第29話 身体強化の秘めたる力



 加奈ちゃんの弟が生まれて数ヵ月が経過し、俺は3歳になった。

 3歳になると保育園へ通う子供もいるが、我が家は4歳で幼稚園に入園する教育方針らしい。まぁ、陰陽術の練習もしているし、家にいた方が何かと都合がいいのだ。


 霊力精錬は進展こそないものの、これまで発見してきた第壱~第陸精錬の効率が上がってきた。これといって理由はなく、ただ単に慣れてきたおかげ。日常生活を送りながら並行して精錬することができるようになった。


 陰陽術の練習も順調で、綺麗な字を書けるようになったし、最初にクソ親父が用意してくれた“光って飛ぶ札”も自分で作れるようになった。

 墨の扱いがなかなか難しかったが、若い体は新しいことをスポンジのように吸収してくれる。今は札作成に必要な文様10種類の練習中だ。


 ただ、不思議生物の方はどうにも芳しくない。あいつら、俺からどんどん逃げるようになった。

 罠を張っても俺が近づくと蜘蛛の子を散らすように消えてしまう。

 捕獲数は日毎に減っていっている。そして、俺の触手捌きが反比例するように上達している。

 今では姫騎士にあんなことやこんなことを出来るくらい繊細な動きが可能となった。


 色々な変化があったが、それよりも重要なのは俺の身体能力だ。

 俺が身体強化と呼んでいた技術が……覚醒した。

 これまで意図的に霊力を操って発動していた身体強化が、特に意識しなくても常時発動するようになった。そう、例えるなら全集〇の呼吸常〇みたいな状態だ。


 もっと正確な例を挙げるなら、ミトコンドリアや葉緑体の細胞内共生説が近い。

 もともと真核細胞であるミトコンドリアや葉緑体は独立した生物だったが、動物や植物の細胞に取り込まれながら共生することで生き残ったという説だ。


 これまでは全身に霊力を巡らせて細胞を活性化させていたが、そこから応用できないかと考えた俺は霊素を細胞に突っ込んでみた。あくまでイメージ的に霊素を動かしただけだったそれは、まさかの反応を見せた。

 細胞内でいつまで経っても消えないのだ。しかも、細胞内で身体強化と同じ作用をもたらしながら。

 細胞は毎分毎秒死滅しているはずなのに、いつまで経っても身体強化が消えない。つまり、細胞分裂と共に霊素も分裂増殖しているということ。

 それはさながら、細胞内共生説を実演するかのようだった。

 すべて俺の感覚によるものなので真実かは定かでないが、自分の身体のことは自分がよく分かる。そんな感じの過程を経て、身体強化が覚醒した。

 果たして俺は、今もホモサピエンスを名乗れるのだろうか……。


 思い付きで試した結果大きな成果を上げたことで、俺は身体強化に夢中になった。

 もしかして、他にも何か隠された可能性があるのではないかと。

 そんなこんなで半年が経過した。


 3歳6ヵ月になった俺はさらに身体強化が極まってきた。

 細胞に突っ込んだ霊素を重霊素と入れ替え、頑強さが増した。石を殴っても手が痛くないし、針を刺そうとしたら先が潰れた。

 やっぱり俺、人間辞めているのでは?


 ちょっと心配になったものの、これくらいでは妖怪に対抗すらできないのが陰陽師界である。

 陰陽術の練習を始めてからクソ親父が仕事の話をしてくれるようになった。

 話を聞く限り、妖怪は人間の膂力など遥かに上回り、ありえない速度で動くのだとか。

 それに対抗するために陰陽師は式神を使うし、札や儀式を利用するという。


 そして、そんな人外の力を持つ妖怪に身体能力で張り合うのが武家である。

 ……陰陽師も時代錯誤だが、武家って、廃刀令どこ行った。

 クソ親父が務める御剣家というのもこの武家らしい。


 陰陽師が後衛だとしたら、武家が前衛を担う。

 役割分担することで人外の敵と戦うそうな。

 そういうことは早く教えて欲しかった。


 ちなみに武家の人間は“霊力”ではなく“内気”を用いて身体強化に似た作用を発揮し、超人的な力を得るのだとか。

 これまた未知のエネルギー源が判明した。

 この世界が本当に俺の元居た日本なのか怪しくなってきた瞬間である。


 そんな新事実もあり、俺はこの身体強化を本格的に鍛えても大丈夫だと判断した。

 武家以外にも武僧という陰陽師の一種が身体強化に似た術を持っているそうだし、人外になることを気にしても今更だ。

 プロの陰陽師なら近接戦にも対応できた方がいいに決まっている。


「ぬぬぬぬ、ぐぐぐぐ、んんんがぁぁぁぁあ」


 転生して初めて知ったよ。

 俺って何かに熱中すると、やりすぎってくらいに没頭することを。

 前世ではこんな楽しいことを知らなくて、文字通り人生を損していた。


 俺は今、身体強化の限界を更新しようとしている。

 体中に霊力を巡らし、霊素も動かし、細胞内の重霊素を総動員する。いつも何か壁のようなものを感じてストップするのだが、今回はその壁を超えたいと思う。

 火事場の馬鹿力という言葉があるように、人間の筋肉は本能的にリミッターを掛けられているのは有名な話。

 つまり、身体強化も限界を超えて発揮できるに違いない!

 というコンセプトのもと、俺は留守番中の我が家で唸り声を上げていた。


 タイムリミットはお母様と優也が買い物から帰ってくるまで。

 それまでに、なんとか……うぅぅおぉぉぉぉぉっ!


 体育会系のノリは嫌いなのに、思わず出てしまう気合いの叫び声。

 はたしてそれが功を奏したのか、身体強化は新たな効果を発揮した。


———裏世界への位相転移という結果をもって。



 …

 ……

 ………


「ここは、どこだ」


 気合を入れるために目を瞑っていた俺が頬を撫でる心地よい風に目を開けると、そこは別世界だった。

 夕焼け空が広がるどこか懐かしい雰囲気の町中。

 全く記憶にないこの場所に、俺は1人立ち尽くしていた。


 さっきまでいた寝室も薄暗かったが、まだ昼下がりの明るい時間帯だったはず。

 そもそも裸足で外に立っていたわけもなく。


 周囲をよくよく見渡してみれば、俺が立っている場所は手狭な境内のようだ。

 背後には何かを祀った御社殿があり、深い影の差すその建物からは異様なオーラを感じる。

 境内の外は平屋の民家が立ち並んでおり、ここは住宅街にある小さな神社なのだろう。

 夕方だからという理由だけでは説明がつかないくらい薄暗く、息をする度ねばつくような空気が満ちており、どうしようもなく不安をかきたてる空間だ。


 気が動転してもおかしくない奇妙な状況だが、一度転生を経験している俺からすればこんなこともあるかもしれない、なんて思ってしまう。

 だって、原因が分かっているから。


「間違いなく身体強化が原因だろ。いったい何がどうしてこんなところにいるのやら」


 原因は分かっているが対処法が分からない。

 ここはどこなのか、どうやって帰ればいいのか、お母様たちが帰ってくる前になんとかできるだろうか。

 そんなことを考えながら周囲を見渡していたその時、何の前触れもなく頭がズキズキ痛みだした。


「うっ、なんだこれ、痛たたたたた。体もゾワゾワ疼くし、何なんだいったい」


 ガンで激痛を経験している俺でもこの頭痛には耐えられそうにない。

 手持ちに薬もないし、帰る方法も分かっていない状況でこの追い打ちは辛すぎる。

 俺が痛みに頭を抱えていると、不意に後ろから声を掛けられた。


+`>`+_>”!*+_*%#&?お前、もしかして精霊か?


 先ほど振り返った時は誰もいなかったはずのその場所に、子供の影があった。

 影といっても痕跡という意味ではなく、そこに立っている子供の姿が真っ黒で、まるで子供の影が浮き上がったかのような……およそ人間とは思えない姿をしているのだ。

 子供というのも背格好が小学1年生くらいに見えたからで、不思議生物と同じようにその輪郭が上手く認識できない。

 ただ、喋り方から子供特有の拙さを感じる。


 それに加え、先ほどの呼び掛け。

 全く知らない言語なのに、その言葉の意味が強引に脳みそへ刻まれたような、強烈な違和感を覚えた。

 町並みは普通の人間世界と同じなのに、この子供と邂逅してはっきりと理解できた———ここは人間の住む世界ではないのだと。




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