11-5話 大人たちの会話 下

「先生は不思議に思ったことがありませんか?なぜこんな魔の森の目と鼻の先に学院があるのだと。」

「む。まあ確かに一般の生徒たちにとっては物騒だからな。大樹を擁するにしてもせめて魔の森を面さない構造にすることはいくらでも出来ただろうに。」


 運動場とつながっている魔の森は極稀ごくまれに魔獣の目撃情報があるから厄介だ。昨年だけでも幾度か討伐に向かったことは記憶に新しい。


「あれも理由があるんです。魔の森には彼らの信望する一柱が封じられていますから。その封印が解けた時にすぐに気づけるように。要は監視の役割ですね。」

「……は?」


 限界まで目を見開いてから数秒。

 ようやく言葉を飲み込んだカーマインが爆弾発言の主へと食ってかかる。


「待て待て待て! 彼らというのは魔獣のことか? 魔獣どもの信望する一柱などと、四大魔族のことに他ならないんだが!?」

「先生、もう少し声を抑えてください。シグが起きたらどうされるんですか。」


 けれども詰められた方は呑気なもの。勢いに臆するでもなく、抱えている自らの弟妹ていまいの安眠を優先する始末。これにはさすがのカーマインも眉間に手を当てて苦言を呈さずにはいられなかった。


「はぁ……。良いか、リュミエル。四大魔族は今では逸話として形作られてはいるが、その存在は事実だ。実際二百年ほど前の記録で四大のうち二柱が目覚めて多くの被害が出たと言う話もある。その内の一柱が、あの魔の森の傍にだと??」

「ええ。もう封印も弛んでますし、今のソルディアメンバーが在学中には目醒めるんじゃないかな。」

「気付いているのなら封印し直せ……。」


 当たり前のようにとんでもない話をしてくれるものだ。かつての記録でどれほどの死者が出たのか、この男は憶えていないのだろうか。その心すらも読んだように、くすくすと笑い声を零しながら指を振る。教えてもいないシグルトの部屋が動きに合わせてゆっくりと開いた。


「今代のソルディアの面々次第ではありますけれど、以前のように最悪のことにはならないと思いますよ。《黎明をドゥーン告げし謳プロフォス》のお墨付きです。」

「……キミの契約精霊たっての言葉なら信じられるが。それにしても、良いのか?」

「何がです?」

「今の言い方だと、キミは手を出さずに彼らに任せると言っているように聞こえるが。」


 視線はリュミエルの腕の中。自身の教え子へと向けられている。今は健やかな寝顔だが、腫れた瞼は先ほどまで思い煩いをしていたであろうことが伺えて。

 崖獅子ウォーリオンは子を崖から突き落とすというが。先だっての潜入依頼といい、今の話といい、無茶を当然のように放り与えている。かと思えば、今のように部屋まで運ぶことを厭わず、慈しむ目線すら落としているのはどうにも奇妙に感じられた。


「ええ。俺が出張る選択肢もなくはないですけど、近隣一帯焦土にしでかしそうですし。」

「キミがいうとシャレにならないな!?……ではなくて。四大魔族は記録として残るだけでも強大な存在だ。彼らに任せられるという保障はあるのかね。」


 或いは、本当に燃やし尽くすリスクを天秤にかけたとしてもリュミエル自身に任せた方がいいのではないだろうか。記録に残るかつての事件では、首都一つすら滅ぼしかけたような者たちだ。

 半ば睨みつけるように金の髪を見つめれば、くすぐったさそうに頬を緩ませる。


「先生ってば、そんなに見られたら俺に穴が空いてしまいますよ。」

「それは魅力的な申し出だね。ワタシの痕がキミに付くのか?すぐさま治癒してしまいそうなところがありそうだが。」

「あっははは!……っと。そんなに心配なさらずとも大丈夫ですよ、あの子たちなら。」

「実力面は心配していない。フェルディーンを筆頭に皆優秀な者たちだ。だが、先の精霊の話もそうだが、精神面については幾許かの課題も見受けられるだろう。」


 万一強大な力を前に臆することがあれば。

 否、臆するだけならばよい。《ヴォルクス》の者ども同様にその力に惹かれでもしたら、文字通り目も当てられないではないか。


「うぅん……。先生が心配されるようなことはないと思いますけれどね。まあ、俺もシグが必要以上に心乱される可能性は回避したいものですし。今後に向けて言付けを一つお願いしても?」

「何?」


 柔らかな寝台にシグルトを寝かしつけた青年は振り返り、カーマインへと言葉を告げる。

 自らの弟妹ていまいに向けてではないのかとか、その言葉は喧嘩を売るだけではないかとか。ツッコミどころは山ほどあったのだが。

 まあ。リュミエルが満足げにしているから良しとしようか。あらゆることをカーマインは飲み込んだ。


「……分かった。すぐに告げる必要はないんだな?」

「ええ。機が満ちるのは先でしょうし、それこそ四大が目覚めてから先生が思い出した時で大丈夫ですよ。」

「永遠に来てほしくないタイミングだな。」


 国にとっても重大な話をしているというのに、変わらずリュミエルの笑みは柔らかい。未来を見透かす契約精霊の力は既に学院で共に過ごした五年間で嫌というほど知っていた。何とかなる保証があるのだろう。


「なに、心配はいりませんよ。」


 部屋の窓を開け、その窓枠へと足をかける。カーマインの元へ来た時と同じように窓を通って帰るつもりかと慌ててそちらへ駆け寄れば、それよりも早く振り返ったその透明な笑みに足を停める。


「彼らなら何とかできますよ。出来てもらわないと困る。そのために俺は、黒のNoir 心臓 coeurを作ったのですから。」

「…………なに?」


 聞き慣れぬ単語に目を見開いて。けれどもその真意を問いかけるよりも早く、その足は窓の桟を蹴って空へと消えた。

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