6-10話 問題と優先順位(三人称視点)

 幾らかの課題があったとして、時間の流れを止める事はできない。

 場はセレモニカの儀当日へと移り変わる。

 冬の精霊が眠り、春の精霊を目覚めさせるための儀式を行う時。皆この日のために各々の役割を修練してきた。


 だというのにホールの舞台袖では焦りにも似た空気が流れている。出どころを探してみれば青年……ルイシアーノが苛立ちを覚えていることに誰もが気がつくだろう。腕を組んだ人差し指はひっきりなしに二の腕を叩き、眉間にはシワが寄っている。


「あの馬鹿は一体どこにいるんだ……!」


 もうすぐリハーサルがはじまるというのに、セレモニカの儀を行うホールには彼の従者、シグルトの姿が見当たらなかった。


「そうですね……先ほど準備の時には姿をお見かけしましたから、寝坊というわけではないでしょうが。」

「有志の生徒たち幾人かにも心当たりを聞きはしたが、備品を確認して回っている姿を見たのが最後という話だったな。」

 アザレア先輩とカーマイン先生の言葉に元々底辺だった機嫌が地に落ちる。このままでは下手をすれば本番にも間に合うまい。


「……はぁ。世話をかけさせるやつめ。先生、先輩方。あの大馬鹿ものを探してきます。」

「そう慌てずとも、今は他の生徒の方々も探してくださっていますし。今は待った方がよいのではないでしょうか。」

「そうだな。このぎりぎりの刻限に一人のみならず二人もソルディアの人員が欠ける方が問題だ。」

「セレモニカの儀は精霊行事。学外の方もいらっしゃる重要な行事ですものね。」

 暗にこちらを制してくる二人の言葉にも、ルイシアーノは譲らない。


「いえ、あの大馬鹿者はお人好しで女と見れば誰にでも甘い愚か者ですが。

 だからといって自分に課せられている役目を投げ出す阿呆あほうではない。」

 あり得るとして、以前の誘拐騒動のように何やら面倒ごとに首を突っ込んでいる場合か。だとしたら優先順位を考えろと怒鳴りつける必要がある。


「何より、アレは俺の従者モノだ。なら俺が探しにいかない道理もない。本番の時間までには戻ります。」

 そうとだけ言い放って踵を返す。

 けれども立ち去る直前に金の瞳は、無言を貫き続けていた男へと注がれていた。



 ◇ ◆ ◇



 さて、ホールを出て歩き出したは良いものの、このままではなんの手がかりもない。

「まったく、手間をかけさせるやつだ。……盲いた者も視透せよエラーマ・オンブル その本質をマナ・オド・フィラ

 呪文を唱えれば視野に変化が訪れる。魔力を視ることに特化した視覚強化だ。残る痕跡を辿るまでは難しいが、壁程度ならば透かして魔力の持ち主を探れる魔法は人探しに向いている。


 付近にはそれらしき魔力が見つからない。これは本格的に足を使って探し回る羽目になりそうだと嘆息しながらルイスが一歩足を踏み出す。

 とん、と胸元にぶつかる感触。

 それとともに、耳に微か聞こえた異音。



 術の解けた眼で下を見れば、燃えるような赤い色をした髪。

 向こうもぶつかったことに気が付いたのだろう、視線が持ち上がり、少女の持つ紫の瞳とルイスの金が交錯する。学院では見ない顔だ。服装も。


「あっ、ごめんなさい……っ!」

「いや。前を見ていなかったのはこちらも同じだ。」

 弾かれるように後ろに下がり、謝罪をしてくる少女に自らの胸元を軽くはたきながら返す。先程の接触で花粉が付着してしまったらしい。

 視線を少女よりも更に下にさげれば、花弁がひとつ、ふたつ。どうやら先ほどぶつかった少女が抱えていたらしい。

 小ぶりな花はまだ寒い最中でも春を想起させる。今日執り行われるセレモニカの儀の為に持ち込まれたのは一目瞭然だった。恐らく運送の手伝いをしていたのだろう。

 どうしたらいいのかとおろおろしている少女を前に、ひとつ息を吐きだす。


「はぁ……。仕方がないな、これがないからと精霊が機嫌を損ねでもしたらたまらん。」

「え……?」

「独り言だ、それより。」


 花弁がひしゃげ、茎と葉だけになってしまった花束を少女から取り上げる。それから地に落ちていた花弁を拾い上げた。まだ落ちてすぐだし、どうとでもなるだろう。

 それから、喉に力を込めた。

 喉だけではない。その手指の末端まで意識をして、魔力を通す。自らの内部に溶けている精霊に伺いを立てるべく。


 魔力を織り交ぜた吐息を吐き出す。

 謳うは旋律。

 変声期を過ぎた男性の落ち着いた声音。


 今日の演目の曲ではないが、重要なのは音程ではない、歌詞でもない。己と精霊の魔力の波長を合わせること。精霊の力に身をゆだねて発動リモータルすること。

「わ、ぁ……!」

 感嘆の声が遠く聞こえる。少女の目の前では、奇跡と呼びたくなる光景が広がっていた。

 奇跡ではないとその言葉を聞けば返すだろう。ルイシアーノにとってそれは、ただ植物の治癒力と成長力を強化させてやっただけに過ぎない。


 けれども精霊が与えたもうた力により、分断された花弁と茎が震える。花弁は粒子となり溶けていき、成長を早送りするように粒子を吸収した茎は再びつぼみをつけて開花しはじめた。


 瑞々みずみずしい花束へと回帰したのを見て、歌を止めたルイシアーノは包みごとそれを少女へと返す。

「これで問題はないな?なら俺はもう行く。」


 ただでさえあの迂闊うかつな従者を探しに行かねばならないのだ。これ以上のロスは避けたい。

 面倒をかけさせる従者だと胸中で毒づきながら、少女の反応を待たずに駆け出す。後ろから「あの、ありがとうございました!」という声だけがかすかに聞こえた。


 かの乙女ゲームのヒロインである少女と、攻略対象の一人であるルイシアーノ。

 その邂逅かいこうが果たされたことを気にする者はこの場にはおらず。それ故に些細な過去のこととして、ありふれた出来事としてルイスの脳内には分類されるだけだった。

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