第4話 誕生の儀


 結局、あれから毎日数匹ずつ口の中に不思議生物が入り込んでくる。

 そして、無防備に寝ている俺はそいつらを腹の内に収め、戦う羽目になった。


「あぅ(ふん、お前はこの程度か。その程度で俺を倒せると思うなよ)」


 次第に俺はこの状況を受け入れ始めていた。

 初日の1匹目と2匹目はびっくりしてしまったが、さすがに毎日ともなれば慣れてくる。

 それに、2匹分の不思議生物パワーを取り込んだおかげか、3匹目は碌な抵抗もなく消化できた。要するに、こいつらを倒すのが日に日に簡単になってきたのだ。


「は~い、たくさん飲んで大きくなるのですよ」


 さらにはお母様による母乳パワーが加わり、不思議生物に負ける気がしない。

 とはいえ負けたらどうなるかよく分からないので、お母様のこのバックアップは心強い。


「お父さん遅いですね。またお仕事が大変なのでしょう。早く坊やに会わせてあげたい」


 すでに実家へ移動して数日たつというのに、父親には未だ会っていない。

 仕事というが、本当に何をしているのだろうか。連日泊まり込むようなブラック企業で働いているのだろうか。


 そんなことを言っていた日の夜、俺の今世の父親が帰ってきた。


「遅くなった。早速儀式を始めよう」


 寝室に来るなりそう言ったのは、痩せぎすな男だった。

 美人で巨乳なお母様とは全く釣り合わない、覇気の欠片もないこの男が、父親だという。

 草臥れたスーツと若白髪の混じる頭のせいで年齢以上に年老いて見える。お母様と結婚したのだ、40代前半ということはないはずなのだが。


「えぁ?(えっ、こいつが俺の父親? お母様が美人だから期待していたけど、俺の顔はどっちに似ているんだ?)」


 父親似だったら不細工とまでは言わないものの、フツメン確定である。

 ぜひともお母様似であって欲しい。


「貴方に似てとても凛々しい男の子ですよ」


「いや、目鼻立ちは君に似て……そうじゃない、今は儀式の準備だ」


「えぁっ(どっち?! ラブラブ夫婦の惚気とか今はどうでもいいから客観的な事実を教えて!)」


 夫婦仲が良さそうなのは子供として安心だが、今は儀式という不穏な言葉の方が気になって仕方がない。

 ワーカーホリックな父親は一度部屋を後にし、着替えをして戻ってきた。

 その身に纏うのは着物、袴、水干……一言で表すなら陰陽師スタイルだ。

 老け顔なせいか、妙にその恰好が様になっている。


 コスプレというには使い込まれているガチ正装の父親は、寝室内に縄を張り巡らし、お札を張り、小皿を四方に配置し、蝋燭に火をつけ、ものすごく臭いお香を焚きつけた。

 そして、先端に強烈な光が灯るお線香の様なものを俺の目の前に近づけてくる。

 眩しさから目をそらしていると、父親は満足そうに首を縦に振った。


「素質はありそうだ。……準備が整った。麗華、覚悟は良いか?」


「はい、坊やのためなら命も惜しくはありません」


 おいおい、なんて物騒な話をしているんだ。

 というか、これから何が始まるんだ。

 ここ数日過ごして慣れ親しんだ寝室が、装飾の数々によってものすごく怪しい雰囲気が漂っている。

 それこそ、本当に陰陽術の儀式でも行うかのように。


 その場合、俺は生贄か?


「これより、誕生の儀を執り行う」


 父親はいつの間にか神職がお祓いする時に持つような祭具ごへいを手に持ち、布団の上で寝ている俺に近づいてくる。


「峡部家の始祖、紅葉様におかれましては———」


 なにやらもごもごと語りながら御幣ごへいを左右に振る父親。

 何をしているのか分からない。でも、誕生の儀と言っていたし、生贄とかではなさそうだ。

 峡部という苗字は病院で何度か聞いていたが、お母様の名前は初めて聞いた。

 ずいぶんとたくさんの新情報が一気に押し寄せ困惑している俺を余所に、儀式は進行していく。


「我らを見守りし智夫雄張之冨合様、この世に新たな生を賜りし次代の峡部に祝福を。これより試練を超えし赤子にどうか前途洋々たる未来を!」


 本当に意味の分からない言葉が多すぎる。

 一般的知識を持っていると自負している俺が理解できないのだから、専門用語だろうか。

 最後の方だけギリギリ分かる程度だった。


 そして、最後の方に気になることを言っていた。

 おい、俺は試練を受けるなんて聞いていないのだが。

 どういうことだコスプレ親父!


「峡部家に伝わりし覚醒の御魂をここに」


「はい」


 襖が開き、御膳を持ったお母様が入ってくる。

 父親と同じく陰陽師ルックなお母様が俺の傍に膝をつき、御膳の上に乗っているものを父親が掴んだ。


「喰え。そして、試練を乗り越えよ」


 父親が手に持っているのは黒いおにぎりである。赤子の一口サイズなそれが俺の口元へ運ばれる。

 ただのおにぎりだったら俺も素直に口を開けただろう。しかし、こいつはダメだ。


「んーー(何それ、半透明なウジと半透明な羽虫が集ってるんですけど。それ絶対腐ってるでしょ)」


「大人しく口を開けなさい。……仕方ない」


 明らかに不思議生物の温床となっているそれを口に近づけてくる。それだけで父親が信用ならないと確信した。絶対口を開けてなるものか!

 と、意志を固めても赤子の顎など大人の手にかかれば簡単に開かれる。

 頬っぺたを両サイドから押されただけでおにぎりサイズの穴ができてしまった。


「あぁぁぁぁぅ(やめてーーー)」


「坊や、頑張って!」


 くっ、お母様に応援されては頑張らざるを得ない。

 どう見ても人が食べていいものじゃないし、そもそも乳児に米を食べさせる時点で間違っているはずだが、他ならぬお母様が食えというのなら食べてみようと思える。


 ぱくり


 懐かしいおにぎりの食感と共に、最近慣れてしまった不思議生物の何とも言えない食感が口の中でコラボする。

 うえ、やっぱこのご飯腐ってるって。明らかに食べてはいけない味がしてる。


「麗華」


「はい。坊や、お願いだからおっぱいを飲んで、ね?」


 そこで唐突に与えられるお母様のおっぱい。

 え、これも儀式の一環なのですか?

 ご飯を噛み潰す歯もない俺は歯茎で何とかすりつぶしているところだ。不思議生物の蠢く感覚が気持ち悪いし、このマズい飯を早く飲み込みたい俺にとって母乳はありがたい。


 ちゅーちゅーちゅー……ちゅー?


 なんだろう、この温かい力の流れは。

 お母様の母乳を通していつもと違う何かが流れ込んできている。

 あっ、これ、不思議生物を吸収して手に入れたエネルギーに似ている。


 母乳のおかげでクソマズい米が喉を流れていく。それと共にウジ虫と羽虫の形をした不思議生物が俺の胃の中へ落ちていった。

 胃の中で繰り広げられるのは侵食してくる不思議生物との戦い。

 勝てば俺の活力となり、負けたら……どうなるんだ?


「お願い、坊や。もっとおっぱいを飲んで頂戴。じゃないと貴方が……!」


 俺がどうなってしまうのですか?!

 えっ、ちょっと、正直これ以上おっぱい飲む必要は無いのですが、そんなに押し付けられたら……仕方ない、ちょっとだけ飲むとしよう。


 母親の乳首に吸い付いたその瞬間、俺の胃の中で爆発が起こった。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


「あぁ、坊や、頑張って。負けないで!」


「……智夫雄張之冨合様、どうかご加護を」


 あぁぁぁあぁぁぁぁやばいやばいやばいやばい!

 これまで感じたことのない強さの浸食を受けている。

 おにぎりの中に羽虫の植え付けた卵でもあったのだろう、それが身の危険を感じて一気に孵化した。これまで飲み込んだ不思議生物なんて目じゃないくらいの数が俺の胃の中で暴れているのを感じる。

 これ、ちょっとでも気を抜いたら負ける。おい、生まれたばかりの赤ん坊にこんなことして、殺す気か?!


 幸い、俺はただの赤ん坊ではなく前世の精神力を持っている。

 入院当初はこれくらいのつらい経験を何度もした。だから、耐えられる。耐えられるけど、勝てるかは怪しいぃぃぃぃぃぃ。


「坊や、おっぱいを飲んで、お願いだから!」


「くっ、やはり量が多すぎたか」


「あぎゃぁぁぁ(おいてめぇクソ親父、やはりってなんだやはりって。どう考えても意図的にやりやがったなコラ!)」


 お母様の懇願に近い声に従い、押し付けられていた乳首に再び吸い付く。

 これはお母様の母乳エンハンスが無ければ勝てない。

 ありがたく力を貸してもらうことにした。


 すると、先ほど感じた活力の様なものも一緒に流れ込んできて、爆発的な不思議生物の攻勢を一気に抑え込むことができるようになった。

 さすがはお母様の母乳、栄養ドリンクよりも頼りになる。


「くっ、うぅぅぅ」


「麗華、頼む」


「はい、坊やのため、峡部家のため、私の身1つでどうにかなるのなら……」


 あのぉ、その意味深なセリフから察するに、これ以上母乳を吸ったらまずいのでは?


 俺はすぐさまおっぱいから口を離す。

 どう聞いてもこの流れ込んで来た活力はお母様の命に係わる何かなのだろう。

 それはまずい、せっかく第2の人生を得たというのに、お母様が俺の誕生と共に亡くなるという不幸展開は決して受け入れられない。


 俺はハッピーエンド至上主義なのだ。

 他人はどうでもよいが、大切な人だけは何がなんでも幸せになってほしい。


 これ以上おっぱいを吸わないと決めた俺に、お母様が懇願する。


「坊や、お願い! お腹がいっぱいでも飲んで頂戴! でないと、貴方が大変なことになってしまう。私が貴方を守るから、お願い飲んで、ねぇ!」


「麗華の霊力をあまり吸収していないな。もっと飲むんだ」


 お母様、ごめんなさい、そのお願いは聞けません。

 クソ親父、てめぇの目は節穴か。もうずいぶん頂いたわボケ。


 お母様から活力、もとい霊力とやらを取り込んだ俺に死角はない。

 そもそも、俺はこの数日間でたくさんの不思議生物を取り込んで来たんだ。そいつらを糧に得た力は間違いなく俺に味方してくれている。

 既に感覚で分かっていたが、この霊力とやらがこいつらとの戦いにおいてカギを握るのだろう。


「うぅぅあっ」


 気合を入れて意識的に霊力を全身へ漲らせる。

 踏ん張った勢いでサラサラなウンチが漏れ出たがこの際気にしない。

 腹の中で暴れている不思議生物を1つ1つ制圧し、ゾワゾワする感覚———霊力をさらに増やす。


 クソがぁ、こんなアホみたいな儀式で俺が負けるかぁ!

 絶対に大人になってクソ親父を一発ぶんなぐってやるぅ。

 前世ではめっきり忘れてしまっていた怒りの感情が俺の身体を鼓舞してくれる。

 お母様の霊力が後押しし、ついに、爆発しそうだった不思議生物の力が沈静化していく。


 どうだ、こら、勝ったぞ、うぉぉぉぉぉ。


「なに……自力で覚醒の儀を乗り越えただと?」


 俺が負けるはずないんだ、うぉぉぉぉぉ。


 でも、負けたら大変なことになるって具体的にはどうなるのでしょうか?

 今回は勝てたからいいものの、ちょっと気になるんですけど……。


「それでは、試練を乗り越えし赤子に名を授ける。新たなる生を受けしこの者の名は———」



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