第27話 札飛ばしと墨加工



「なに?! 聖坊はもう札に霊力を込められるのか?!」


「うん、すぐにできたよ。でも、ぜんぜん飛ばせないんだ」


 俺はいま殿部でんべ家にお邪魔している。

 同い年の子供がいるということで、2ヵ月に一度お互いの家で遊ぶ関係だ。

 

 今日はたまたま殿部家当主 籾さんがお休みで、一人娘の加奈ちゃんの面倒を見てくれている。

 その傍らでブロック遊びをしている俺が雑談をしているところだ。


「はぁ~、聖坊は陰陽師の才能があるのかもな。羨ましいぜ。うちのお姫様にも指導始めるべきか?」


「貴方、さすがに早すぎよ。今始めても集中力が続かないでしょ」


 籾さんの妻 裕子さんがそう言って窘める。

 これまでの付き合いから峡部家と殿部家はかなり密接な関係であることが分かっている。峡部家の秘伝なんかは話題に出せないが、陰陽術の基礎である札飛ばしくらいは何の問題もない。


「だが、聖坊はもう始めてるしよぉ」


「かなもおんみょーする!」


「ほら、加奈も乗り気だぞ」


 チヤホヤされている俺に対抗して加奈ちゃんが名乗りを上げる。

 一緒に遊ぶことで結構仲良くなってきたが、こういう時には俺に張り合うことが多い。

 俺の存在が加奈ちゃんにとっていい刺激になっているらしく、殿部家には歓迎されている。


「おんみょーじチャンネルを最後まで見られるようになってから、お父さんにお願いしようね」


「みる」


 普通の家では子供におんみょーじチャンネルを見させるのが大変だという。

 最初の方こそ式神や戦闘シーンで子供をワクワクさせてくれるが、その先は地味な陰陽師の習わしだったり、持ち回りの仕事紹介だったり、面白くない内容が増えてくる。

 派手な技は各御家にて秘匿されている関係で、誰にでも公開できる情報は限られてくるのだ。

 俺としては契約書類や事務書類を読むより楽しいので余裕で見続けられたが。


 そんな内容で普通の子供が全話見続けられるはずもなく、途中で飽きて寝てしまうのだとか。

 加奈ちゃんもおんみょーじチャンネルの序盤で止まっているらしい。


「加奈に教えるのが楽しみだなぁ。あと3ヶ月で長男も生まれるし、楽しみが多くて幸せだぜ」


「かな、おねぇさんになるんだよ」


「そっか、それはすごいね」


 加奈ちゃんが自慢げに教えてくれた。

 ここ最近は会うたびにこの話題が出てくる。

 殿部家にも待望の男児が生まれるとあって、夫婦そろって浮かれ気味である。そんな両親の姿につられて加奈ちゃんも嬉しそうだ。


「ゆうやちゃんのおねぇさんで、おとうとのおねぇさんなの」


「ねぇね、あげる!」


「ありがと!」


 籾さんと加奈ちゃん、そして弟の優也が一緒に遊んでいる。

 加奈ちゃんは優也を通して弟というのがどんな存在か分かっている。

 女の子だけあって成長が早い。自分より小さい存在を守ってあげようという気持ちが既に備わっているのだ。

 本当にいい子に育っている。これで顔が好みだったら……非常に残念だ。


「聖ちゃんがいいお兄さんのお手本を見せてくれているから、加奈もお姉さんになれたのよ。ありがとうね」


「そうだなぁ、聖坊には何かお礼をしなきゃだな」


 俺は大したことをしていないのだが、お礼をくれるというのなら遠慮なく貰おう。

札を飛ばすコツを教えてください。


「札飛ばしのコツかぁ……。これといって思いつかん。陰陽術は出来て当たり前と思うことが大切だからなぁ」


「出来て当たり前?」


「おう。霊力は体の一部だからな。陰陽術の素となる霊力を飛ばせるのは当たり前と思わねぇと。実際は札に呪文を描いてそういう能力を付与しているわけだが、結局は自分の霊力だ。自分の身体を動かすことに疑問を抱くなんておかしな話だろう。その時点で札を飛ばすことなんて出来っこねぇんだ」


 するってぇとなにかい。

 俺自身が札を飛ばせると信じてないから、いつまで経っても札が空を飛ばないと、そういうことか?

 何それ、能力云々じゃなくて精神論ってことかよ。俺の今までの努力はいったい?


「陰陽術ってのは、科学みたいに論理的な説明のつく現象じゃねぇ。異世界や神界、俺らの理解の及ばない領域へ干渉することで成り立つものが多い。聖坊はまだ小さいのに頭がいいからな。難しく考えすぎねぇ方がいいぞ」


「とにかく実践あるのみってこと?」


「おう、その通りだ」


 なんとも体育会系なノリである。

 前世で運動部に所属したこともあったが、そういうノリにはついて行けなかった。

 冷めているといってもいい。

 でも、陰陽師になるためなら……頑張れる気がする。


「つっても、練習始めたのなんて最近だろう。もっと練習して、自信を付けたら勝手にできるようになってるパターンが多い。霊力注入が出来たなら、時間が解決してくれるだろうよ」


 籾さんのありがたいアドバイスを貰ったおかげで、俺は次の日に札を飛ばせるようになった。

 そして夜にはタイミングよくクソ親父が帰ってきた。


「……もうできるようになったのか」


「うん、1回浮かんだらあとは簡単だった」


 籾さんのアドバイスは的確だった。

 散々扱ってきた触手と同じように、外部に出した霊力も動かせるのは当然と思い込んでリトライしたらあっさり成功した。

 これまでの苦労は何だったのかと思うくらい簡単だった。

 まぁ、1ヵ月でクリアしたのだから十分早い方だと思うけど。

 その証拠にほら、クソ親父が目を見開いている。


「本当に飛ばせるようになったのか……。まだ速度は遅いが、それもすぐ追いつきそうだ」


 そりゃあ、今飛ばしているのは霊素だからね。

 霊力よりもずっと重いし扱いづらいんだよ。


 おんみょーじチャンネルやクソ親父、籾さんの話を鑑みるに、霊素や重霊素のような存在は常識ではないようだ。

 しかし、元は霊力であるためかこうして札に込めることも出来たし、空を飛ばすことも出来た。

 霊素を込めると馬力が上がる気がする。光が強くなったり、一直線に空を飛ぶときのスピードが上がったり、変化が見られた。

 重霊素にしたらさらに違う効果がありそうだ。


「……次の課題を出そう。この水に霊力を込めてみろ」


「これ、水道水?」


 ただの水道水だった。

 それが小さめのツボに入っている。

 これが何かの訓練になるのだろうか。


「陰陽術の基本として札に呪文を描く必要がある。そのためには、霊力を込めた特製の墨を用意せねばならない。こういう消耗品は自分で用意するのが一般的だ。この課題は固体よりも難しい液体への霊力注入に慣れる意味がある。まずは墨よりも難易度の低い水で——」


「出来た」


 確かに札や卵よりは難しいが、触手を出すよりもずっと簡単だった。

 クソ親父はまたもや説明の途中で遮られて唖然としている。


 クソ親父は懐から筆と白紙の札を取り出した。

 俺が霊力を込めた水に筆を浸し、呪文を描いているようだ。


「……本当にできたのか? いや、多少込めたくらいでは意味はないぞ。水が飽和するくらい込めねば、陰陽術を発揮しな……したな」


 霊力を流したのだろう、謎の原理によって札が光っている。

 これで課題はクリア。

 次……は言われずともわかる。


「次は墨?」


「……ああ。少し待っていろ」


 さすがに墨は用意していなかったようだ。

 しばらく寝室で待っていると、同じような壺を持ったクソ親父が戻ってきた。


「……同じ要領でやってみろ」


 もう同じ説明はしないか。

 またすぐにクリアされると思っているのかも。


「出来た」


 その予想は正解ですよクソ親父殿。

 確かにちょっとだけ抵抗を感じたけど、大した差はなかったかな。

 さて、次の課題は何でしょうか?


「……出来たのか……出来てるな」


 札がまた光り輝いている。

 けど、それは水と同じくらいの光で……。


「墨より簡単な水じゃダメなの?」


「水は乾くと効力が落ちる。古き良き墨が一番霊力を保持し、繊細な文様を描ける」


 本当かぁ?

 墨よりシャープペンとか極細のボールペンの方が繊細な文様を描けそうなものだけど……。

 今度試してみよう。


「これも出来てしまったか……少し待て」


 今度は懐から「峡部家陰陽術指導教本」を取り出し、俺に背を向けて読み始めた。

 さて、次は何を教えてくれるのだろうか。

 札が飛んだり光るのも神秘的で興味深いけれど、もっとこう、式神を召喚するみたいな派手なやつを教えて欲しい。


 残念ながら、そんな俺の願いは届かなかった。


「ひらがなの練習を始める」


 それくらいできるわ、バカにしてるのか! と言いかけて止めた。

 俺、今2歳児だった。四捨五入してなんとか3歳児。

 ひらがなを書けないのが普通だった。足し算すらできない無知なる存在でした。


 そして、クソ親父がなんでひらがなの練習をさせようとしているのかは十分理解できる。きっと札に描く呪文を教えるための前段階だろう。理解できてしまうだけに拒否できない。


 どうしよう、このままだとひらがな練習帳用意されるんだけど。

 陰陽師の教育で一般教養を習わされるとか想像してなかったんですけど。

 老人になるまで生きた俺が今更ひらがなの勉強とか、なんていうか……こう……屈辱。


 平仮名なら見て覚えたとか言えばいいか?

 でも、その後に来るのは間違いなくカタカナと漢字。さすがに2歳児がカタカナと漢字を書き始めたら違和感あるだろう。


「や、やる……」


「うむ」


 俺はうまい言い訳が思いつかず、大人しくひらがなの勉強を始めることとなった。



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