第144話 家族の悩み
親父が帰宅した翌朝、俺は伯母について尋ねてみた。
「お父さんなら心当たりあるよね。教えて」
「……」
苦虫を噛み潰したような顔って、これのことか。
あからさまに話したくなさそうだ。
親父は書類仕事用の机に向かい、手を動かしながら答えた。
「知ってどうする」
「家族なんだから、知りたいに決まってるでしょ」
それ以上の理由がいるだろうか。
家族が困っているなら手を貸したい。ただそれだけだ。
親父は書類仕事をしながら悩むそぶりを見せていたが、溜息と共にこちらへ向き直った。
「美麗さんの旦那が……浪費家なのだ」
「ギャンブルと女遊び?」
「……あぁ」
典型的なクズだな。
いや、自分で稼ぐならいいんだが、この話の流れでそれはないだろう。
「仕事の傍ら5人の子供を育てるのに苦労しているようでな。一度、援助を求めてきた」
そして子沢山。
収入も美麗さん頼り。
旦那とやら、バカなの? アホなの?
まともな収入もなしに子供を作るとか、無責任にも程があるだろ。
主夫をしているわけでもないようだし、ただの金食い虫じゃないか。
「その時はどうしたの?」
「宮野家の問題だからと、麗華が自分の通帳から出した」
お母様ならそうするだろうな。
それにしても、妹に金を借りるとは……。
俺が優也に「お金貸して」と言うようなものだ。子供のためとはいえ、さぞプライドが傷ついたことだろう。
「その後、もう一度金を無心に来た」
メンタル鋼かよ。
現代において金がないということは、首根っこを掴まれているに等しいと、頭では理解できる。
それでもきっと、本当に苦労している人間の気持ちを、俺は理解できていない。
2度も妹夫婦から借金しようとするなんて、いったいどんな気持ちだったのだろうか。
幸いなことに、俺は前世を通して一度も金欠になったことがない。
家族がいれば出費も大きくなるのだろうが、独身貴族は必要最小限で事足りる。
収入は低くとも、貯金は十分にあった。
故に、金で苦労する人間の気持ちがわからないのだ。
「今度はどうしたの?」
「出産予定日が近かったゆえ、私の判断でお引き取りいただいた」
伯母よ、タイミング悪過ぎないか?
むしろそっちが出産祝いを用意する側だろ。
「私が門前払いしたせいか、美麗さんは私だけでなく、麗華のことも敵視するようになった。それ以来、宮野家とは距離をとっている」
そりゃあ、距離をとりたくもなる。
親戚が困っているなら手を貸すのもやぶさかではないが、伯母の場合はクズ男という疫病神がいる。
「伯母さんは離婚しないの?」
「する気はなさそうだ」
悪い男に惹かれてしまうタイプなのだろうか。
子供のためを考えたら別れた方がいいと思うけど。
「簡単に改善できるのに、それを選ばないなんて、自業自得じゃない?」
「そのようなことを言うものではない。たまたま私達とは反りが合わなかった。それだけのことだ」
そんな合理的に判断できたら、人間は恋に悩んだりしないか。
伯母家族には伯母家族なりの幸せがあるのだろう。それは認める。
しかし、俺が彼女らの味方になることはない。
峡部家に不利益をもたらす縁とは、極力距離を取るべきだ。
……いや、待てよ。いくらなんでも伯母が不幸すぎる。
お金持ちの家に生まれて、人徳のある親に育てられた娘が、こんな環境に自ら飛び込むだろうか?
何か原因があるに違いない。
例えば……。
「美麗さんの近くに妖怪がいたり……」
「しなかった」
「旦那さんは……」
「家も調べたが、平衡だった」
親父も同じこと考えたのか。
これは……うん。救いようがないな。
〜〜〜
次の日曜日、源家のお茶会にて、俺は源さんと熱い議論を交わしていた。
おままごとをしていたのは遥か昔。
今は陰陽術について話し合う貴重な機会となっていた。
なお、普通の子達は人生ゲームなどで遊んでいたりする。
焔之札についてひとしきり語り合ったところで、源さんは議題を変えてきた。
「簡易結界において最も大切なのは速度だと思います。即時展開できなければ、妖怪から身を守るという役目を果たせません。峡部さんはどう思われますか?」
「速度はもちろん大切ですが、それよりも強度が大切ですよ。妖怪の一撃で破壊されては意味もありません。かといって、過剰な霊力を注ぎ込むのも無駄です。霊力は有限ですからね。その塩梅を瞬時に判断することが重要かと」
「なるほど、実戦を経験されている方の意見は参考になります。しかしそれは、意識せずとも十分な速度を出せる峡部さんだからこそでは?」
「毎日家で訓練すれば、自然と速度も上がりますよね」
「その理論では、私が峡部さんに追いつけない理由に説明がつきません」
まぁ、俺も必死に訓練してるからね。
精錬霊素を使ったり、触手で遠隔操作のコツを掴んだり、弟との遊びの中で意外な発見をしたり、常に研鑽を積んでいるのだよ。
源さんは軽く口元を押さえ、喉の調子を確かめる。
「少々熱が入りすぎました。峡部さんもお茶をどうぞ」
「頂きます。今日はせっかくのどら焼きですからね。こちらも味わいましょう」
普段クールな源さんも、陰陽術に関する話題となると真剣な表情で語りだす。
簡易結界の議論も既に5回目となるが、その時々で互いに意見が変わる。
親父との陰陽術談義も悪くないが、やはり他家の陰陽師と語る方が楽しい。
新しい視点を得られるし、陰陽師界隈の情報を流してくれたりする。
「…………」
源さんはお茶で喉を潤したのち、菓子切りでどら焼きを一口大に切り分け、優雅に口元へ運ぶ。
無表情ゆえに冷たく見える彼女の顔も、好物を味わう時は少しだけ柔らかくなる。
母親似の整った顔立ちは、10歳になったことで美しさの片鱗を見せている。
中身は昔からだいぶ成熟していたが、成長期を迎えたらきっと、怜悧な美人さんになるだろう。
「どうかされましたか?」
どら焼きを堪能していた源さんが、不意に尋ねてきた。
顔を見つめすぎたようだ。たった数年で立派に成長したなと、感慨深くて、つい。
他意はないと伝える前に、源さんは続けて尋ねる。
「何か悩み事が?」
あれ、違った?
あまりに唐突な問いに、俺はついていけない。
悩み……最近の悩みといえば、困った伯母夫婦のことだけだが……。
「家族の悩みですか?」
なっ、何故わかった!?
まだ何も言ってないのに!
「最近、似たような顔をよく見るので。よろしければ話を聞きますよ。人は悩みを口にすると、気が楽になるそうです」
実のところ、ここへ来るまでずっとそのことについて考えていた。
お母様の憂いを晴らす為、どうにかできないかと考えてみるものの、妙案は浮かばず。
親父はどうしようもないと諦めているし、お母様には嫌なことを思い出してほしくない。ゆえに、一人で考えるしかなかった。
俺はこの状況を打開したかったのだろうか。つい、口を開いてしまった。
「親族の中に金遣いの荒い者がいまして、そのせいで家族仲が悪化しているんです」
「源家でも同じ問題を抱えていました」
まさか小学生に理解を示されるとは。
そして、過去形ということは、既に解決されているということ!
「どうやって――」
「その者は金銭を餌に放逐されたようです」
使えねぇ。
俺も一度は検討したが、その方法ではお母様の憂いを消せない。
祖母も伯母を見放すとは思えないし。
できればクズ男を消す方向性で何か。
「どうしようもなく救いようがない相手なので、距離を置きたいのですが……親族の気持ちを考えると、そういうわけにもいかず」
お母様があれだけ心を痛めていたということは、つまり姉を大切に思っているというわけで。
縁を切ってすっぱり忘れろと言うわけにもいかない。
同様に、伯母もクズ男を捨てる気がないときた。
「金銭で解決できない問題は、我が家でも長年の悩みとなっています。それはいつの時代も同じようですが」
やはり、簡単な解決方法なんてなかったか。
むしろ、血縁の多い源家の方が深刻な問題を抱えていそうだ。
「悩みを聞いてくれてありがとうございました。少し気が楽になった気がします」
「いえ、解決策を提示できれば良かったのですが」
口にしてから思ったが、俺は小学生に何を話しているんだ。
早熟な天才少女とはいえ、こんな話をしていい相手ではないだろう。
それに、彼女はさっき言っていたではないか。
同じような顔をよく見ていると。
「源さんも、家族関係で悩みがあるのですか?」
「えぇ、そうですね。家族の悩みですね」
こっちの話を聞いてもらったのだから、俺も話を聞くのが筋だろう。
……源さんが解決できない案件で役に立てるとは思えないが。
源さんは、重々しい口調で慶事を報告した。
「弟が……生まれました」
「それは、おめでとうござい――」
反射的にお祝いの言葉が口をついた。
しかし、『家族の悩み』でこの話題を出すということは、ただのおめでたい話ではないはすだ。
「あれ? そういえば奥様が妊娠してるとは聞いたことがないような」
ほぼ毎月お茶会で顔を合わせているのに、お腹が大きくなっているところを見たことがない。
いつも通り着物を綺麗に着こなしていた。
俺の疑問に源さんが答えてくれる。
「弟と言っても、腹違いの弟です。母親は第二夫人で、弟が源家の長男ということになります」
腹違い……第二夫人……すごい、生きている世界が違う。
ドラマでしか見たことないぞ。
ここまで聞いてようやく、源さんの悩みが何なのか予想できた。
源家の慣習として、昔ながらの男子継承なのだろう。
男児が生まれなければ源さんが源家当主となれたのに、その可能性がなくなってしまった、と。
秘術は当主のみに継承されるのが一般的だ。俺と同じくらい陰陽術マニアの源さんが、家の秘術を教えてもらえないなんて、それは悔しいよね。分かる。
「秘術? 興味はありますが……それよりも、母の立場が危うくなっています」
ごめん、全然わかってなかった。
そっか、正妻の立場とかあるのか。
言われてみると、ここ最近お茶会の参加者が少ないように思えた。
もしかして、一部のママ友は第二夫人の方へ鞍替えしたのだろうか。
世知辛いなぁ。
俺と同じ悩み顔をしていたのは、源ママだったようだ。
「長期にわたって妊娠できなかった母が、これから男児を産む可能性は低いです。将来的に源家を動かすのは第二夫人と弟になるでしょう」
なんだなんだ、そのネガティブな情報は。
まるで、自分と一緒にいるのはやめておけとでも言うようなセリフじゃないか。
続く言葉は、まさにそのまま。
「峡部さんは、どちらにつきますか」
長く付き合ってきたから知っているが、本当に効率厨な子だ。
もう少し腹芸ができた方がいいと思う。
世の中、白黒はっきりつくことなんてほとんどないのだから。
ただ、今回の答えは最初から決まっている。
「源さん、いや……雫さんと彩さんの味方ですよ。峡部家は義理堅いので」
陰陽師界隈の知識に疎かったお母様は、源ママにだいぶお世話になった。
俺が気づかないうちに面倒事を防いでくれていたようだし、その恩を返さずして鞍替えするなんてあり得ない。
お母様も同じ答えを選択するだろう。
それでなくとも、俺は交友関係を厳選するタイプだ。
今世では知り合いを無差別に増やしているが、根っこの部分は変わらない。
友達や親友と認める相手は極小数で、その人との繋がりを大切にする。
幼稚園時代から続く縁を、今更切れると思わないでほしい。
「最強の陰陽師を目指す私が味方になるのですから、大船に乗ったつもりでいてください」
俺は冗談めかして宣言した。
夢を叶えるなら、周囲に公言した方がいいと聞いたことがある。
これはその一環だ。
「隠さなくなったのですね」
「えぇ、父が解禁したので」
それから再び陰陽術談議に戻った。
俺の悩みは何一つ解決しなかった。
とりあえず保留だな。
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