第142話 解禁 side:籾
ビービービー
深夜、寝室に鳴り響く不快な警告音。
生物の危機感を煽るその独特な音は、妖怪発生の通知音である。
眠気は一瞬にして吹き飛び、俺はすぐさま飛び起きた。
「出る」
「気をつけて」
短いやりとりで心の準備を済ませ、子供達を起こさないように廊下を駆け抜けた。
狩衣に着替える時間も惜しい。
情報によると現場はすぐ近く。推定脅威度は4。
車で移動するよりも走った方が早い。
緊急出動用の道具を背負い、寝巻きにしているジャージのまま外へ出た。
ちょうど峡部家の門も開き、合流すると……
「なんで聖坊がいるんだ。お見送りか?」
「ううん。僕も戦いに行くよ」
いやいやいや、さすがにそれは危ないだろう。
敵の強さも分からない、ろくに準備も整っていない。そんな状況下で子供を連れて行く親はいないぜ?
「問題ない」
「あっ、おい!」
俺の制止も聞かずに走り出しやがった。
「籾さんも早く行こう。被害者が出る前に」
「だから、危ないって……ったく!」
聖坊も乗り気とはいえ、何を考えてんだ強の奴。
いくら息子が天才だからって、さすがに早すぎんだろ。
しかも、現場まで大人の全力ダッシュかよ。
速度を落とすべきか、いや、現場に急行する方が優先だ。
聖坊が疲れていたら、俺らがフォローすればいい。
「ここか」
「この家の敷地の中みたい。売りに出されてるってことは、人はいなさそうだね」
大した距離ではないとはいえ、最後まで速度を落とさずについてきやがった。
それも、訓練している大人の脚に、だ。
運動会で足が速いのは知っていたが、御剣家の訓練に参加して体力もついたのか?
「止まれ」
家の敷地に入ろうとしたところで、強が待ったをかける。
敵がすぐ目の前にいるんだから、当然だな。
「玄関先で歓迎してくれるなんて、お行儀の良い妖怪じゃねぇか」
妖怪特有の不快な臭いが、ここへ来るまでずっと鼻をついていたからな。当然近くにいることはわかっていた。
家の中に隠れていたら厄介だったが、これは幸先良いぜ。
玄関の前、割れたガラスの欠片を寝床にして、厳つい亀の妖怪は鎮座していた。
「こりゃあ、かなり強力な陰気を放ってやがる。聖坊、絶対に近づくな」
「うん」
妖怪を既存の生物で例えるなら、ゾウガメのような姿をしている。
背中には刺々しい暗緑色の甲羅を背負っており、玄関の横幅と同じくらいの大きさだ。
鈍重そうな見た目通り、その場から動く様子はない。災害型だろう。
動かないのだから攻撃の的になりやすいが、この手の動かない妖怪は往々にして質が悪い。
自分の周囲を濃密な陰気で埋めつくし、その場を長年にわたって呪い続ける。
この土地はしばらく人が住めないようになるだろう。
そして、退治するうえでも、自慢の甲羅による防御はそう簡単に貫くことができず、持久戦になりがちだ。
「だがまぁ、倒すぶんには問題なさそうだな。強、頼んだぜ」
ここには召喚術を使う峡部家がいる。
鬼という力自慢の式神を従えた強の敵ではない。
強の鬼でも、あれを叩き潰すには骨が折れるし、何度か陰気にやられて死ぬだろう。
それでも、妖怪の注意を惹きつつ、俺たちは後方から援護するだけで倒せる。
「安全第一で行くとするか。俺が結界を張るから、聖坊は後ろに隠れて――」
「ねぇ、あそこ、人が倒れてない?」
聖坊の指さす先、割れた玄関ガラスの向こう側に人の姿が見えた。
無人だと思っていたこの場には、俺たち以外の人間がいやがった。
「あの位置はまずい」
「ヤバいな。陰気に吞まれてるじゃねーか。早く助けねぇと!」
犠牲者が出るとなれば、悠長に戦っていられない。
一刻も早く妖怪を倒し、陰気の影響範囲から助け出す必要がある。
「仕方ない。俺が裏口から救助するから、強は正面で妖怪の気を引いてくれ」
「待て」
走り出そうとした俺を、なぜか強が呼び止めた。
「聖に任せたい。できるな」
「うん、やってみる」
「おいおい、一刻を争うときに教育を始めんな」
マジかよ。
強が鬼の召喚を始めている隣で、聖坊が先陣を切るらしい。
懐から札を取り出して霊力を込め始めている。
「ったく。防御は俺に任せろ。全力で攻めていいぞ」
まぁ、強が式神を召喚するまでの間くらいなら、好きにさせてやるか。
召喚中に俺が離れたら無防備になるしな。
ここしばらく緊急出動なんてなかったから、被害者を前に冷静さを失っていたぜ。
ひとまず俺が簡易結界で安全を確保したところで、聖坊が札を飛ばした。
札は高速で妖怪の体の下へ滑り込んでいく。
ゴツン
今、妖怪の体が浮いた。
地面を隆起させて作る土の槍で攻撃したのだろうが、あの甲羅は突き破れない。
陰気で満ちている妖怪の周囲は奴のテリトリーと化している。
陰陽術も威力が減衰してしまう。
それでなくとも、脅威度4の妖怪を簡単に倒せるはずもない。
「ふーん」
俺は道路に結界の陣を描きつつ、聖坊の様子を確認する。
自分の攻撃が通用せず、妖怪の強さに恐れを抱いているかと思えば、全く動揺していなかった。
むしろ、何か考え込んでいるように見える。
「鬼、戦闘準備。いつでも前に出られるよう待機しろ」
鬼の召喚が終わった。
これで救出作戦を始められるな。
俺が口を開く前に、強が聖坊へ問いかける。
「いけるか?」
「飛ばして捻じり切る」
は?
聖坊が何を言っているのか理解する前に、事態は動き出す。
妖怪が足踏みを繰り返し、陰気をまき散らし始めた。
ただでさえ濃い陰気がさらに密度を増して……ないな。
なんか、さっき見た時より陰気が薄くなってないか?
そんな妖怪の足元に、再び聖坊の札が張り付く。
そして、妖怪が空へ飛びあがった。
「はぁ?!」
超重量級の妖怪が、なぜか宙を舞っている。
いや、なぜかじゃない。妖怪のいた場所に土の柱が伸びあがっていた。
一般的な土の相の札による効果だ。
聖坊は貫通させるつもりじゃなく、最初からこれを狙ってたのか。
「要救助者との距離を開く為に……」
なんつー力技、どんだけ霊力込めたんだ。
驚愕する俺に、さらなる驚愕が襲う。
宙を舞う妖怪に一枚の札が張り付き、その効果が発揮された。
ギャアァァァアァァァァァアァァ
妖怪の胴体、もっとも固い甲羅が捻じ切られた。
暗い闇の中でも、妖怪の周囲の空間が捻じれているのが見える。
妖怪の体はあちこち歪に捻じ切られ、そのたびに妖怪の悲鳴が上がった。
その声は老人の悲鳴のようで、聞いているだけで気分が悪くなってくる。
いや、今はそんなことどうでもいい。
「あっ、あれはなんだよ。あんな強力な札、いつの間に開発したんだよ」
「お前も知っている、
いや、あれは攻撃性の高い札だが、ここまで出鱈目な威力じゃないだろうが!
これほどの威力があるなら、お前が鬼退治で巨大な陣を作る必要なかっただろ!
「そうだ。私にはできない。これが、聖の力だ」
「おいおい、マジかよ」
アァァァァァァァ――
アァァァァ……
妖怪は全身を大小様々な肉片に捻じ切られ、地面に落ちきる前に塵となって消えていった。
脅威度4の妖怪が手も足も出ずに退治されちまった。
あいつが強かったのか弱かったのかもわからないまま、戦闘は終わった。
いやいや、正攻法で戦ったら間違いなく強かっただろう。臭いの強さから推測するに、相応の力は持っていたはず。
「これで退治できたんだよね」
「あぁ。問題ない」
妖怪を倒したというのに、聖坊は次の札を構えていた。
まるで油断してねぇ。
父親に確認して、ようやく構えを解いた。それでも札を持ったままだ。
「オーバーキルだったなぁ。もうちょっと節約してもよさそうだね」
「いや、あれくらいでいい。下手に耐えられる方が危険だ。悪あがきが一番恐ろしい。一般人が近くにいるときは特に」
「それもそっか」
妖怪を倒した高揚感も、自慢するそぶりすらも見せない。
まるで、妖怪を退治できて当たり前と考えているような振舞いだ。
いや、脅威度4を倒すという大仕事を成し遂げたのなら、普通の陰陽師は達成感を覚えるはず。
「聖坊は、脅威度4と戦ったことがあるのか?」
「あー、もう話していいんだっけ。うん、あるよ。1回だけ」
だけって、普通はこの歳で戦う相手じゃない。
それも、実質一撃で倒したようなものだろう。
それを誇るでもなく、淡々と事実を述べる聖坊に、俺は得体の知れない恐ろしさを覚えた。
「もしかして、脅威度3以下なら何度も倒しているのか?」
「うん。御剣家が紹介してくれる簡単な仕事で何度か」
一昨年の夏休みから簡単な仕事をもらっているとは聞いていた。
だがそれは、妖怪と直接戦うものだとは思っていなかった。
そりゃそうだろう、まだ10歳にもなっていない子供に戦わせるか普通?
「あっ、式神も調伏したんだよ。空を飛べる便利な奴だから、籾さんも乗せてあげる。緊急の時は僕に言ってね」
俺の知らないところで、聖坊は既に陰陽師としてがっつり活動していたんだ。
しかも、強の息子自慢は誇張ではなく、むしろかなり控えめだった。
幼いころから天才だ天才だと言って、理解もしているつもりだったが……次元が違ったらしい。
「救急車がもうじき到着する。撤収だ」
俺たちが会話している間に、鬼が要救助者
そう、中にいたのは一人ではなかった。
後で聞いた話では、老人が先にこの空き家を不法占拠しており、後から来た若い浮浪者と口論になったらしい。
恐らく、それが最後の一押しとなって妖怪が発生したのだろう。
濃密な陰気を大量に摂取した彼らは病院へ送られ、しばらく安静にさせられる。
どのような形で不幸が訪れるかは、神のみぞ知るってところか。
金もないのに入院・治療費が発生する時点で、彼らにとっては不幸なのかもしれない。
こうして、夜中の妖怪退治は1時間かからずに終わってしまった。
すぐに帰ってきた俺を、裕子が不思議そうな顔で見つめてくる。
明け方まで覚悟していた俺が一番驚いているんだがな。
「なんか、妙に目が覚めちまった」
次に会うとき、俺は聖坊とこれまで通り接することができるか?
得意分野が違うとはいえ、聖坊はすでに俺より強くなっていた。
これからは聖さんって呼んだ方がいいか?
少なくとも、坊はとった方がいいよな。
呼び方を真剣に考えているうちに、夜は明けていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます