8-4話 感慨に浸る余裕もなく
「シグリア……?」
「シリアです、以前縁があってお話をしたことがあるのですが、まだお互い幼かったのできっと勘違いされているのだと。」
困惑する男たちに言い訳をしてから、そうですよねと抱きついてきた相手、ミラルドの顔を見て上品な笑みを浮かべる。
この笑みの意味? もちろん「余計なことは言わないで口裏合わせていただけません?」だ。
「あ、メッドお兄様がそういえばお話しされていましたぁ。ごめんなさぁい。」
「……分かっていただければよいのですけれど。そうですね、連れも参りしたので私はこれで。」
形ばかりのカーテシーをしてミラルドの腕を取り、足早に放蕩息子たちから離れていく。ある程度距離を取ったあたりで壁際の方へと進み、そこでようやく引っ張っていた腕を離した。
「急にすみません、引きずってしまいまして。それで、どうしてミラルドがここに?」
「ええっとですね。メッドお兄様とお父様が、ラジティヴのおばあ様に会いに行かれるからって連れてきてもらったんです。」
「……そういえば、血統的にはとてもよい出自でしたね、貴方。」
「そうなんですか?シグリアちゃんに会ってからは毎年、お父様がお仕事だからって一緒に連れてきてもらってますよ。」
遠縁ではあれど王家の血を引いている神官の一族だ。今宵の夜会が精霊行事も兼ねているとあれば、参加していてもおかしなことはない。
同時にメッドさんがどうやってこの会場にもぐりこめたかも理解できた。そりゃあリュミエルと一緒に実の母親捕縛なんてものに協力した後となれば、まともに動くことは叶わないだろうことも。
兄が警備に入っている以上無関係でいることは不可能だろうが、せめて自分の目に届くところにいるようにと父親が画策した……なんて可能性もありうる。
「それでね、メッドお兄様がシグリアちゃんがこっそりここにいるんだけれど、一人だと大変かもしれないから案内してあげてって。」
「いいのですか?貴方もお父様やお兄様のそばにいた方がいいのでは?」
正直場合によってはどこにもぐりこむ必要があるかも定かではない任務だ。以前の事件では被害者ではあったミラルドだが、ここでさらに首を突っ込ませていいものやら……。
「ふふ、大丈夫ですよぉ。こういうのってドキドキして面白いですよねぇ。このお屋敷、隠し扉とかたくさんあって楽しいんですよ。」
「じゃあ、折角ですし。」
一体どれだけこの屋敷に来ているのだろうか。ひょっとして来るたびに勝手に探検しているな? というかこの屋敷、そんな隠し扉とかあるの? 忍者部屋?
疑問は尽きないがそんな厄介な建物を捜索するとあらば、土地勘がある人の案内があるのは非常に心強い。ここは素直に言葉に甘えるとしよう。
「ほら、あそこ。あんまり見えないけど継ぎ目になってるでしょう?ご飯や飲み物を持ってる人が出入りしているんですよぉ。」
「厨房に繋がっているんでしょうか。言われないと扉があるなんて気がつきませんね。ぶつかる心配はないのでしょうか。」
「どうでしょう?前にテーブルがあるから、平気じゃないかなぁ。」
なるほど、三角に配置されたテーブルは取りやすさだけでなくて奥から出てくる人がぶつかる可能性を減らしているのか。
ミラルドに言われないでその場面だけ見たら、必要以上に疑ってしまったかもしれない。
勉強になると感心しながら歩いていれば、会場内に流れている音楽が変わる。
「あ、ワルツだ。ねぇねぇシグリアちゃん、一緒に踊りましょ?」
「ここではシリアです。……でなくて、踊る?」
いきなり何を言い出すのだろうか、この天然は。
およそ最後に会ってから三年の月日が流れ、身長は一気に私を追い越すほどに伸びたというのに天然具合は相変わらずだ。
「……ミラルド。私は遊びにここに来ているわけではないのですが。」
「はぁい。知ってますよぉ。お兄様のお仕事のお手伝いですよね。」
間延びした口調でほんわかと話す。ソルディアとしての要請が来て動いているわけだから間違ってはいないのだが、ニュアンスが肯定するには少々ためらわれる。
「でも、ダンスの時間で、シグリアちゃんも可愛い格好なのに踊らないのはもったいなくないですか?」
もったいなくないです。はっきり即断すべきだと分かっていても、一瞬だけ言葉が詰まる。頭につけていたバレッタが、会場の光を受けて輝いた。
「もったいな……いわけがないでしょう。私はこの後学院に戻ったらプロムナードにも参加するんですよ?」
同年代の人々が集まり新たな精霊の誕生を祝う場。最上級生の生徒がダンスの中心ではあるが、低学年である私たちも同様に踊りを楽しむことができる場所。
すでに何人かの同級生とは、一緒に踊る約束もしていたくらいには待ち遠しいイベント。
ただいうなればそこでの私はソルディアの一員、シグルトだ。こうして公の場でドレスを着て踊るという機会は、認識変換の魔法を掛けられている間はない。
少しだけそれが、惜しいなと思う。嫌だとか、悲しいというほど強い感情ではなく、ただ惜しいと。
その葛藤が伝わったのか、あるいは思ったことを素直にする性格からか、ミラルドが私の手を握って引っ張っていく。
「ちょ、ちょっと。ミラルド……?」
「いいじゃないですか。一曲だけ踊って、それからまた一緒に探しましょ?きっと何とかなりますよぉ。」
能天気すぎると言ってやりたい気持ちはあるが、腕を引かれて中央へと向かう私たちに、すでにいくつかの視線が向けられている。
ここで押し問答するよりも、一曲踊ってすぐに戻った方が注目は薄れるはず。……半ば自分に言い聞かせながらも、浮きたつ足取りを抑えきることは出来なかった。
軽やかな旋律が三拍子を刻む中、私たちは踊る。
周囲にはほかにもワルツに興じている者も多く、中へと入ってしまえば周囲の目線も気にならなくなってきた。
ステップを踏めばドレスの裾がふわりと浮き上がる心地は、燕尾服にはないもの。柄じゃないことは自覚しているが、それでも心が跳ねる。
「楽しいですね、シグリアちゃん。」
「……そうですね。うん、楽しいです。」
ここではシグリアじゃなくてシリアですと、訂正をしようと口を開きかけたが、今くらいはいいかと口を閉ざす。
学院で練習を重ねていたのとは逆のステップは、幼いころに兄と一緒に踏んだのと同じもの。あの頃は稚拙で、形にもなっていなかったけれども今はこうして踊れるようになっていたのか。
感傷にも歓びにも似た心地で曲の終わりが訪れるその時を円舞と共にまっていれば、ふと聞こえてきた潜めく声に翠を瞬かせる。
「──……
口の中で唱えたのは聴覚の強化呪文。魔力の有無にかかわらず単純に自らの聴力を拡大させるものだ。
『──……たり……準備……毒………』
『湖……地下……抜け……が確保……』
会場中の無数の音の中で、確かにその不審極まりない単語をとらえる。
視線を向ければ、貴族と給仕が会話をしている姿。やがて給仕らしき男が先ほど見ていたような形で、ホールの隠し扉の一つから外へと出ていく。
──いや、今のどう見たって怪しいですよね?
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