【改稿版】1-4話 VSルイシアーノ

 たどり着いたのは我が家の数倍はありそうな広大な屋敷の応接間。

 向かいにいる清楚な女性はフェルディーン夫人だ。とても一児の母とは思えない華やかさ。ましてあのヤンデレの母がこんな優しそうだとは。

 人生とは不可解なものである。


「さ、お前も挨拶なさい。」

 挨拶を促されとっさにドレスの裾をつまむ仕草をしかける。

 だが今私が身につけている少年用の背広につまめる裾なんてない。指先が宙を描いたのを慌てて取りつくろった。


「シグルト=クアンタールと申します。未熟な身ですが、侯爵夫人の御期待に添えるよう、出来る限りの事をさせて頂きたいと思っております。」

「いいえ、とても礼儀正しいわね。」


 さすがはソルディアの中でも天才と名高い、リュミエルの弟君ね。彼女の言葉に眉を下げてわらう。

 本当に偉大な“兄上様”だ。


 ソルディア入り内定も同然だと前評判が広がっていた主人を押し退けてのソルディア入りは、当時ひどく話題になったらしい。

 入学してしばらくは多くのやっかみを受けたという噂や我が家に届いた呪いの品々もあったが、それも気がつけば止んでいた。

 表向きは何事もなく学年主席を獲得。二学年次ながら魔法騎士の内定を貰った男。将来は侯爵家以下から輩出はいしゅつされる初の騎士団長候補とすら囁かれる兄。その偉大さをこの二年間だけでどれほど耳にしたやら。


 とはいえ今日はむしろ安堵を抱く。

 お邪魔する前、今日の日が昇ると共に行った“性別認識変換魔法”の効果もあってか、私が女だとは気付かれてはいないようだ。


 ──果たして、効果があるとするならばの話だが。顔が歪みそうになったのを押し留める。


 トカゲの目玉だか、イモリの尻尾だかが入ったという液体の薬──何故かほのかに甘みがあったのがまた嫌だ──を飲んで、やたら複雑な魔法陣の中央に立って朝日を浴びる。

 どこの黒魔術だ。あるいは新手の詐欺か?

 本当にアレで性別を偽れるなら世の中が性別不詳の人間で溢れかえる日も遠くはない。


 まあ、今の私は成長期も来ていないので腰まであった髪をばっさりと切り落としてゆるく一つに結びまとめた。

 服装も男物とあれば、魔法がなくとも今の私は充分少年に見えるだろう。


 成長期になって、あるいは何かアクシデントでバレた時にどう父親に全ての罪をなすりつけるか考えればいい話だ。


「息子……ルイシアーノは私や主人が甘やかして育てたのもあってか、ちょっと我儘なところがある子なの。何かあったら遠慮なくいって頂戴。」


 我儘なんて表現ですむんですかと言いかけたのを飲み込んで微笑みかける。

「ありがとうございます。…ところで、ルイシアーノ様は何方にいらっしゃるのでしょうか?」


 そう。折角の初顔合わせなのに肝心の主がいないのだ。そして私にはその理由も分かっていた。

 大体メタ的に。


「それがあの子、たくさんの人前で自分の従者になる人と逢うのは恥ずかしい、って言うのよ。」

 だからごめんなさい、と申し訳なさそうに告げられた言葉で確信に変わる。


 間違いない、これはゲームと同じ展開だ。


 ルイシアーノ様がどこへいらっしゃるかを尋ねて丁重に場を辞す。

 さすがは侯爵家、廊下に置かれた調度品も、我が家の品より桁一つ以上跳ね上がっていそうだ。


「こちらがルイシアーノ様の自室となっております。では私はこれで…」

 案内役の女中が部屋前で挨拶するや否やそそくさとこの場を離れる姿を見ても、使用人からは良い感情を持たれてはいなさそうだ。


 浅く息を吸い、深く吐く。

 気が重いまでとはいかないが緊張する。意を決して扉を叩くと、声変わりが終わっていない高い声が室内から響いた。


「開いている、入れ。」

「失礼いたします。」


 窓際にはゲームそのままの彼が幼くなった姿。見目麗しい少年、ルイシアーノ=フェルディーンが立っていた。


 南国の海を思わせる碧色の艶やかな髪、陽の光を吸い込んだ様な金色の瞳。

 身長は今のシグルトより少し低いが、堂々たる立ち振る舞いはそう感じさせない。年相応の丸みを持った顔に少々不釣り合いな鋭い目尻が不機嫌そうに吊り上がっている。


「遅いぞ、愚図ぐず。主となるこの俺を待たせるとは、着任早々いい度胸をしているな。」


 あー、うん。こんなキャラでしたねー。生温い気分になった。

 そうだ、コイツはヤンデレである前に俺様だった。

 高い身分と優れた才に加え、両親からの溺愛もあってか、世界の中心は自分だといいたげな佇まい。


 ゲームの中でも二人の邂逅について触れられていた。

 従者として初めて屋敷を訪れたシグルトは、自分の主となる少年の傲慢さに面食らう。その時に発せられた彼の言葉は、シグルトの劣等感を正確に突き刺すのだ。


 こちらの彼も矢張りというべきか。

 靴音を鳴らして近づいたかと思えば胸倉を掴み、鼻で笑いながら言葉の刃を向けてきた。


「母上から何か吹き込まれでもしたか?腑抜けた顔をしているぞ。

 ……だが、所詮しょせん男爵家程度の貴様が選ばれたのは、貴様の兄の威光があったからだ。」

 貴様自体には何の価値もない、それをよく弁えて精々尽くすことだな。


 嘲弄ちょうろうするルイシアーノに真っ先に覚えたのは恐怖ではなく。


(ゲームの流れその通りです本当にありがとうございました!)

 その一言だった。


 ゲームにおける攻略対象には彼らなりの苦労や苦悩がある、とは述べた通りだ。

 それは穏やかでフェミニストとして描かれていたシグルト=クアンタールも例外ではない。


 彼の中には兄の存在がコンプレックスとして大きく立ちはだかっている。


 物心ついた頃から自身の兄が偉大さを聞かされ、極めつけには『貴方も兄の様になりなさい』という言葉で締めくくられる。

 どれだけ血の滲むような努力を陰で重ねても兄に辿り着くことは出来ず。更に上を目指せと言われ続ける。


 ヒロインの誹謗中傷を流した時のきっかけもだ。

 兄の存在をヒロインに知られ、兄に彼女までも取られてしまうのではと不安に思ったからなのを考えても根は深い。


 そんな少年にとって“兄の存在がなければお前には何の価値もない”という言葉の刃を投げられるのは、息の根を止めるに久しい。人の嫌がる所を突くのは天下一品だな、こいつ。


 もし私がゲームの『シグルト』だったなら今の言葉は非常に効果的だった。

 顔を歪ませ、動揺する姿を晒し、追撃を喰らう所だ。そうなればルイシアーノとの精神的上下関係も決定的な物となったはずだ。


 事実、ゲームでは殺害未遂イベントが起こるまでシグルトは気遣いをヒロインへ見せても主に逆らうことはなかった。このヘタレが。

 だが、奴にとっては残念ながら、私にとっては幸いな事に。今この瞬間はゲームではない。現実の場面だ。


「その言葉をそっくり返させて頂きます、親の七光りが。」

 だから私は奴の言葉をあっさりと、快活に斬って捨てた。



 そう、『私』は別に其処まで大層な劣等感を兄に抱いてはいない。

 奴の破天荒っぷりには幾度となく苦渋を味わってきたし、誰でも一人全力でぶん殴れる権利みたいなのを手に入れたら“あの”父よりも先に兄に使うだろう。

 そんな兄なのに周囲から高い評価を得ていて、親類との集まりで度々話題に挙げられているのを見て複雑な気分になったことも確かにある。

 別に猫被りという訳ではないというのに。


 だが、偉大すぎる兄に対するコンプレックスを感じた事はほとんどなかった。


 一番の理由は、やはり私が女だからか。

 この世界は文化的にまだ中世的な認識が主なのか、男女による役割の違いが大きい。

 女は家を護るものという固定観念の強さもあり、親類も使用人たちも私に兄のようになれと告げる者は居なかった。


 ──まあ、兄のはっちゃけっぷりがゲームより断然ひどい可能性も十分あるが。

 何かにつけて兄と比べてくる人がいないのだから兄に対するコンプレックスが大きく歪む事もない。

 まあ、これから先、男として生きている内に劣等感が芽生える確率はゼロではないが、今この瞬間は微塵も存在していないので遠慮なく嘲笑あざわらえる。


 暴言を吐く側は慣れていても、受ける側は慣れては居なかったのだろうか。

 分かりやすく硬直するルイシアーノに「僕が従者となるために来たのは貴方がフェルディーン家の嫡男だからということを肝に叩き込んでおいて下さい。貴方個人には何の敬意も感慨も持っていません。」と笑顔で追撃を掛けるのも忘れない。


 甘やかされて育っている傲慢お坊ちゃんに向ける言葉としては少々刺激が強かったのか、呆然とした顔をしている。貴方が言っていた内容をそのまま返しただけなんですがね。

 信号機の様にくるくる変わる顔色を見て愉快な気分になる私は間違いなく底意地が悪い。

 大体ウチの家族連中のせいだ。


 酸欠の金魚の如く顔を真っ赤にしてパクパク口を開いていたルイシアーノだったが、半分怒鳴る様に声を荒げた。


「生意気なっ!!俺が一言母上に告げれば、貴様ごときいつでも罷免ひめん出来るのだぞ!」


 この年頃で罷免ひめんなんて言葉を使えるとはやるな、と明後日の方向に思考が飛びかけるが、再び売られた喧嘩をスルーするのも失礼だろう。

 うっかりそのまま解雇でもされたらヒロインがどんな目に遭うか……考えるのも嫌になる。


「お好きにどうぞ。」

 ある意味本心の言葉に一拍置き、続ける。

「その場合、ルイシアーノ様は同年代の子どもに正論を言われて言い返せず、母親に泣きつく甘ったれという事になりますね。」

「なっ……!!」


 いいえ?いいんですよ?

 純然たる事実なだけですし、僕としても特に問題はありません。今自分の顔を見たら眩いばかりの柔らかな、何処か冷え冷えとした笑みを放っているのだろう。そんな確信がある。


 沈黙を破ったのは向こうの声。

「──良いだろう。そう言う程度の根性があるならば、精々こき使ってやる。後で他の奴に泣きついても知らんぞ。」

「こちらこそ。その横暴さを叩き直して差し上げます。覚悟してくださいね。」

 ……道程はまだまだ長そうだけれども。




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