11-4話 大人たちの会話 上
月輝く夜は精霊たちが活発に踊る。彼等と契約を交わしたものだけが分かる感覚に心が浮き立つ。
一節では月の満ち欠けが身体に影響するものだといわれるが、ティルキス=カーマインは長らくソルディアの顧問を務めており、この感覚を重視していた。
こんな日は何か想像だにしないものが来訪するものだと、物語では相場が決まっている。小さくも軽やかなリズムで窓ガラスを叩いて──。
「……ん? は??」
幻聴かとも思った音は実際に響いていた。窓へと視線を滑らせた後、思わず二度見してそれからすぐに窓に駆け寄る。
「やぁやぁ、お久しぶりですカーマイン先生。ちょっと一つお願いがあるのですが良いでしょうか?」
「リュミエル!? キミがワタシの元を訪れるなど珍しいな! 更には頼みなどと、キミは在学中も滅多に人を頼らず、何でも自分でしていたというのに!」
「あはは。まあ今回も勝手にやっていいなら出来なくもないのですが。」
そう笑う彼を上から下まで三度眺めてから気が付いた。彼が腕に抱えている存在に。
緩みきっていた頬が
「……クアンタ―ルか? 今日のセレモニカの儀の後、疲労が残る状態で寮に戻ったと報告には上がっていたが。」
セレモニカの儀の後。
それも今回はイレギュラーが山ほどあったこともあり、各人の状況についてはカーマインも気にかけていた。
眠っているシグルトの目元は赤く染まっており、痛々しくも見える。窓を開け放てば、大切な宝物を抱えるようにしながらリュミエルが床へと着地した。
「青春の一環でしょうか。色々思い悩んでたみたいで。終いには俺に手紙を出してまで助けを求めてきたんですよ。」
可愛いでしょう? と冗談交じりに笑う男。けれども瞳に浮かんでいるのは慈しみと温かさ、そして純然たる親愛。
「……つまり今日手紙を送って今日ここに来たと。ソルディアの印を勝手に使ったな。」
「そんなに怒らないで上げてくださいね。生徒なら誰でも一度は経験しません?」
「否定はしない。それで祝福を送りつけるような無茶なマネでないだけマシだ。」
「おっと、藪蛇でしたね。……それで執務室で話をして、この子も落ち着いたんですけれど代わりに眠ってしまって。ソルディアのメンバーとして執務室に行くだけならさておき、寮に勝手に入るのは問題じゃないですか。」
だから先生に助けてもらおうと思いまして。悪びれずに笑うリュミエルにむずむずとした感情が湧き立つ。
仕方がないと鼻を鳴らす教諭の顔は、満更でもなさそうだ。
「まったく。本来任務でもないのに卒業生が学院に侵入すること自体が問題なんだが?」
「それくらいはお目こぼししてくださいよ、先生。」
「ワタシにクアンタ―ルを預けてこのまま立ち去る選択肢もあるだろう。」
「折角愛しのシグに頼られたんですから、最後までカッコつけさせてくださいよ。
それにほら、案内してもらうついでにカーマイン先生とも久しぶりにゆっくりと話が出来ますし。」
手紙をもらって文字通り飛んできたのだろう。傍らによくいるリュミエルの友人、メッドの姿はここにはない。
こちらに毎度会うたびに威嚇を向けてくる男がいないというのは、カーマインとしてはいい気味だという以上の感覚はなかった。
「……後で他の奴にばれないよう細工をするのなら、良いだろう。案内をしてやる。」
カーマインとしても卒業した彼と言葉を交わす機会を逃すつもりはなかった。口元を緩ませて先導すれば、リュミエルもその後を続く。
◆ ◇ ◆
「に、したところで。クアンタ―ルがそれだけ思い惑うとは珍しいな。何があった?」
「いえいえ、青春に大人が
誰もいない夜の廊下。寮内で生徒たちの安眠を妨げることのないようにと薄い空気の幕を張る。消音魔法の応用だ
濃紺の夜が幕で淡い色彩へと変わる。けれども浮かぶ月の鮮やかさは変わらない。
「それで生徒の健全な精神が保たれないとあれば話は別だ。ワタシはソルディアの顧問として、彼等に対する責任がある。」
それはキミに対してもだぞと後ろに視線を向ければ、驚いたように丸まった瞳が緩やかに細まった。
「俺のことをそう心配するなんて、先生とメッドくらいですよ。……なら一つ。先生は精霊の囁きを耳にした事はあります? 或いは認識というべきでしょうか。」
「精霊の? まさか。精霊はワタシたちとは比べ物にならない程に高位の存在だ。声を聴ける者など限られている。今生きている中ではそれこそキミくらいではないか?」
「いやいや、そうではなくてですね。」
それまでずっと後ろをついていたリュミエルが一歩前に躍り出た。
腕に青年を抱えているとは思わせない、軽やかな足取りで身をひるがえす。
宵闇の精霊がその周りを舞い踊った。
「──先生は感じたことはありませんか?
それが正しいことではないと理解していても、“やってしまえばいい”と背中を押される感覚を。」
「……。」
カーマインにも覚えがあった。
一番初めに耳にしたのは数年前。目の前にいる笑みを絶やさぬ男が盛大にこちらを振り回してくれた時だ。
簡単に無茶をする教え子に対して、誰も見ていない場所でも同じようにしでかすのではないかと。仔細に動向を見張らねば何をするか分からないと焦燥に駆られたことがあった。そう、管理をせねばならないと。
そのことすら見抜いているように、穏やかな翠の
「あれこそが精霊の囁きですよ。精霊たちが若者が集う学院を
理由は二つありますが、その内の一つとして彼等は人の情動を好むんです。だからこそ、多感な年頃の彼らから契約者を選ぶ。」
「聞いたことないぞ、そんなこと。」
「言う必要すらないのでしょう。どのような理由だとしても、彼等と契約をするのに適しているのがその年代だということに変わりはないのですから。
けれどもその情動を好む結果、自らの契約者がその情動に支配されそうになっている時に、彼等はいとも容易く背中を押す。そこに悪意はありません。あくまで己の契約者の力になろうというだけ。まあ、だから厄介なんですけれど。」
「……全くだな。皆大なり小なり我が強いとは思っていたが、まさか精霊が関わっていようとは。」
「だからこそ、その時に導ける人が必要なんですよ。そこは先生に俺は期待してますから、よろしくお願いしますね?」
「──責任重大だな。」
だが、無理だとは言わない。
それがこの学院で教諭として働いている自分の役割でもあるし、その声から目を覚ましてもらった者としての役割でもある。
『──心配してくれるのはありがたいですが、こういったやり方はおいたが少々過ぎますよ?』
年長者に敬意を忘れない男の嗜めるような物言い。澄んだ翠で光っていた瞳に、血の気と共に理性が戻ってきたのだ。
あのままでは自分はそれこそどんな手だって選ばずに取っていただろう。その熱を彼が抑えた。そうでなければ今頃隣にいる男の四肢を切り落とそうとしていたかも知れない。
もし腕の中のシグルトが目を覚ましていたらなんとも言えない顔をしたかもしれないが。それでもヒートアップはだいぶ治まっているのである。
閑話休題。
「私のような頑固者に取れる手段は限られている。だから助けを求められた時にしか動く気はないが。それでも約束しよう。生徒たちの心身の平穏のために出来ることをするとな。」
「十分ですよ。ありがとうございます。」
「キミに感謝されずとも教師として当然のことだ。それで、この学院が
そう訊ねると翠の瞳が遠くを見るように動く。心なしか腕に力が入ったような気もするが、そのことを問う前に彼の口が開かれた。
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