第150話 一般陰陽師と脅威度4


 聖の祖母がお世話になっている病院から少し離れた場所にて。

 住宅街の細道を走る2人の男がいた。


「はぁっ はぁっ 公園、遠くね?」


「戦場は広い方がいいって言ったのはお前だろ。無駄口叩く暇あったら足動かせ。追いつかれるぞ!」


 2人とも動きやすいジャージを着ており、格好だけなら夜のランニングに出ている中年男性に見える。

 しかし、その後ろから追いかけてくる妖怪が見えたとしたら、命懸けの追いかけっこをしていることに気づくだろう。


「こっちだノロマ!」


「俺達を殺せるもんなら殺してみろ〜!」


 心の中で悲鳴を上げながら、口では追跡者を煽ってみせる。

 男達が減速することなく角を曲がった直後、彼らの後を追う妖怪がブロック塀にぶつかりながら豪快に進路変更してきた。


「グァアアオォォウ」


 腹に響くような雄叫びには、怒りの感情がこもっていた。

 巨体の割に素早い身のこなしで、四つ脚で街中を駆ける姿はヒグマのようである。


 何度も進路変更することで妖怪の速度を抑えてきた男達は、ついに目的の公園へ辿り着く。


「待ってた! 早く入れ!」


「言われずとも!」


「セーフ!」


 2人が地面に描かれた陣へ駆け込むと同時、砂場の砂がひとりでに動き出す。

 みるみるうちに出来上がったのは、天岩戸の陣で作った砂の城だ。

 

「はぁ〜、死ぬかと思った」


「誘導お疲れさん。悪いけど、このままだとすぐに結界が壊されるから、牽制よろしく」


「少しくらい休憩させろ」


 息の上がっている2人を見て、結界を作り上げた中堅陰陽師の市里いちさとは印を結び始める。

 すると、結界の外に置いた人形代が動き出し、外の光景が彼の目に映った。

 妖怪は公園の入り口まで迫っており、まっすぐ結界に向かって突進してくる。

 

「時間稼ぐけど。ちょっとだけな、ちょっとだけ」


「おう、市里家の大火力を見せてやれ」


「頼むわ〜」


 市里家に伝わる秘術は結界術だ。

 攻撃手段については一般に出回っている知識しかない。

 それを知っていて、2人は軽口を叩く。

 この地域に引っ越して初めて出会った3人だが、不思議と馬が合い、共闘することも多い。


「うわ、もう来た! 市里家当主がこいねがい奉る。火之迦具土神よ――」


 火力に自信がなく、時間的余裕があり、霊力を節約したい。そんな場合、呪文の詠唱が有効である。

 神や御先祖に祈りを捧げることで、威力が増幅する。


 ドン!

 ザグッ!


 そんな詠唱の最中、妖怪が結界に体当たりしてきた。鋭い爪で切り裂こうともしている。

 パワー自慢の妖怪がすぐそばで暴れている――人形代越しに見える光景は冷や汗ものだった。

 しかし、市里は自分の結界を信じて詠唱を続ける。


「やべ〜。市里の結界が揺れる揺れる」


「5分くらいは持つだろ」


(渾身の力作を好き勝手言いやがって)


 本来、戦闘中は詠唱を省略することも多い。

 コンマ数秒が生死を分ける戦いの最中、口を動かす暇があれば回避に専念した方が生き残れるからだ。

 今回は強固な結界の中だからこそ、ゆっくり詠唱ができた。


(よくも結界を傷つけてくれたな。喰らえ!)

「――敵を焼き払え! これでどうだ!」


 ドン!


「ダメだ、全然効いてねぇ!」


 爆発音は轟いたが、妖怪は少し後ろにのけぞっただけ。予想通りほとんど効いていない。

 最初からわかっていたものの、この結果には市里も泣きたくなった。


「そんじゃ〜そろそろ俺らも復帰しますか」


「息は整ったな。札は?」


「そこにある」


「「OK」」


 2人は予め霊力を注いだ札を箱に詰め、市里に預けていた。

 天岩戸の出入口は結界の上部に作られている。市里が入り口をわずかに開けると、2人は妖怪に向けて次々札を飛ばす。

 焔之札に風刃之札、竹槍之札などなど、持てる限りの手札を使って攻撃していく。


「焔之札が一番効きが良いが……」


「耐久力高すぎてどれもあんまし変わんないな~」


 火力担当の2人は妖怪の弱点属性を探し、結界内で追加の札を作る。安全圏を作って戦えるからこその選択肢である。

 とはいえ、効果はあまり変わらないため、結局手持ちの札全てを使って攻撃することにした。

 左右から次々と札が襲う光景は、ボクサーのラッシュを思わせる。


「グォォオオオオ!」


 結界の中で安全に攻撃を続けていると、妖怪が苛立ち混じりの雄叫びを上げた。

 いつまで経っても殺せない相手に苛立ちを隠せないようだ。

 しかし、目の前の人間を見逃したりはしない。

 狙いを定めた敵は必ず殺すし、敵意を向けてきた人間は全力で殺す。

 殺人型の一般的な性質だ。


「おぉ、札ちゃんと効いてるな。それにしても、結界思ってたより保つな~」


「パワー系って情報もらったから、流動性のある砂で作った」


 揺れるし、衝撃音は響く。それでも結界自体は壊れない。砂が衝撃を分散し、全て地面へ受け流している。

 病院の結界を壊されて以来、プライドを傷つけられた市里は自己研鑽を積んだ。その成果が発揮されているのだ。


「つっても、そろそろ限界だ。離脱の準備よろしく」


「「了解」」

 

 最初のボーナスタイムは終わりを迎えた。

 攻撃を喰らいながらも妖怪は止まることなく砂の結界を叩き続け、ついに破壊したのだ。


「ほれ、こっちだデカブツ!」


「ガァァァァァアアア!」


 崩壊と同時に散開した男達。

 そのうち1人が札を当てながら妖怪を引き付けた。

 負の感情に敏感な妖怪は男へ向かって走り、逃げる男の背を追う。


「――大地よ、我が敵の進攻を食い止めよ! 急急如律令!」


 詠唱と共に地面から先の尖った木が飛び出す。

 突進していた熊妖怪は見事にそこへ突っ込み、肩に深々と突き刺さった。

 動きを止めた妖怪の爪は男の目の前まで伸びており、陣が突破されれば八つ裂きにされていたことだろう。

 最初に妖怪を引き付けた男は、ここへ誘導するように逃げていたのだ。

 陣に塩を撒いて隠蔽したのは市里であり、結界構築と合わせて戦場を整える役割も任されていた。


「ひぃ~。生きた心地がしねぇ。市里、頼んだ!」


「あと少しでキリのいいところまで出来たのに」


 市里は別の場所で次の結界の準備を始めていた。

 今回の妖怪は脅威度4の中でも上位の強さを持つと判断し、長期戦の為に結界が必要と判断したのだ。

 誘導役と結界準備を交互にこなすのは骨が折れる。

 しかし、無事に生き残るためには死力を尽くさなければならない。


「あああ! 最近家に篭ってたから、脚が衰えてるぅぅぅ」


「ははは、追いつかれるなよ!」


 彼らは戦闘中にも関わらず軽口を叩く。

 これまでの経験から、長時間の戦闘により神経を張り詰め過ぎてもいけないとわかっているからだ。

 どこぞの新米陰陽師のように瞬殺できたら苦労はしない。

 副次効果として、負のエネルギーの塊である妖怪に対し、明るい空気をぶつけることでほんの少し弱体化する。


 男達は陣や札を使って妖怪を翻弄し、交代で逃げ回っていた。


「これで、どうだ! かぁ〜、効いてる気がしねぇ」


「いや、動きが悪くなっている。この調子で叩くぞ」


「おっさんが無理するな。ほら、次の結界できたから休憩入れ」


 逃げ回って30分ほど経っただろうか。砂場に再び天岩戸の陣が完成していた。

 心はまだ若々しいおっさん達も、体は素直に悲鳴をあげている。


「手応えはある」


「なら、救援依頼は要らないか」


「結界がなかったら、こんなんやってられなかったけどな~」


「その感謝は寿司で表してほしい」


「報酬出るんだから自分で食いに行けぇ〜い! 俺は今月の稼ぎがやばくて母ちゃんに怒られてんの。その点お前は独身だろ?」


「俺も研究用の素材買って金欠なんだよ」


「どこも似たようなものか」


 どこまでも普通な3人は、それぞれの目的の為に奮闘する。

 そして、戦闘と結界での休憩を三度みたび繰り返したところで、戦いの終わりが見えてきた。


「大地の神聖なる力をもって、敵を縛り繋げ。怨敵に贈るは大地との抱擁。大いなる力をもって拘束せん。土之手! 捕まえた」


 硬い地面が隆起し、巨大な手の形を成して妖怪を捕らえた。

 男の家に伝わる秘術であり、それをさらに改良したものだ。

 攻撃も拘束も可能な使い勝手のよい陣であり、ラストスパートに向けて温存していた。


「畳み掛けるぞ!」


「「おう!」」


 3人は残る霊力を使い果たす勢いで攻め立てる。

 悪足掻きする隙を与えられることなく、動きを止められた熊妖怪は滅されるのだった。


「よっしゃぁ! どんなもんだ〜!」


「落ち着け、近所迷惑だ」


「もう丑三つ時か……かなり時間かかったな。いや、あのレベル相手に無傷で勝てたんだ。むしろ上等か」


 戦闘は4時間にも及んだ。

 突出した才能もなく、決め手に欠ける3人ならば、こんなものである。


「5弱手前の4ってところだろ。予言がなかったらヤバかった~」


「年々強くなっているな……勘弁してほしい」


「5弱なんてでたら、時間稼ぎもできるかどうか」


「市里のス〜パ〜結界に期待だな」


「今、時間稼ぎできるか心配だって言ったんだけど? まぁいいや、腹減ったし、ラーメン屋にでも行こう」


「母ちゃんも寝てるだろうしな。よっし、行こ~」


「この辺りなら、さとう2号店か」


 こうして、男達の戦いは終わった。

 一般的な陰陽師にとって、脅威度4発生は大事件であり、命懸けの戦いとなる。

 最近、その常識を忘れかけている新米陰陽師の管轄区域でも、妖怪の魔の手が伸びていた。

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