第175話 怨嗟之声


 ジョンを工藤様のところへ預け、一旦お暇した。

 宿へ戻ってきた俺たちは今、お世話係さんの部屋へお邪魔している。


「改めまして、詩織様を助けていただきありがとうございました」


「いえ、こちらこそ、仲間を助けていただきありがとうございます」


 何がなんやら分からぬまま、ここへ来てしまった。

 改めて自己紹介したところで、俺はさっそく質問を投げかける。


「口添えはとても助かりましたが、なぜ、僕に?」


 今日会ったばかりのお世話係さんと、面識すらない当主が、俺個人に助力するなど意味がわからない。

 峡部家ではなく、峡部 聖というところが特に謎だ。


「申し訳ありませんが、私はあくまでも伝令役でして。手紙の内容は知らされていても、その意図までは分かりかねます」


 言われてみれば、それもそうか。

 当主の意図を侍従が知っているはずもない。

 つまり、東部家の娘を助けたお礼という線は消えた。


 それにしたって、動きが早すぎる。

 俺がイタコを頼ろうと決めた昨日の今日で助力の手紙が来るあたり、情報ルートは絞られてくる。


 御剣家が手を回したのか?

 それなら面会の口聞きと合わせて協力要請まで一気にしてくれるはず。


 空海さんの所属するお寺からのお礼?

 なら、空海さんが一報くれるはず。


 うむ、分からん!


 俺達が話をしている間、お母様は部屋の一角を気遣わしげに見ていた。


「お嬢さんは、あれからずっと?」


「はい。今回は少し長いようです」


 詩織様と呼ばれていた少女が布団の上で眠っている。

 規則正しい呼吸からはただ眠っているようにしか見えない。

 あの現場に居合わせなければ、お昼寝しているだけに見えただろう。


「不躾な質問となってしまいますが、もしかして、あの子は塩砂家の?」


「はい、塩砂 詩織様です」


 東部家の娘かと思いきや、塩砂家の娘だった。

 どちらにせよビッグネームであるが、その意味は異なる。

 東部家は東北陰陽師会の頭領。

 塩砂家は東北陰陽師会の切り札。


 否、正確には、日本の切り札。


“日本最強”


 イタコの凋落から現在まで続く“日本最強”のタイトルホルダーである。

 なお、イタコが力を失ったから繰り上がりで称号を手にしたわけではない。

 名実ともに称号に相応しい力を持った御家である。


 そして、強さもさることながら、その代償もまた、有名である。


 普通、秘術の弱点は秘匿される。

 わざわざ自分の弱みを見せる人間が生き残れるはずがない。

 しかし、塩砂家のそれは隠しきれるものではなかった。


「聖様はご存じのようですね。怨嗟術による副作用で、詩織様は定期的に体の感覚を奪われます。生まれた時から聴力を奪われ、週に4日は視力を、週に1度は意識まで失います」


「そんな……!」


 お母様が絶句する。

 俺も副作用の詳細は初めて聞いたが、思った以上にハードだな。

 ただ、お母様ほど驚きはしない。

 なぜなら、その副作用が生じる理由を納得できてしまうから。


“怨嗟術”


 塩砂家の秘術であるそれは、術の仕組みは複雑なれど、原理は至極単純なもの。

 “倒した妖怪の力を奪い、己の霊力とする”

 そんな、誰でも一度は思いつくような馬鹿らしい術を、現実のものとしたのが“怨嗟術”である。

 妖怪の力は陰気が結実したもの。それを取り込むということは、己が身に呪いをため込むことと同義。力を得る代償として、四六時中怨嗟の声が精神を苛むという。

 しかも、その力は継承されるため、代を重ねるごとに強くなっていく。

 詩織ちゃんは日本最強の力と共に、代々続く怨嗟の声を引き継いでいるということになる。


 そりゃあ聴力も失うし、他の症状も出てくるというものだ。


「単騎で脅威度6クラスに対抗できるのは、塩砂家と安倍家だけ。その身を犠牲にして、日本を守っているんだよ」


「そうだったのですね……。こんなに幼いのに、そんな重荷を……」


 俺は後世に名を残すため、最強の座を手に入れようとしている。

 当然、現在の最強についても調べたことがあり、怨嗟術について詳しく知ることとなった。

 本来機密情報にあたる秘術について、なぜこれほどまでに詳しいかといえば、塩砂家が正式に情報を公開しているからだ。


 なんと、塩砂家は秘術の継承を望む家が現れた場合、その全てを伝授すると公表している。

 国の審査は必要になるが、実質誰でも最強になれるチャンスが転がっているというわけだ。

 欲をかいて挑戦した家は数多い。

 しかし、そのすべての家が途中で断絶した。


 まともな家なら、誰も真似しないに決まっている。

 いくら日本最強になれるとしても、廃人になっては意味がない。

 精神を苛む怨嗟の声は、常人には耐えられない苦痛となる。

 音を使った拷問が存在し、家庭裁判所でも騒音問題がなくならないことからわかる通り、音というのは人間にとって致命的な要素たりうる。

 怨嗟術に挑戦した陰陽師たちはみな適性が低く、次代で精神を破壊されたのだ。


 そんな代償を支払うのだから、相応の力が得られなければ割に合わない。

 安倍家とどちらが強いかと議論されたのも今は昔。

 現代における日本最強は塩砂家であると、周囲は判断していた。

 つまり、それだけ妖怪を退治し、その呪いを己が身に取り込んでいるということ。


 詩織ちゃんの身体は今、どのような状態なのか……きっと想像を絶するに違いない。


「あら? そういえば、お寺で初めてお会いした時、言葉を話していました。生まれた時から聴力が失われていたのだとしたら、おかしくありませんか?」


「詩織様の聴力機能自体は失われておりません。ただ、聴力のすべてを怨嗟の声で占められており、現世の音が聞こえません。ゆえに、詩織様は怨嗟の声から言葉を学びました。負の感情がこもった言葉だけ、覚えることを許されたようです」


 奪われた、という言葉は、そのままの意味のようで。

 人間は自分の発声を耳にしてフィードバックすることで、言語能力を習得する。

 呪いのさじ加減によっては、悪い言葉のみ習得できるようにさせるらしい。まるで、己の仲間陰気を増やすかのように。


「詩織様は生まれた時からこれら副作用と付き合ってきました。どうにかしてまともな生活をできるよう、様々な手を講じてきましたが、どれもうまくいきませんでした」


 手話や筆談を教えようにも視力を奪われ、下手に運動させればいつ倒れるか分からない。

 情操教育もままならず、心は幼稚園児でストップしている。

 こんな状況で、人間らしい生活を送ることはできない。


 そう語るお世話係さんの顔は、どこか追い詰められた人の気配がした。

 幾多の苦労を重ね、それでも結果にたどり着けない。

 その気持ちの一端を、俺は理解できる。

 赤の他人である俺たちにここまで語って見せたのは、その苦労をどこかで吐き出したかったからだろう。


「もしも、何か解決策をご存じでしたら、ご教示ください」


 いや、望みを口にすることで叶えようとしているのか。

 強い人だな。すぐに諦観した俺とは違ったわ。


「うぅん……」


「詩織様!」


 俺たちの話声……は関係なく、目が覚めたのか。

 外にいたと思いきや、いつの間にか部屋に戻ってきてビックリしている様子。

 その見た目からは、普通の大人しい女の子にしか見えない。

 しかし、その内には見えない悪意が潜んでいる。


 未来ある少女が苦しんでいるというのは、大人として忍びない。

 何か力になれたらいいんだけど。

 声が聞こえない……か。


「ん?」

 

 なんか、最近似たような悩みを解決したような?

 そうだよ、ジョンの声帯ができる前、彼の声を聞くために触手で伝達したばかりじゃないか。

 これなら詩織ちゃんに俺の声を届けることができるかもしれない。

 念のため、東部さんと詩織ちゃんの目の前で触手を振ってみるも、反応なし。

 いける。


「あの、少し試したいことがあるのですが。詩織ちゃんの手を握ってもいいですか?」


「何をされるおつもりでしょうか?」


「変なことはしませんよ。もしかしたら、お役に立てるかもしれないと思いまして」


 借りた恩は早めに返すのが吉。

 試すだけならタダだし。

 そんな軽い気持ちで、俺は詩織ちゃんの手を取り、こっそり触手を触れさせた。

 そして、触手伝いに一声送る。


『こんにちは』


 直後、脳内で轟音が響き渡る。


「死ね殺す苦しめ憎め怨め呪え絶望しろ死ね死ね死ね煩い黙れ消えろ滅べ殺してやる道連れだ恨めお前のせいだお前さえいなければ死ね殺す殺せ愚かな惨めだ無駄だ意味がない苦しめ無様な縊り殺してやる無能め雑魚が詫びろ消えろ汚物め気持ち悪い嫌いいらない臭い馬鹿死ね怠い辛い阿保気に入らない溺れ間抜け燃えて殺す死にたいキモいブス死ね生まれてこなければウザいダサいクズ落ちろ無駄だった穀潰し親不孝者恥晒し縁を切る失せろ顔を二度と見たくない役立たず醜い死んで詫びろ疎外感怒れ羨ましい忌まわしい死ねひもじい怖い悲しい殺してやるぅぅぅぅ!!!」


「うわっ!」


「聖?!」


「詩織様! 大丈夫ですか?」


 普段と異なる俺の慌てっぷりに、お母様がすかさず寄り添う。

 東部さんもまた同じ行動をとった。


「……一体何を」


 お世話係さんの視線は鋭く、強い警戒心を抱いている。

 先ほどの衝撃が抜けきらない俺は、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にした。


「声が……怨嗟が……聞こえた……」


 気がつくと、涙が頬を伝っている。

 なんだこれ、おかしいな、止まらないぞ。

 子供でもあるまいに、暴言を聞いただけで泣くとか……。いや、これは音だけでなく負の感情も流し込まれたな。

 感情が暴れて仕方ない。

 この感情の波を処理するには、しばらく休憩しなければ。俺が普通の子供だったら発狂していたところである。


「…………!」


 乱暴に手を離してしまったが、詩織ちゃんは気にしていなかった。

 

「こーいちわ?」


 自分の声が聞こえないため、その発声が間違っていることに彼女は気づけない。

 しかし、それはまさしく俺が先ほど送った言葉である。


「詩織様?」


「さっき『こんにちは』と伝えました。真似しているようです」


「詩織様と会話できるのですか? 本当に? 本当に?!」


 感情が爆発した東部さんは、俺の肩を掴んで揺さぶってくる。

 気持ちは分かるがやめてくれ。

 さっきの衝撃と合わせて最悪の気分だ。吐きそう。


 お母様が東部さんを宥めてくれたおかげで、最悪の事態はぎりぎり防げた。


「詩織様と会話することができるのですか?」


「会話というと語弊があります。正確には、僕の声を届けることができます」


 人心地ついたところで、聴取が始まる。


「いったい、どうやって」


「それは峡部家の秘密です」


 秘術なので教えられないよ。

 と言われても、そう簡単に引き下がれるはずもなく。

 東部さんの目は諦めきれないと物語っている。


「口添えしてくださったお礼に、秘密の技を披露したんです」


「……ありがとうございます」


 触手については親父も全く使えないので、おそらく教えても無駄だ。

 どうも、ただ単に霊力を外部に放出しても再現できないらしく、俺は無意識に特殊な生成過程をこなしているというのが、親父の予想。

 単純な技ならとっくの昔に全陰陽師が習得しているはずだし、その可能性は高い。


「そのお力を見込んで、お願いがございます」


 まぁ、そうきますよね。


「東部家に逗留いただき、詩織様の家庭教師を勤めていただけないでしょうか」


 夏休みの計画がすべて白紙になる大仕事だな。

 借りを返すためにも当然引き受けるが、イタコへの口添えと、こちらの秘術が釣り合うかは判断の分かれるところ。

 俺としては、何らかの報酬をもらってもバチは当たらないと思う。

 何せ、東北の大家、東部家が必死に探して見つけられなかった技術……つまりは日本唯一の超特殊技能持ちの俺を1ヶ月も拘束するのだから。


「元服前の他家の子供に依頼するのは非常識と存じますが、長期休暇の間だけでも、詩織様に言葉を教えていただきたく」


 普通は非常識だけど、俺の場合は既に依頼を受けまくってる。

 そこは全く問題ない。

 しかし、より良い条件を引き出せそうなので黙っておこうっと。

 お世話係さんに裁量権などないだろうが、内部事情を窺えたら儲け物である。


「もしも、依頼を受けてくださるのならば、お望みの報酬をご用意いたします」


 ん?

 今、お望みの報酬と言ったか?


「具体的には?」


「金銭や道具、東部家に用意できるものであれば、何でもです」


 おー、それはまた豪気なことで。

 え?

 お世話係が判断できるレベル超えてない?


「一度、お父君と共に仙台へお越しいただけないでしょうか? 本家にて、当主より正式に依頼させていただきます。そうすれば、私の言葉が偽りでないと分かるはずです」


 ちょっと価格交渉しようとしたら、札束で殴られた気分だ。

 えぇ、えぇ、どこへでもついて行きましょうとも。

 東部家とのコネクションができるだけでも美味しい。そのうえ何でも欲しいものを用意してくれるとは。

 自分の技術をそこまで高く買ってくれるのなら、最高の仕事をしてみせよう。


「その依頼、引き受けましょう」


 こうして、俺の夏休みの予定が決まったのだった。




~~~

“日本最強編” 開幕です。


そして、書籍版の続刊が決まりました!

2024年夏、第肆巻 発売予定です。


皆様のおかげで3巻の壁を突破いたしました!

ありがとうございますm(__)m

「BOOK WALKER様」にてGWキャンペーン実施中なので、様子見していた方も、この機会に書籍版をコレクションするのはいかがでしょうか。

書籍版書き下ろしストーリーも収録されておりますので、是非! m(__)m

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