果で、まだ声は聞こえない。


「(……私は、今何を考えました?)」

 ルイシアーノが彼女に幻滅さえされれば良いと。その為ならば……ゲームのシグルトがやったように、他者を使うことすら厭わないと。そうは考えなかったか?

 血の気がひく。けれども倒れるわけにはいかない。もつれる脚を前に進め、寮へと向かう。


 ヤンデレなんてもの、ふざけるなと思っていた。自分の気持ちばかりで他人をおもんばかることすらせず、挙句の果てに誰かを悲しませるなど、愚かな行動にも程がある。

 そう思っていたのは確かなのに。私は今、その道を一歩踏み出そうとしていたのだ。


「……っ、ぃてい……だ。」

 漸く効果が切れてきた消音魔法。掠れた声が喉から出る。痛みはないはずなのに、なぜか喉の奥が熱っぽい。気がつけば頬にも、溢れる涙が滴っていた。


「…………さいてい、だ。」

 押し殺すようにそう呟いて、乱暴に涙を拭い取った。

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