第172話 白髪の少女


 結論から言うと、空海さんの紹介状は長士ちょうし 典子のりこさんの心を動かすに至らなかった。


「ふん、あの時の武僧からかい。……荒御魂については本当のようだけど……。だからと言って、そう簡単に引き受けたりしないよ」


 荒御魂にずいぶんと御執心な様子。

 唯一の伝手が潰え、次の手をどうするか考え始めたところで、長士さんは帰路に就く準備を始めた。


「あんたら、今晩はここの宿坊に泊まるつもりだろう? 関係者用の部屋は早い者勝ちだ。さっさと確保したほうがいい。ついてきな」


「とりあえず、着いて行こっか」


「そうですね。長士さん、道中よろしくお願いいたします。改めて私たちの自己紹介を——」


 振り返ることなく山道を進む老婆と、その後ろを追いかける俺たち。

 長士さんは終始無愛想だったが、一番体力のないお母様に歩調を合わせてくれたあたり、人の良さが垣間見える。


「長士さん、なんで荒御魂を警戒してるんですか?」


 その人の良さにつけ込み、俺は無垢な子供のふりをして聞いてみた。

 長士さんを説得する突破口があるとしたら、そこのはず。


「……」


 答えてくれないか。


「……人にはあまり思い出したくないこともあります。その話題はやめておきましょう」


 お母様が耳打ちしてきた。

 無神経だった自覚はある。

 そこからは黙々と移動し、恐山の中心地ともいえるお寺——恐山菩提寺へ辿り着いた。

 参拝者が泊まるための宿坊は敷地内にあり、長士さんの言う通り関係者用の部屋があった。

 最後の空き部屋に滑り込み、活動拠点を確保する。


「霊力を持つイタコはこの辺りに部屋をとっている。交渉するのは勝手だけど、仕事の邪魔はしないでおくれよ」


 そう言って長士さんは外に出てしまった。

 これから降霊術で仕事をするのだろう。


 早速近くの部屋をノックしてみるも、反応がない。


「皆さんお仕事へ行かれたのでしょうか」


「そうかもね。次はどうしよう。仕事の邪魔をするわけにも行かないし。……あっ、ここ電波来てる」


 山中は圏外だったスマホも、ここなら電話ができる。

 俺はいったん自室に戻り、空海さんへ電話を掛けた。


「ダメでした」


『イタコのトラウマを甘く見ていました。ジョン殿の献身を知らぬ者からすれば、警戒するのもやむなし……か』


 やむなしで終わったら困るのですが。


「そもそも、なんで荒御魂をそこまで恐れているか、空海さんはご存知ですか?」


『聖殿は東北の歴史を学んでいらっしゃらなかったか。いや、地元の関係者でもなければ教わる機会などあるまい。それも齢九つであればなおさら』


 ちなみに、ジョンとのやらかしや、荒御魂から救われた恩を感じているとかで、空海さんは9歳の俺に丁寧語で接してくる。

 強さこそ正義な陰陽師界の価値観も少なからず影響しているだろう。

 俺の中身を考えたらおかしくないのだが、側から見ると違和感がすごい。


『あまり口外しないでいただきたいのですが……』


 何やら意味深な前置きと共に、イタコの過去が明かされた。



 〜〜〜



 空海さんから話を聞いた限り、イタコが今回の依頼を受けてくれる可能性はかなり低そうである。

 それでも諦めるわけにはいかない。

 どうしたものか……。


 宿で頭を捻っていると、お母様が問いかけてくる。


「イタコさんへ依頼するときのお礼は考えていますか?」


「これ」


 俺は懐から御守りを取り出した。

 通常、御守りは一般人に売るような代物だが、俺の御守りは一味違う。

 脅威度4を退ける道具ともなれば、その価値は二桁万円は下らない。

 関係者相手でも十分取引材料になる。


「妖怪から身を守ってくれるものなら、欲しがる人は多そうですね。聖がいつも守ってくれているおかげで、お母さんは安心して生活できます」


 それは良かった。

 一般人には御守りの凄さがピンとこないことも多いが、お母様は息子を信頼してくれているようだ。


「これがダメならお金も考えてる。僕の預金を全部出せば、割の良い仕事になると思ったんだけど……」


「モノや金銭では動きそうにないということですね」


 イタコ達は荒御魂が発生した時のリスクを非常に重く見ている。

 俺が倒すと言っても、その恐れは消えないくらいに。


「都合よく強大な妖怪が現れてくれないかなぁ。そうすれば、僕が妖怪を倒してお礼にジョンを治癒してくれるかもしれないのに」


「こら、不謹慎ですよ」


 それもそうか。

 脅威度6クラスが出たら、この地域一帯が大災害に見舞われてしまう。

 そんなこと、起こらないほうが良いに決まっている。

 日本最強の地位から転落したイタコたちに、化物と戦う力は残されていないのだから。


「そうだ、これは取引材料になるかも。お母さん、ありがとう!」


「私は何もしていませんよ」


 お母様が話しかけてくれたおかげで、糸口が見えた。


 モノでダメなら、力を売れば良いじゃない。


 妖怪一体退治する毎に報奨金を支払われるが、それは必ずしも労力と見合うとは限らない。

 大きな被害を出しながらの辛勝では決して割に合わないし、そもそも倒せなければ報酬を得られない。

 強大な妖怪を退治するということは、金銭的価値以上の魅力がある。


「となれば、平のイタコと交渉しても無駄だね。この地域のトップと話をつけないと」


 さっそく行動に移した俺たちは、フロントで目的の人物の居場所を教えてもらい、寺へ向かうのだった。



 〜〜〜



 恐山と言えば、火山岩で形成された“地獄”や宇曽利湖の“極楽浜”など、名所がたくさんある。

 しかし、今はそんな悠長に見物している暇はない。

 観光はまたの機会にして、俺たちは一直線に菩提寺へと向かう。


「人が増えましたね」


「営業時間になったのかな?」


 寺の近くにはたくさんの参拝者が訪れていた。

 否、正確には例大祭見物とイタコの降霊術目当ての客だ。

 設営されたテントの前に、降霊術待ちの客がズラリと並んでいる。


「イタコさんって、少ないのですね」


「そうだね。しかも、全員が降霊術を使えるわけじゃないんだよ」


「そうなのですか?」


 空海さんに聞いた話では、ここら辺にいるイタコは全員一般人である。

 陰陽術を習得しておらず、当然降霊術も使うことはできない。


「では、あの中では何が行われているのでしょう?」


「本当に霊を降ろすんじゃなくて、簡単なコールドリーディングを使った人生相談をしてるんだよ」


 一般的に、霊はそのまま天へ昇り、この世から消えてしまう。

 俺の経験からすると、前世を忘れて次の肉体へ移っていくのだと思われる。

 次の人生を謳歌する霊を呼び戻す——なんて残酷なこと、降霊術はできない。

 降霊術とは、あくまでもこの世にいる霊に干渉する術なのである。


「本当の降霊術を使える人はここにはいない。皆それを知っていて、ここに来てるんだよ」


 故人からの言葉で励まされ、後悔を吐露し、救いを得る。

 ここは一種の懺悔室のような、区切りをつけるための場として機能している。


「フロントで聞いたあのお寺の奥に、陰陽師のイタコがいるんだって」


 天へ昇れなかった一部の例外がこの世に留まり、天橋陣のお世話になる。

 天橋陣へ導かれる前までは、希薄な意識のまま自由行動を取っているのが多数。

 さらに一部の例外が、ジョンのように明確な意識を持った霊である。

 強い未練を残して死んだ霊は、特定の人物について行くこともあるらしい。

 それが俗に言う“取り憑く”である。


 それほど明確な意思を持つ霊でも、言語能力を維持する個体は数えるほどしか例がない。

 降霊術を使えるイタコたちは、そういう霊を己が身に宿し、生者と死者を繋ぐのである。


 俺たちは早速お寺の中へ入ることにした。

 関係者は裏口から入れるらしく、参拝者をかき分けて進まずに済んだ。


「聖、少し待って下さい」


 いざ中へ入ろうとしたところで、短い階段の先にある扉が向こう側から開かれた。

 入り口は狭い。お母様の言う通り、先に出る人を優先した方がいいだろう。


 中から出てきたのは、大人しそうな少女である。

 顔は明らかに日本人なのに、白髪とは珍しい。

 上から見下ろしてきた少女は、俺達を視界に収め——こちらを指差して言った。


「死ね!」

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