第28話 加奈ちゃんお泊り中
殿部家の長男誕生予定日が近づき、裕子さんは余裕をもって入院することとなった。籾さんは豪快な性格に反して、結構心配性らしい。何かあったらまずいと、2度目の出産で余裕な態度の裕子さんを病院へつれて行った。
そのため、残された加奈ちゃんは現在峡部家へ滞在中である。
我が家なのに、常にお客さんがいる状況というのは不思議な気分だ。我が家が我が家でないような。
「なにしてるの?」
「ひらがなの勉強だよ」
俺がひらがな練習帳を埋めていると、横から加奈ちゃんが手元を覗いてきた。
クソ親父から出されたこの課題を、俺はかれこれ3ヵ月もやっている。
最初は何やっているんだろう俺、なんて邪念が湧いていたが、お手本通りになぞっていると思いのほか線がブレた。
俺の字は綺麗ではないがそこまで汚くもない、そんな自己評価だったが、間違っていたようだ。
気づかぬ間に字に癖が出ており、お手本から随分崩れてしまうことが多かった。
つまり、俺の文字は理想的な形からかけ離れた汚い文字だったのだ。
前世から当たり前に書いていた文字が汚いという、衝撃的な事実を受け、俺はこの課題に対する姿勢を改めた。
せっかく人生をやり直すのだから、綺麗な文字を書いていこう、と。
職場にも字の綺麗な人がいて、見るたびに感心させられたものだ。
それからは練習帳にある文字をよく見て、正確になぞり、お手本に近い文字をかけるよう意識して練習に取り組んだ。
とはいえ、一度は覚えた文字なんだからすぐに終わるだろうと思ったらそれは間違いだった。
むしろ前世の癖がなかなか抜けなくて、それを矯正するのに時間がかかっているところだ。
お手本をなぞれば綺麗な文字が書けるのに、キャ〇パスノートに書くと同じものが書けなくなる。油断するとすぐに癖がでるのだ。まさか前世の経験が足枷になるなんて。
「かなもやる」
「いいよ。これを使って」
加奈ちゃんの対抗心はこんな所でも発揮された。
いや、どちらかというと「仲のいい友達がやっているから自分もやりたい」といったところか。
使いかけのひらがな練習帳だが、加奈ちゃんが遊ぶにはちょうどいいだろう。
「この線をなぞってね。順番はこう。これは“あ”だよ」
「あーー」
発音しながら文字をなぞる加奈ちゃん。
お絵描きが大好きな彼女は鉛筆の扱いに慣れている。
正しい持ち方はもう少し大きくなってから幼稚園の先生に教えてもらえばいいか。
「あら、綺麗な文字が書けていますね。お父さんに見せたらきっと喜びますよ」
「ほんと?!」
「はい、本当ですよ。きっと加奈ちゃんの成長を喜んでくれるでしょう」
「えへへ」
加奈ちゃんが率先してお勉強していることに気が付いたお母様がそんなことを言う。
加奈ちゃんのやる気を上げる完璧な援護である。
満面の笑みをうかべた加奈ちゃんだったが、不意に不安げな顔をのぞかせる。
「ままもよろこぶ?」
「ええ、きっと喜びますよ。病院で頑張っているお母さんに、文字の練習をしたと教えてあげましょう」
「うん!」
幼子といえど、お母さんが入院となると心配だよな。
そもそも生まれて初めてお母さんと離れ離れになって不安だろうし、他人の家で過ごすとあって安らぐ暇がないのかもしれない。
俺ももう少し構ってあげるべきか。
その後、裕子さんへ電話した加奈ちゃんはあっという間に元気になった。
子供ってこんなに情緒不安定なのか。
俺が殿部家にお邪魔した時は「まぁ大丈夫だろう」くらいにしか思ってなかったんだけど。
俺自身入院経験あって慣れてたから……お母様元気だったし……。
裕子さんに褒められた加奈ちゃんはひらがなの練習をさらに頑張った。
子供らしいへにゃへにゃな文字だけど、全く知らない文字を1つずつ覚えていく姿には感慨を覚えた。
俺も負けていられない。
加奈ちゃんと2人で、静かにひらがなの練習を続けるのだった。
~~~
「あっ、れいじゅーのたまごだ!」
子供特有のお昼寝タイムを終えたところで、加奈ちゃんが寝室の隅に置いてある卵を見つけた。
生後8ヵ月の頃にクソ親父が買ってきた5000万円するあの卵である。
あれからさらに大きくなり、今ではランドセルサイズになっている。模様も複雑になり、何が生まれるか今から楽しみだ。
毎日霊力を貪り、日毎に要求量が増えてくる。もしもこれで雑魚が生まれたら、とんだ無駄飯ぐらいである。
「いーなー。ほしーなー」
そんな期待の目で見つめてもあげません。
俺が加奈ちゃんの我が儘を大抵許しているせいか、お願いすれば何でも叶えてもらえると思われている。
俺の霊力を吸った霊獣の卵だから、そもそも俺にしか懐かないし。
5000万だし。
「なんのあかちゃんがうまれるの?」
「霊獣だって。どんな霊獣かは生まれるまで分からないんだ」
「かなのおとうとは、おとうとってわかったよ」
そう言われてみれば、超音波とかCTスキャンで卵の中身を透視したら、中身が分かるかもしれない。
面白い実験だが、5000万円の検体を使う勇気はない。
こいつには無事に生まれてもらい、値段分の活躍をしてもらわなければならないのだから。
「よし、よーし」
興味津々で卵を叩いていたあの頃からだいぶ成長し、壊れものを扱うように撫でる加奈ちゃん。
その姿からは既にお姉さんとしての思いやりが垣間見える。
卵が壊れやすいものだと知っているし、その中には赤ちゃんがいることも分かっているのだ。
本当に成長したね、加奈ちゃん。
娘を持った父親の気分だよ。
「あかちゃんうまれたら、ちょうだい」
「それは無理」
「なんで!」
籾さんと俺に甘やかされたお姫様は、自分の欲求に素直なのだった。
そっか、里親制度も知ってるんだね。本当に知識が増えたね。
でもそのお願いは叶えられん。
お父さんに
籾さんも、今年の娘の誕生日プレゼントに霊獣の卵をリクエストされるだろうけど、無理かなぁ。買うとしてもプレゼントする相手は長男一択。
陰陽師の家系は未だ長子相続が根強いから。陰陽術の継承も御家相続も全ては長男が担う。次男以降は秘術以外の陰陽術を教えられ、分家として本家を支えることとなる。
加奈ちゃんを含む女性に教えられるのは陰陽術の基礎の範囲のみ。いずれはどこかの陰陽師家へ嫁いでいくので、夫の仕事を知らなければならないからだ。
これもおんみょーじチャンネルで教わった。
まぁ、近代化が進むにつれて例外が増え、獅童お姉さんのように女性でもバリバリ陰陽術を習う人が徐々に増えてきているそうだから、絶対というわけではないらしいけど。
「ねぇね! あそぶ!」
「ゆーや! いいよ、あそんであげる!」
いつの間にか起きていた優也が加奈ちゃんを見つけてはしゃぎだした。
それにつられてお姉さんを発揮した彼女もはしゃぎだした。
子供の興味は移ろいやすいもの。
全く動きの無い霊獣の卵なんか忘れて、2人はきゃいきゃい遊び出すのだった。
お兄ちゃんもたまには混ざるとするかな。
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