第143話 伯母


 この日、俺たち兄弟とお母様の3人で、祖母のお見舞いに来ていた。

 先に話したいことを語り切った優也がお菓子を頬張る横で、俺は先日の緊急出動について話していた。


「まぁ、そんなことがあったのですか。お父さんのお仕事を手伝っているのですね。立派です。でも、危ないことはもう少し大人になってからでも良いのでは?」


「私もそう思うのですが、聖は類まれな才能を持っているそうで。本人の意思を尊重することにしました」


「うん、ちゃんと安全は考えてるよ。それでね――」


 ビデオ通話で何度も交流を重ね、めったに会えないながらも、確かな家族の絆を育んできた。

 祖母はどんな些細な話題でも興味を持ってくれて、何を話しても楽しそうに反応してくれるのが心地よい。

 優しい笑みを向けてくれる祖母からは、常に無償の愛を感じる。


「次に籾さんと会った時、僕のことをなんて呼んだと思う? 『聖さん』って呼んできたんだよ」


「うふふ、面白い方ですね」


 自分よりも強くなっていたから、なんて理由で『聖さん、ちわーっす』と茶化してきた。 

 真顔で言ってくるものだから、親父と一緒に笑ってしまった。

 前世の年齢を考慮すれば、実際にあってもおかしくないやり取りなのだが、だいの大人が見た目普通の子供にへりくだるのは違和感がすごい。


「年齢にかかわらず、人の良いところを認められる素敵な大人が聖さんの傍にいて、私は安心しました」


 そういうものの考え方、俺には全くなかった。

 『あはは、からかわないでよ。いつも通りにして』と、流してその話は終わり。祖母のような感想には至らなかった。

 そうだよな、自分より優れている人がいたら、嫉妬する人間も多いよな。しかも年下。受け入れてくれた籾さんのなんとありがたいことか。

 こういうやり取りを通して、祖母の価値観を知っていく。そのたびに、住む世界が違うなと思い知らされる。

 今の俺の収入を考えれば、優雅な生活も夢ではないのだが……同じ思想に至れる気がしない。

 ちょっと憧れているんだけどなぁ。


 祖母との談笑を楽しんでいると、不意に病室の扉をノックする音が響く。

 看護師さんだろうか。

 それにしてはおかしなことに、返事を待たずして扉が開かれた。


「お母さん、具合どう? 仕事が予定より早く終わったか……ら……」


 勝手知ったる様子で部屋に入ってきたのは、30代くらいの綺麗な女性。

 祖母やお母様と似た顔立ちだが、2人よりやんちゃそうな雰囲気がある。


「あら、美麗みれいさん。今日も来てくれたのね」


 あぁ、この人が宮野家の長女にして、お母様の姉、宮野 美麗みれいさんか。

 名前は聞いていたけれど、会うのは初めてだ。


「姉さん、お久しぶりです」


「え、えぇ……久しぶりね」


 お母様と挨拶する様子から察するに、2人の関係は良好とは言い難いようだ。

 お母様は穏やかな笑みを浮かべているが、どこかぎこちない。

 美麗さんに至っては露骨に嫌そうな顔を見せている。

 話題に困ったのか、美麗さんが俺たちを見て尋ねる。


「その子達が、麗華の子?」


「はい。2人とも、ご挨拶しましょう。この人は私の姉さんで、貴方達の伯母にあたります」


 どんな関係性にせよ、いい印象を与えておくに越したことはない。

 俺はハキハキした声で自己紹介する。


「はじめまして。峡部 聖です。今年小学4年生になりました。よろしくお願いします」


「はじめまして! 峡部 優也です! 小学3年生です。よろしくお願いします!」


 俺に続いて優也が元気よく挨拶する。

 我が弟は立派に成長し、元の明るさはそのままに、よりしっかりした口調で話せるようになった。

 そして、どんどん兄離れが進んでいく。

 俺に構ってもらうのではなく、自分で楽しいことを見つけられるようになってしまった。

 寂しい。


「元気ねー。私は美麗。よろしく」


 よろしくするつもりのなさそうな声が返ってきた。

 甥っ子というより、敵を見るような視線を向けてくる。

 初対面のはずなのに、既に嫌われているのは何故だ。

 もしかしなくとも、これが俺達を祖母のお見舞いに連れて来なかった理由か?


「来てたんなら、連絡くれたらいいのに」


「姉さんは仕事があると聞いていたので……」


 ぎ、ぎこちない。

 いつも明るいお母様がこんな歯切れ悪く会話するなんておかしい。

 そもそも、峡部家に嫁いだとはいえ、家族を連れて実家に一度も顔出ししないのはさすがに変だ。

 実家側に何か理由があるのは気づいていた。

 なるほど、この人がいるから避けていたのか。あるいは、長男も関係しているのかも。

 その原因までは分からないけれど。


 美麗みれいさんは手荷物をテーブルに置いて、再び部屋の外へ向かう。


「飲み物買ってくるから、麗華、自販機まで一緒に来てくれる?」


「はい。手伝いますね」


 あからさまにお母様を連れ出すための口実だ。

 この場で話せないことを話したいのだろう。

 どうにかして盗み聞きしたいところだが、移動中の会話は触手盗聴でも不可能である。


「お母さん、少し席を外しますね」


「えぇ、いってらっしゃい」


 俺たちを祖母に任せ、2人は部屋を出て行った。


「お祖母ちゃん、あの人、誰?」


 優也の問いは言葉通りのものではない。

 伯母という存在になじみがないだけでなく、うっすらと隔意を持たれていることに気づいているのだ。

 あるいは、俺よりも敏感に感じ取っているのかもしれない。


「優也さんにとっての加奈さんのように、お母さんにとってのお姉さんです。繊細で、面倒見の良い子なのですよ。きっと、あなた達とも仲良くなれると信じています」


 お祖母ちゃん、それは何か問題があると言っているようなものでは?

 普段から前向きなことしか言わない祖母が、珍しく不安を感じさせる言葉を使った。

 伯母が仕事でいない時を見計らって面会の予定を組んでいるし、お母様や俺たちを会わせないようにしていたことは明白である。

 親類縁者というのは何かとトラブルを生みがちな関係性だが、何が原因なのやら。


 しばらくして、話し合いが終わったであろう2人はジュースを抱えて戻ってきた。


「おまたせしました」


 戻ってきたお母様は愁いを帯びた表情を浮かべていた。

 おうおう、美麗さんよぉ。うちのお母様を困らせるとはいい度胸してるな。

 場合によっては俺が相手になるぞ。

 ただ一言「伯母さんに悪戯された」と言うだけで社会的に抹殺できるんだからな。


「聖君と優也君だっけ? 喉渇いてない? はい、ジュース」


「「ありがとうございます」」


「今日はよく来てくれたわね。お祖母ちゃんに会いたかったの?」


 おいおい、さっきと言っていることが違うぞ。

 優也も初めて見るタイプの人間に戸惑い、返事すらできない。


「……」


「あら、緊張しちゃってるの? 可愛いわね」


 何故だろう、さっきまでと態度が全く違う。

 やたら機嫌がいいし、積極的に話しかけてくる。

 ただ、美麗さんの語り口からは大人のいやらしい媚びがにじみ出ている。

 金や地位のような、己の欲望に関わるものを手に入れようと必死な様子。久しぶりに見た。


 その後は少し祖母と話しをして、すぐに面会を終えた。


「もっとゆっくりしていけばいいのに」


 予定より早く帰ることになった元凶が、そんなことを宣っていた。

 腹立つ。

 ただ、それよりも気になることがある。

 夕焼けに染まる道を歩きながら、俺はお母様へ問いかける。


「伯母さんと何かあった?」


「いいえ、何もありませんよ。どうして、そんなことを?」


 何かあったのは間違いない。

 その何かは、俺たちに聞かせたくないことなのだろう。

 お母様は、伯母と話をしてきてからずっと表情が晴れない。

 感情を読むのが得意でない俺でも、嫌な思いをしたことはわかる。

 辛い、寂しい、悔しい、負の感情は数あれど、お母様をさいなむのは……。


「なんだか、悲しそうだったから」


「悲しい……。そうですね。少しうまくいかないことがあって……。ごめんなさい、お母さんがこんな顔をしていてはダメですね」


 無理をして笑みを浮かべるお母様は、とても痛々しい。

 どうにか気を晴らせないか思案していると、優也がお母様の顔を窺いながら尋ねる。


「お母さん、悲しいの? 大丈夫?」


「はい、大丈夫ですよ。2人とも、心配してくれてありがとうございます」


 全然大丈夫じゃない。今にも泣きそうじゃないか。

 優也までお母様に同調して悲しそうな顔を浮かべている。


 あの女……本当に何をしやがった。


 これは親父に確認しないとだめだな。

 お母様は隠しておきたいようだが、優也ならいざ知らず、俺に気を使う必要はない。

 陰陽師見習いとして認めてくれた今なら、親父も教えてくれるだろう。


 問題を解決できるかは別として、家族の問題は把握しておかないと。

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