第173話 トウブ



 上から見下ろしてきた少女は、俺達を視界に収め——こちらを指差して言った。


「死ね!」


 は?

 これはまた随分なご挨拶だこと。

 そのワード自体にも驚いたが、暴言を吐いた少女の虚弱そうな見た目にも驚いた。

 身長だけ見れば俺と同じくらい。ただ、細すぎる手脚と、無邪気そうな幼い顔立ちを見るに小学校3年生くらいだろうか?

 そして、何より気になったのは、彼女の白い髪だ。

 “はくはつ”ではなく、“しらが”と言うべき、不健康ゆえの髪質。老いによって色素が抜けたのなら仕方がないと言える。

 しかし、彼女はどう見ても幼い。あの髪色からは病気や妖怪の悪意を連想させられた。

 実はロリつるぺたババアの可能性もあるのだろうか?

 やんちゃ坊主とは対極の、歪さを感じる虚弱な少女であった。


 とても「死ね」なんて口にしなさそうな外見だ。


 あまりにも突飛すぎる出会いに、俺もお母様も固まってしまった。

 そんな俺達の反応など興味ないとばかりに、少女は外へ出てくる。

 階段を一歩、二歩と下りたところで、彼女の動きに違和感が見られた。


「うっ、あっ……」


 軸足から力が抜け、受け身を取る様子もなく上体が倒れこんでゆく。

 まるで、糸の切れた操り人形のようだ。

 って、観察してる場合じゃない!


「危なっ!」


 俺は慌てて階段を駆け上がり、少女を受け止めた。

 身体強化がなければ支え切れなかっただろう。

 体からは完全に力が抜けていて、ついさっきまで歩いていたのが嘘のようである。

 顔を覗き込むと、眼を見開いたまま顔を顰めており、明らかに普通じゃない。


「2人とも大丈夫ですか?」


「うん、怪我はないよ。でも、この子の様子がおかしくて」


「突然倒れてしまいましたが……ナルコレプシーでしょうか?」


 ナルコレプシーという単語には聞き覚えがある。

 たしか、睡眠障害の一種で、日常のあらゆる場面で抗えない眠気に襲われてしまうとか。

 それなら、先ほどの挙動にも納得がいく。

 しかし、死ね発言といい、瞼が閉じていないことといい——。


「ナルコレプシーじゃない気がする。なんだろう、さっきから嫌な感じが……」


 早く病院へ連れて行くべきと思い至ったところで、再び建物から人が出てきた。


「詩織様! どちらに! 詩織様……あぁっ!」

 

 動きやすい和装に身を包んだ女性がこちらに気づき、駆け寄ってくる。

 俺に抱きかかえられた少女を受け取ると、彼女の目を優しく閉じた。


「私、詩織様のお世話係を務めるトウブと申します。この度はたいへんご迷惑をおかけいたしました」


 遅ればせながら、と前置きして彼女は名乗った。

 こちらも名乗り返すべきではあろうが、今はそんなことをしている場合ではないと思う。


「いえ、お気になさらず。それよりも、その子、大丈夫ですか? 早く救急車を呼んだほうが……」


「それには及びません。いつものことですから……」


 いつもの?

 こんなことがいつも起こるというのか?

 お母様も少女が心配なようで、急かすように提案する。


「私たちのことはお構いなく。お嬢さんを早くベッドで寝かせてあげてください」


「お言葉に甘えて、失礼いたします」


 いつものこととはいえ、休息が必要なことに違いはない。

 少女を抱きかかえ、トウブと名乗った女性は宿へ向かった。


「なんだか、心配ですね」


「うん……」


 少女が心配なのは事実だが、それと同じくらい気になるのが“トウブ”の名だ。

 俺の知っている“東部”なら、それは東北地方を取りまとめる東北陰陽師会、そのトップに君臨する陰陽師一族を指す。

 関東における安倍家と同格であり、日本三大陰陽師家の1つに当たる。


 そんなビッグネームに連なる人間がお世話係をしているということは、あの少女は東部家本家の人間の可能性が高い。

 権力者に恩を売ることができたのは重畳である。

 いつか大きくなって帰っておいで。


「そろそろ中へ入りましょう」


「そうだった」


 建物の中でも人とすれ違う。

 彼らは陰陽師の存在を知る上流階級の人間である。

 コールドリーディングではなく、本当の降霊術を利用するためにやってきたのだ。


「繁盛してるなぁ」


 客層から分かる通り、顧客単価は高い。

 専門性の高さから競合相手もいない。

 今日はボロ儲けだろう。

 ただし、それ相応の修行が必要なので、割りに合うかは怪しいところ。


「あそこかな」


 目的の部屋が見えてきた。

 襖の前には中年の女性が座っている。

 とりあえず、無邪気な子供スマイルで先制攻撃。


「こんにちは。工藤様はいらっしゃいますか?」


「……いらっしゃいますが、今はご休憩中です。失礼ながら、お名前をお伺いしても?」


 その問いはお母様へ向けられていた。

 まぁ、普通の子供がイタコのトップに用があるとは思うまい。


「僕の名前は峡部 聖です。工藤様にお願いがあってきました。少々お時間をいただきたく、ご都合の良い日時を教えていただけませんか?」


 女性は驚きのあまり顔が固まっている。

 長士さんの時もそうだったが、人を驚かすというのは不思議と楽しく感じてしまう。

 狩猟本能が疼くのだろうか。


「関係者とお見受けしますが、面会の予約を取っている方ではありませんね。工藤様の予定は1週間先まで埋まっています。東北陰陽師会を通して、正式に申請してください」


 こちとら暇じゃねーんだよ、子供はさっさと帰りな。

 そんな心の声が聞こえてきた気がする。

 ごもっともな意見だが、こっちも時間がないものでね。


「少しだけで良いので、お時間を作ってもらえたりしませんか? キャンセルが出た際に連絡をいただけるだけでも構いません。お礼と言ってはなんですが、こちらを差し上げますので」


「これは?」


「御守りです。脅威度4までなら退けます」


「4!? 御守りでそれほどの効果となれば、玉森家の最高級品では? そんなもの受け取れません! 私は買収されませんよ。きちんと面会の予約を取ってください」


 一瞬心が揺らいでいたけれど、女性は踏みとどまった。

 賄賂作戦は失敗である。


 思った以上に真面目な人だ。

 アポ無しで飛び込むのだから、これくらいは必要かと思ったのだけれど、むしろ高すぎたか。


「お引き取りを」


 引くしかあるまい。

 俺達は一旦宿へ戻った。


「聖の御守りは本当にすごいのですね。あの方、心底驚かれていましたよ」


 お母様のなかで、御守りの価値がさらに上がっていた。

 親父曰く『時の権力者なら1000万出してでも手に入れたがる代物だ』とのこと。

 美月さんには応援価格として10万円で譲っているし、身内にはタダで配っているから、家計を預かるお母様でも客観的判断が難しかったのだろう。


「自分で作れると、いまいち凄さを感じられないけどね」


 正直、俺は御守りを作るだけで一生食っていける。

 陰陽師として食いっぱぐれない確信は、心の安寧を保つのにとても役立っている。

 

「あれほど価値があるのなら、他の方に依頼を受けていただくことができるかもしれませんよ」


「そうだね。宿に戻ってきたら、総当たりでお願いしてみようかな」


 とは言ってみたものの、あまりうまくいく気がしない。

 長士さんの『誰も受けないだろうけどね』という言葉が、『上から規制がかけられている』という意味に思えてきた。

 イタコの歴史を考えれば、その可能性は十分ある。


「うーん」


 一度賄賂を断った手前、あの女性が靡くことはないだろう。

 本当に正攻法しかないのだろうか。


「どうしようかなぁ」


 御剣家に口添えをお願いする案を検討していると、ふいに扉をノックする音が響く。

 扉越しに何用か問いただせば、俺に来客が来たという。


「東部さんでしょうか?」


 お母様と揃って首を傾げながらフロントへ向かうと、そこには先ほどの中年女性がいた。


「先程は失礼いたしました。工藤様がお呼びです。面会に応じると」


「あっ、はい。ありがとうございます」


 ……何が起こった?


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