13-10話 一から千で漏れること

「ハイネ先輩、いらしていたのですね。ユーリカの容態はいかがです?」

「……シグルトか。相変わらずだ。」


 ルイシアーノも目覚め、未だ目覚めないのは彼女ユーリカ一人となった。


 治癒を受けて夕方に訪れた彼女の寮は、万一ルイスのように錯乱した時の被害を抑えるために別場所へ生徒を避難させたらしい。

 四大魔族が目覚めたことで貴族の子女の大半は実家に避難している中、とくにこの寮は静かな気がする。

 窓際に置かれていた花瓶に花を差し、水を注ぐ音すら部屋の中に響き渡る。



「ルイシアーノ様が目覚めたことですし、彼女も近いうちに一度は目覚めると思うのですが……。錯乱されているかもしれない恐れはありますが。」

「だが、起きない限りはこちらに打つ手がない。…………瀬無せない。」


 下唇を噛み締めるハイネ先輩の横顔の隣、私も視線を床へと落とす。少しでも早く彼女が目覚めてくれたなら。

 そこでふと、ハイネ先輩がつぶやいた。


「……これは一つの可能性だが。」

「なんでしょう?」

「指輪だ。」

「すみませんもう少し説明をください。」


 相変わらず最低限のことしか話さないのは彼も変わらない。内心で頭をかかえる私をよそに、ハイネ先輩は淡々と紡ぐ。


なんじは以前、忘却魔法で忘れさせられていた自分の過去の事件にまつわる記憶を思い出させる為にあの指輪をはめさせた。原理は理解していないが何らかの魔法的術式に影響するのならば、あの指輪をはめれば彼女も目覚めるのではないか?」

「あ……!なるほど。」


 それは一理ある。試してみる価値はありそうだ。

 想いを自覚してからはなるべく持ち歩くようにしていた指輪を取り出し、ベッドの傍らにひざまずいて少女の指へとはめてみる。


 ……数秒間が経過する。


「…………起きそうな気配はありませんね。」

「そうだな……。指輪の効果が限定的か、或いは魔族の魔力構造の問題か。」


 ようやく活路が見えたと思ったのに。

 手を握りしめたその時に彼女の呼吸が変わったことに気がついた。それまでの眠りに落ちた深い呼吸から、どこか浅いものに。今ならば、声をかければ目覚めるかもしれない。


「ユーリカ、ユーリカ!」


 彼女の肩へと手を添えて軽く揺さぶる。長い紅色のまつ毛がいちどにどと震えるのを、食い入るように見つめれば、その奥に隠れていた紫色がうっすらと綻んできたのに歓声をあげた。


「良かった……!起きたんですね、ユーリカ。大丈夫ですか?痛いところはありませんか?」

「────。」

「…………ユーリカ?」


 虚ろな目でこちらを見る少女の光ない紫。背筋を何か冷たいものがよぎった。反応が遅れた私の肩を力任せに掴んだハイネ先輩が、思いっきり後ろへと引く。


「……っ!! 避けろ! シグルト!」

「うわちょ……っ!」


 何をするんですかと文句を言う間もなく、頬に鋭い痛みが走る。

 風の刃、否。ぱっくりと避けた頰の傷の向こうに、真っ赤な鎌が存在した。


「──避けられちゃいましたか。次は外しませんね。シグルトさん。」

「………………ユーリカ?」


 真紅の鎌を持っているのは、先ほどまで倒れ伏していた可憐な少女。けれどもその表情は、酷薄な笑みで満ちていた。

 爛漫らんまんな普段の彼女からは想像もできない姿。衝撃を受けると共に、何故だろうか。ひどく既視感を覚えた。


 必死にその答えを探そうとしている間にも、ハイネ先輩とユーリカは言葉を交わす。


「……フェルディーンの様子もあったからもしやとは思ったがな。ユーリカ。なんじもあの夢のせいで正気を失っているのか。」

「ふふ、おかしなことを言いますね。ハイネ先輩。

 ……夢は確かにみました。とても悲しい夢を。でもそれは現実でもあった。だから私はそれを壊す為に、この武器を取ったのです。」

「あっ、」


 脳裏に閃いた光景に小さく声をあげれば、二人の視線がこちらへと向いたのを感じて思わず身をすくめる。

 いや分かっている。今は正気を失っているユーリカを元に戻すことが最優先だ。他のことにかかずらっている余裕はない。


 分かっているけれど、理性とは別に本音が勝手に脳内であふれ出ることもあるわけで。


「(あん……っのクソリュミエル!!!!)」


 表情だけは平静さを保とうとしながらも、取り出した短剣を持つ力は強くなる。


 そう、あのユーリカの持つ鎌と先ほどの言葉。どちらも黒のNoir 心臓 coeurのパッケージに刻まれていた。


 ──ユーリカの闇堕ちヤンデレルートがあるのなら先に言えあの馬鹿兄!!!


 兄は悪くないのだが、兄が悪い。

 一から千まで吐き出せと言ったはずだ。


 半ば八つ当たり的に、全部が終わったらあらゆる手で報復してやると腹に据えながら、眼前のために今はそれらの設計をかなぐり捨てた。

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