第57話 鬼退治5


 やっぱり重かったのか、親父は刀を鞘に納めて狛犬に預けていた。

 医者じゃないから分からないが、左腕は折れてしまっているのかもしれない。体が動くたびに顔を顰めている。


 称賛すればよいのか、怪我を心配すればよいのか。

 親父の下に駆け寄った俺が、なんと声を掛けるべきか言葉に詰まっていると、後から歩いて来た籾さんがものすごく軽い感じで話しかけた。

 やけに静かな訓練場に拍手の音が響く。


「ついにやったな! おめでとう。それにしても、今回の切り札はいつもより随分豪快だったな。この規模の陣を築くとか、国家陰陽師部隊でも滅多にやらねぇぞ」


「これくらいせねば、勝てる気がしなかった」


 え、怪我については心配しないの?

 いやまぁ、天橋陣以上に大規模な陣は初めて見たから、俺も驚いてるんだけど。

 あんなの作ろうとしたら2週間じゃ微塵も足りない気がする。

 もっと前から構想を練っていたに違いない。


 死闘を超えたばかりの親父をいつまでも訓練場に留めては可哀そうである。俺たちは再び殿部家の車に乗せてもらい、最初に寄ったビルへ戻ることになった。

 そこには古くから武家に仕える医者がいるらしい。


「なんで最初からあの攻撃をしなかったの?」


「これまで通りの流れを再現し、油断させるためだ。最後の攻撃は確実に当てなければならなかった」


「もう数十回は繰り返してきたからな。鬼も『またいつものか』みたいに思ってただろうよ。俺達の視線を探るとか小細工まで覚えやがって」


「それは3年前から気が付いていた。ゆえに、2度目の紙垂縛鎖陣しでばくさじんは地に埋めた」


 傍から見ている籾さんよりも、実際に戦っている親父の方が先に気が付いていたのか。

 それを逆手に取って鬼をさらに油断させた、と。

 木板に陣を刻み、予め霊力を込めてから地中に埋め、親父しか知らないトラップを仕掛ける。敵を騙すならまずは味方から、を実行したわけだ。


 そういうものなのか、と戦闘初心者の俺が感心していると、籾さんが運転しながら呟く。


「でもまぁ、俺の見た限り、最初の拘束で十分な隙を作れてたと思うがな」


「……」


 おい親父、なぜそこで反論しない。

 祝福を受けた道具は高価なんだろ。

 2発目無駄だったとか言わないよな?!


「そういや良かったのか? 腕を折られたらしばらく仕事休まなきゃなんねぇだろ。いつもだったらその前に諦めるってのに、随分無茶したな」


「御剣様には許可を頂いている。ありがたいことに、スキルアップの一環として療養中の給金を5割支給してくださることになった」


 全額じゃないのね。

 いや、家のしきたりで勝手に怪我をした社員に給料を支給してくれるだけありがたいか。


 それからも籾さんは親父を揶揄うように話しかけ続けた。

 もしやと思い、隣に座る親父の様子を窺うと、どうにも顔色が悪い。俺の見立て以上に大怪我をしているのかもしれない。

 ビルへ戻るのが行きより遅く感じられた。

 車を降りた親父はゆっくり身体を動かし、一歩一歩地面を踏みしめながら慎重に医務室へ向かった。


 俺も入り口までついて行ったのだが、中に入ろうとしたところで籾さんに止められてしまう。


「そんなに心配しなくても大丈夫だ。俺達はエントランスで待ってようぜ」


 いや、心配するだろ普通。

 今にも倒れそうな家族が隣にいて、平気な顔していられる奴なんているわけがない。

 医療施設でもないこのビル内に、どれほどの設備があるというのか。

 親父の怪我は治せるのか……。


「気が抜けて痛みだしたんだろう。会話できてたし、死にやしない」


「もっと大きい病院に連れて行った方がいいんじゃない?」


「なに言ってる。御剣家の医者は日本一だぞ。金持ちがこぞって治療を受けたがるほどだ」


 そうなの?

 気休めかとも思ったが、籾さんが嘘をついているようには見えない。

 なんというか、今日は俺の知らないことが多すぎる一日だ。


「聖坊はここで待ってろ。俺はちょっくら電話してくる」


 そう言ってスマホを片手にエントランスの隅へ移動する籾さん。

 帰宅報告でもするのかな。


 親父の治療はいつごろ終わるのか、待っている時間がもどかしい。


 しばらくして戻ってきた籾さんといろいろ話している間に1時間が過ぎた。

 静かなエントランスに靴音が響く。

 医務室へ続く廊下の方を見れば、そこにはしっかりとした足取りで歩く親父の姿があった。


「お父さん大丈夫?」


「あぁ、大したことはない」


 嘘つけ、ついさっきまで脂汗浮かんでただろ。

 だが、今の親父は左腕をギプスで固定されている以外に怪我の痕跡が見られない。

 廊下を歩く様子も普段通りだったし、この1時間でどんな治療を受けたのやら。


「思った以上に重傷だったか。しばらくは大人しくしないとな」


「先生と御剣様にも同じ言葉を頂いた」


 俺達が待っている間に、御剣様がわざわざお見舞いに来たのか。

 やはり親父はここで大切にされているようだ。

 もしかすると、祝福を受けた道具類は会社の伝手を利用したのかもしれない。


 ここで意外だったのは籾さんの反応だ。

 てっきり「な、大丈夫だったろ?」と籾さんが俺の頭をポンポン叩く流れだと思っていたのだが、眉をひそめて親父のギプスを見つめている。

 俺としては、あの鬼に殴られて片腕の骨折だけで済む方が奇跡だと思う。人体から鳴ってはいけない音がしてたし。


 帰りの車内で聞いてみた。

親父が鬼の一撃を受けて死なずに済んだのは、籾さんが用意した御守りのおかげらしい。

 殿部家秘伝の1つで、物理的衝撃を吸収してくれるのだとか。

 採算度外視なうえ技術漏洩の危険があるため、身内以外には作らないという。


「はぁ、傑作だと思ったのによ。まさかあっさり貫通されるとはな」


「おかげで助かった。感謝している」


 殿部家といい、御剣家といい、峡部家は環境に恵まれているようだ。


「つっても、次の一撃は御守りじゃどうしようもないけどな。頑張れよ」


「「……?」」


 籾さんの意味深な言葉を背に車を降りれば、そこは我が家である。

 今日は本当にいろんなことがあった。

 まだ日が暮れる前だというのに、さっさと布団に入りたい気分だ。


「「ただいま」」


「おかえりなさい」


 玄関をくぐれば、いつものようにお母様がお出迎えしてくれる。

 優也は遊び疲れて昼寝中かな。


「疲れたでしょう。お湯を沸かしたので、汗を拭いますね」


「……あぁ、頼む」


 あれ? これは、もしや……。

 今日親父が何をしに行くか知らなかったはずのお母様が、ギプスにも驚かず、準備万端で出迎えてくれているこの状況は……。

 お母様はいつもと変わらない笑顔を浮かべているのに、ひしひしと伝わってくるこの感情は……。


 親父の第3ラウンドが始まった。


 ……頼むから離婚だけはやめてくれよ。

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