第200話 東北の苦悩


 東部家当主、東部 恵雲は私室にて晩酌していた。

 腕利きの料理人が用意したツマミと共に、秘蔵の酒を堪能する。


「——ふぅ」


 鼻を抜ける豊かな酒精の香りにため息をついた。

 仕事を終えた後の穏やかなひとときは、彼にとって数少ない癒しである。

 唯一不満があるとすれば、酒を飲んでも酔えないことだろうか。

 彼は蟒蛇なのだ。


 そんなプライベート空間に、もう一人東部家の人間が訪れる。

 

「失礼します」


「詩織ちゃんはもう寝たのかい」


「はい」


 動きやすい和服に身を包む女性は、詩織のお世話係である。

 美しい所作で入室した彼女は、御膳を挟んで恵雲の向かいに座った。

 労うように恵雲が注いだ一杯を受け取り、口に含む。


「ふぅ……。これは、とおる様へ家督を譲る際に開けると仰っていた、秘蔵の一品では?」


「そうだよ」


 表情を変えることなく肯定し、恵雲はもう一杯呷る。

 東北で作られる最も美味しいお酒を丁寧に管理して寝かせたものだ。

 柔らかな酒精の余韻が消えた頃、恵雲は口を開いた。


「聖君が全ての問題を解決してくれたからね。これを祝わずして、いつ祝うと言うんだい?」


 塩砂家と共に始めた捨て身の対抗策と、その後始末。

 先祖代々積み上がってきた負の遺産。

 これから現れるであろう大妖怪の脅威。


 それら全てを聖がぶち壊してくれた。


 東部家にのしかかっていた重圧が霧散し、恵雲は久方ぶりに熟睡できたのだった。


「それもそうですね。……峡部家の活躍を祝して」


 お世話係こと、東部 芽依めいも一杯呷る。

 長期間熟成させたそれは、いくらでも飲めそうなくらいまろやかだった。

 ただし、いくら飲んでも酔う気配はない。

 彼女もまた、蟒蛇だった。


「……恵雲様」


 芽依は優しくその名を呼ぶ。

 壊れてしまいそうなほど弱っている男にとって、それは合図だった。


「私はまた、子供を利用しなくてはならないのか」


 いつもアルカイックスマイルを浮かべる彼が、仮面を外した。

 今にも泣き出しそうなその顔は、彼の心のうちを表している。


「聖君を味方につける為に、情を抱かせる策を弄するなんて……私は一体何をしているんだ?」


 東北のものを使った部屋と食事を用意した。

 塩砂家の境遇を教えて同情を誘った。

 詩織と仲良くなるよう接触の機会を増やし、霊獣品評会にまで連れ出した。

 東部家の人間を動かし、境遇を語るよう指示した。

 東北の現状を見せて、力を貸すよう仕向けた。

 気の弱そうな当主に無言の圧力をかけた。


 人好きする笑顔の裏で、彼は様々な策を弄していた。

 その結果、聖が力を貸すにとどまらず、日本最強の称号を奪い去る圧倒的力を見せたのは、予想外だったが。


「東部家当主として、必要なことですよ」


「それでも……」


 彼女と晩酌をするこの時こそ、彼が弱音を吐ける場所なのだ。

 東部家当主として非情な決断もする。

 必要ならばいくらでも人を騙す。

 東部家と東北の地を守る為ならば、彼は鬼にでも悪魔にでもなる。

 しかし、その選択を後悔しないわけではない。


 東部家当主は代々、人心操作に長けている。

 少子高齢化のなか、東北の地を守るためには、強力な妖怪に対抗できる優秀な戦闘部隊を維持する必要がある。

 必要な人材を手に入れるうえで、その才能は遺憾無く発揮された。


 まるで人の心を弄ぶ詐欺師のように聞こえるが、そんなことはない。

 人の心を操れるということは、相手の心に共感し、理解できるということ。

 恵まれた環境で育った彼は、相応に善良な心を持っている。

 人を操り、己の目的を果たす。彼の良心はそれを悪行と判断した。良心が己の所業を糾弾し、ジワジワと心を蝕んでいく。

 自覚していてもやめられない。彼が東部家当主——東部 恵雲である限り。


「身内の子供を救う為に、よその子供を生贄に捧げる……。間違いなく地獄に堕ちる所業だ」


「その時は、お供いたします」


(止めてくれ。それでは何のために私が罪を冒しているのかわからなくなる。君だけでも幸せになってくれ)


 そんな相手を気遣う言葉が浮かぶけれど、男はこの場でのみ、本心を吐露する。


「ありがとう」


「……奥様もきっと、同じことを仰いますよ」


「嫌だ。妻の前では格好良くありたい。こんな無様な姿は見せられない」


 それは装飾の一切ない本心である。


(弱っている姿を見せるのは君だけだよ)


 なんて口説き文句が頭に浮かぶけれど、2人の間にそんなものは不要であった。


「もしかしたら、霊獣に心の中を全て読まれているかもなぁ。もしそうなら、彼の目には私が道化に見えたことだろう。はっはっは」


「詩織様と会話できないので、そこまでの能力はないかと。ただ、今後の成長次第ではわかりません」


「そうか」


 その後も己の苦悩を吐き出した恵雲は、少しマシになった表情で謝る。


「……いつもすまないね」


「私にできるのは、お話を聞くことくらいですから」


 言語化することで気持ちが整理され、精神的負荷を緩和する。一般的なメンタルケアだが、聞き手の存在が不可欠である。

 芽依の立場だからこそできる役割を、彼女は密かに誇っていた。


「君にも東部家の重荷を背負わせてしまった。君ほど魅力的な女性ならば、今よりもよほど幸せな……」


「人の幸せを他人が測ることはできません。そうでしょう?」


 芽依は第二婦人としての自分が幸せであると、遠回しに伝えた。

 お世話係は乳母でもある。

 古い因習の残る東部家では、人工乳は敬遠されている。

 ならばどこから用意するかといえば、それも東部家が担うのだった。

 東部家の分家にあたる東海家は、400年前に塩砂家のサポートをするために興された家であり、芽依はそこの次女である。

 姉が子を産み、妹が育てる。

 そういうしきたりなのだ。


 そんな特殊な環境で生きる2人は、しきたりから逃れられず、今のような関係となった。


 普段であれば、芽依は恵雲の愚痴を聞き、詩織の近況を語る。

 しかし、今日の話題は他にあった。


「聖君は帰ってしまったのか」


「学校が始まりましたから」


「彼がまだ小学生なことに、違和感すら覚えるよ」


 ここしばらく、聖についての話題が大半を占めるようになった。

 たった一夏で東部家と塩砂家に大きな変化を齎したのだから、当然だ。


「毎週来てくれるとはいえ、この夏ほどの進歩は期待できないだろうね。残念だよ。いや、贅沢がすぎるというものか」


「式神のテンジクを使った新しい治療法は、一定の効果を見せました。聴覚が戻ることはありませんでしたが、体が楽になるようです。これなら満様の治療にも利用できるかと。テンジクに副作用の負荷が見られなかったので、可能であればテンジクの派遣だけでも依頼できませんか?」


「式神に名前を? 重用されているのかな。どんな対価を用意すればいいのか、見当もつかないね」


「今回の報酬は何を?」


 “東部家が用意できるものならばなんでも支払う”そんな報酬に対して、聖が何を要求したのか。

 そこから聖の求めるものが見えてくるはず。


「彼が提示したものは三つ。一つ目は殺生石に干渉する許可。二つ目は金銭。そして、三つ目は——」


 芽依は首を傾げた。

 そのあまりに変わった報酬内容を聞いて。


「峡部様の活躍を後世に遺す、ですか?」


「ああ。面白いだろう」


 それは誰にも言ってこなかった、聖の前世での後悔。

 誰にも惜しまれることなく死した彼が望んだのは、自分の生きた証を遺すことだった。

 ただし、背景を知らぬものからすれば、奇異な望みに聞こえる。


「子供が欲するものとは思えませんね」


「確かに。だが、彼なら何を言っても、そういうものかと納得できてしまう」


 短い付き合いではあれど、恵雲は聖の特異性をひしひしと感じていた。

 年齢にそぐわない理知的な話し方、社会人のような振る舞い、老人のような保守的思考。

 どれをとっても異質だった。

 ゆえに、シンプルな策を弄するほかなかった。

 人心操作を得意とする彼であっても、あまりに共感できない存在だったのだ。


 それでも、圧倒的力を見せた今なら、それも納得できてしまう。

 突出した個というものは、得てして非凡な存在であるから。


「そして、彼の活躍ならさぞ華やかなものとなるだろう。後世の歴史研究家たちがこぞって欲しがるに違いない」


「受諾したのですね。いえ、むしろ今後の付き合いを考えればこちらの利が大きすぎるお話ですね」


 活躍をまとめるには、定期的に情報をもらわなければならない。

 それは塩砂家の治療のため、毎週東部家へ通ってくれる動機にもなる。

 何より、聖との繋がりを維持できるのだから、東部家にとって都合がよすぎる報酬だ。


「ああ。聖君のことだから、その辺りも考えているのかもしれない。そう思って、報酬金の方を頑張らせてもらったよ。ここまでしても、彼の成果と釣り合うか問われれば、私は首を傾げるけどね」


 怨嗟術に対する聖の出した成果があまりに大きすぎるため、提示された報酬が妥当かどうかは判断が難しかった。

 後世に遺すという部分で、一体いつまで続けられるかが分水嶺となる。


 ただ、今回ですべての恩を返す必要はない。

 東部家は峡部家と末長い付き合いをすることになるのだから。


「峡部様を支えるのが、東部家の新しい役割となるのですね」


「そうだ」


 塩砂家に代わり日本最強となった陰陽師。

 この国を護る新たな英雄を、東部家は管理運用していかなければならない。

 それが、計画・・を進めるうえで決めた、関西との役割分担である。


「しかし、彼の場合は働きすぎそうで心配だ。本来なら、こちらから働けと指示するものだが……」


 詩織の教育という名目で始まった怨嗟術の治療において、当然二者は契約を交わしている。


『休日は乙の裁量で適宜定め、上限はないものとする』


 秘術を使うたびに聖が体調を崩すことから、自分の判断で休めるように定めた。

 恵雲からすれば、無理をしてでも詩織の教育を進めてほしいところだが、同じ子供に苦行を強いては本末転倒である。

 それに、無理をして潰すよりも、これから長い時間をかけて教育するほうが大きな利を得られると考えていた。


「それがまさか、多く休みを取って遊ぶどころか、限界を超えて倒れるまで試してくれるとは、思いもしなかったよ」


「はい。あの時は驚きました。道具作成以外の時間にも陰陽術の研究をしているようで、私も少々心配です」


 その行動は聖の探求心と大人としての責任感からくるものだが、彼らに分かるはずもない。

 ただただ、献身的に働く聖人のように見えるのみだ。

 本人が聞いたら否定しまくりそうな会話が続く。

 そしてこの話題において、最後に見せた絶対的な力は外せない。

 脅威度6弱を一撃で倒した、あの力である。


「陣は一般的なものだった。神の力か、神の祝福でもなければ、あのような奇跡は起こせまい」


「追加でもう一体倒せると仰っていましたよ」


「はっはっは、もはや笑うしかないね。常識を遥かに超えた力だ」


 しかし、調べたところによると、神の力を借りるような儀式をしていた形跡はない。

 智夫雄張之冨合ちふぉちょうのふあい様の神社で祝福を受けたことがあるようだが、それも戦闘に力を借りるようなものではなかった。

 ならば、あれは自力に他ならない。


「峡部様の様子を見るに、2体でも余裕がありそうです。あるいは、3体までなら倒せるかもしれません」


「全くもって人智を超えた力だ。怨嗟術を超えるその力は、一体どんな代償を支払うことになるのか……想像もつかないな」


 芽依はその言葉を否定する。

 最も近くで聖を見てきた彼女は、聖がそんなリスクを選ぶとは思えない。


「ハンデを背負っているようには見えませんでした。寿命を削っている可能性もありますが、それよりは、安倍家の秘術に近いものを感じました」


「それは違うだろう。安倍家が峡部家の秘術を使っているんだ。……そうか、そういうことか」


 恵雲は自分で言って気が付いた。

 歴代当主の日記に記載されし、峡部家の歴史を思い出したのだ。


「真なる霊力。あれをさらに改良したのなら、あるいは……」


「あの歳で道具を作り出す天才であれば、秘術を改良できたとしても不思議ではありませんね」


 安倍家の分家である東部家には、本家の秘術の情報が伝わってくる。

 恵雲からいろいろ愚痴られている芽依も断片的に情報を得ており、恵雲の予想を肯定した。


「けれど、あれを習得するには幼少期に厳しい修行が必要だよ。幼稚園へ通いながら習得できるものではない」


「それができるからこそ、救世主足りうるのではありませんか?」


「そうか……。そうだな……」


 しばし思案にふけった恵雲は酒をグイっと呷った。


「私達はついに、救世主を迎えたのだ。であれば、準備を早めたほうがよさそうだね」


「ご無理はなさらないように」


 わかっているさ、と返した恵雲は、手酌しようとして酒が尽きたことに気が付いた。

 思いのほか聖談議に花が咲き、時間が加速していたらしい。


「そろそろ、寝ましょうか……」


「そうだね」


 二人は隣の寝室へ姿を消し、共に夜を過ごした。


 一足先に目を覚ました恵雲は寝室を抜け出し、私室の窓を開ける。

 まだ夜が明けきらない空は暗く、しかし、朝の気配が漂っている。

 彼は昨夜の会話を思い出し、ふと疑問が浮かぶ。


「しかし、皮肉なものだね。300年前に記録の抹消を依頼してきた峡部家、その子孫が、今度はその活躍を後世に遺そうとするなんて。彼はこのことを知っているのかな」


 東部 恵雲は静かに空を見つめた。

 東の空にたなびく雲が、朝日に照らされる景色を。






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 祝200話

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