第176話 東部家当主

 話がまとまった頃には、既に日が暮れていた。

 詩織ちゃんの体調を考え、一晩宿坊で過ごし、翌日の早朝に出立する。

 贅沢にタクシーと新幹線を利用しての移動は、少しでも詩織ちゃんの負担を減らそうとしてのことだ。


「旦那様ご不在のまま……よろしいのですか?」


「はい、主人は京都に出張しておりますので、後ほどご挨拶させていただきます。お仕事については、息子の判断に一任されておりますので、ご心配なく」


「信頼されているのですね」


「はい、自慢の息子です」


 道中、大人たちの間でそんなやりとりがされていた。

 新幹線の窓を覗くと、少し先に立ち並ぶビルが見えて来る。

 東北地方で唯一の政令指定都市、仙台。

 東北陰陽師会の本拠地がある場所だ。


「次で降ります。迎えの車が来ているので、ここからは東部家本家へ直行します」


 さすがは日本三大陰陽師。当然のように専属運転手がいらっしゃる。


「着きました」


 最速でやって来た東部家本家は、安倍家同様、歴史を感じる日本建築である。

 というか、安倍家の屋敷とかなり似ているような。


「移動でお疲れでしょう。客間でご休憩なさってください」


「ありがとうございます。ちなみに、御当主様との面会はいつ頃になりますか?」


「峡部様が望むのであれば、今すぐにでも」


 なに?

 てっきり数日後、早くても今日の夜になるとばかり思っていたのだが。

 日本三大陰陽師の一角を担う東部家のトップともなれば、スケジュールは1ヶ月先まで埋まっていることだろう。

 それはイタコとのやり取りからも想像がつく。

 そうでなくとも、社会人の日中の予定はそうそう空いていない。

 夕食時や就寝間際になんとか時間を作るのかと思いきや、まさか俺との面会が最優先事項になっているとは……。


「御当主様のご都合の良い時間でお願いします」


「でしたら、昼食の後にお時間を頂きたく」


 午後イチですか。

 前日に決まった予定をブッ込む時間じゃないだろ。

 もともと入っていた予定をキャンセルしたな?


「私は詩織様をお部屋へお連れするため、失礼いたします。御用の際はそちらのブザーを鳴らしてください」


 客間へ案内された後、お世話係さんとは一旦別れた。

 客間はとても広く、内装もかなり凝っている。

 床の間には東北地方の工芸品達が飾られており、こけしが何とも言えない不気味な顔でセンターを飾っていた。


「夏休みの間は、ここに滞在することになりそうだね」


「良いお部屋です。使用人の方も優しそうで安心しました」


 お母様が部屋を見回しながら言う。

 優也と親父の世話をしなければならない都合上、お母様は明日家に帰ることとなる。

 息子を預けるに値するかどうか、母親としては心配だったようだ。


「優也の土産話を聞けるのは、もう少し先になりそうだなぁ。残念」


「東部家の御当主様から許可をいただければ、優也を連れて様子を見に来ます。きっとあの子も寂しがるでしょうから」


 それはどうだろう?

 学年が上がって兄離れ著しい我が弟は、昔のようにスキンシップを取ることもなくなってしまった。

 仲良く会話できるし、一緒に遊ぶこともあるけれど、寂しがるほどベッタリではない。


「優也って、宮城には来たことなかったよね。旅行も兼ねて連れて来るのはいいかも」


「その時は、聖もお休みをもらって、家族みんなで観光しましょう」


 となると、親父の仕事が終わる2週間後か。

 だいぶ先だな。

 夏休みの計画を立てていると、あっという間にお昼時である。


「失礼します。お食事をお持ちいたしました」


 出て来た昼食は、それはもう絶品だった。

 食事をエネルギー補給の時間と考えている俺ですら、味わい深さにため息をつくほど。

 しばらくここに住むのか……。


「悪くないな」


 既に術中に嵌っている気もするが、依頼を引き受けることは既に決まっている。

 衣食住が満たされて不満などあろうはずもない。

 そして、ついに顔合わせの時がやって来た。


 畳敷きの応接間の中で異彩を放つ西洋のテーブルセット。

 そこには2人の男性が座っていた。


「やぁやぁ、君が聖君かい。よく来てくれた。そんなところに立っていないで、こっちに座りなさい」


 ニコニコ笑顔で出迎えてくれた男性こそ、この家の主―—15代目東部家当主 東部とうぶ 恵雲けいうんである。


「失礼します」


「ははは、そんなに緊張しなくていいよ。楽にしてくれ。おっと、紹介が遅れたね。僕の隣に座っているのが、塩砂家の当主、塩砂えんさ みつるだ。詩織ちゃんのお父さんと言ったほうがわかりやすいかな?」


 おんみょーじチャンネルや新聞などで東部家当主の顔は知っていたが、こんなに明るい人だったとは。

 外見も若々しく、40代にはとても見えない。

 安倍家が威厳に満ち溢れる当主だったのに対し、東部家当主は気やすく付き合えそうな雰囲気をまとっている。


 俺とお母様がソファーに座り、続けざまに紹介されたのが、塩砂家当主である。


「…………」


 背もたれに寄り掛かって座る姿は、とても客人をもてなす態度には見えない。

 しかし、彼の虚な顔や脱力した体を見れば、どんな状態か明白である。

 畳敷きの部屋に椅子を置いているのは、彼のためかもしれない。


「すまないね。今の彼は秘術の副作用で意識を奪われている。意識が戻ったら、改めて紹介しよう」


 詩織ちゃんの話を聞いた後なら、この説明にも納得である。

 まだ成人していない彼女ですら、ああなのだ。

 当主として前線に立つ父親の負荷たるや、想像もつかない。

 少なくとも1人では生活もままならないのだろう、後ろには使用人が控えている。


「さて、申し訳ないが、あまり時間がなくてね。単刀直入に聞こう。詩織ちゃんの力になってくれるかい?」


「もちろんです。仲間を助けていただいたので」


 昨日からずっと疑問だった。

 なぜ、縁もゆかりもない俺を東部家が助けてくれたのか。

 聞くならば、今しかない。


「あぁ、そちらは気にしなくていい。私も頼まれたから助力したまでだ」


 早速切り込んでみたものの、期待した答えは得られなかった。


「頼まれたとは、どなたからですか?」


「私から言っていいものか……。近いうちに会えるはずさ。直接話したいと言っていたからね。今回の手助けは、きみに話を聞いてもらうための挨拶代わりだよ」


 朝日様といい、謎の人物といい、俺に何を求めているんだ?

 俺は精錬霊素くらいしか持ってないぞ。

 ジョンの肉体作成技術だったら、最悪譲っても構わないが……。


「詩織ちゃんに関する依頼は完全に別件だ。条件については、道中で伝えた通り」


「本当に、報酬は何でもいいのですか?」


「東部家で用意できるものなら何でも用意する。約束しよう」


 恵雲様は断言した。

 お世話係の彼女が言ったことは事実だった。

 つまり、この報酬について以前から共有されていたということ。この破格の報酬を出す理由が気になってくる。


「なぜ、そこまでするのか、お聞きしてもよろしいですか?」


「そうだね。一言で表すなら……盟友だから、かな」


 盟友―—かたい約束を結んだ友を意味する。

 陰陽師界であれば、ありふれた関係性である。

 命をかけて共に戦うことが多く、互いに裏切らないことを約束する。これは別に書面に残すわけではなく、信頼関係や長い付き合いで自然と醸成されるものだ。

 ちょうど峡部家と殿部家の関係性にあたる。


「詳しい話はまたの機会に。さて、依頼を受けてくれるようだし、一度自分の目で確認したい。おっ、ちょうど来たようだ」


 ノックと共にやって来たのは、詩織ちゃんとお世話係さんであった。

 彼女達を迎え入れる間に、使用人が折りたたみベッドをセッティングしていく。


「さぁ、詩織ちゃんはここで横になって。聖君、いいかな?」


 当然、否はない。

 俺はベッドに腰掛け、詩織ちゃんの手を取った。


「何を伝えましょうか?」


「“パパ”で頼む」


 恵雲様の視線は詩織ちゃんパパへ向かっている。

 なるほど、了解です。


「まだ慣れていないので、言葉を伝えるのは一瞬です。その後は気分が悪くなってお話どころではなくなるので、ご了承ください」


「わかっている。よろしく頼むよ」


 だからこそ、話の最後に実演を持ってきたということか。

 俺としては少し不安が残る。

 こんにちは同様、すぐに単語を習得できるとは限らない。拙くとも、詩織ちゃんがすぐに真似してくれるといいんだけど。


「それでは、いきます」


 側から見る分には何も変化はないだろう。

 しかし、触手を触れさせた瞬間、俺の中へ怨嗟の声が濁流のように押し寄せてくる。


 死ね!

 殺してやるぅぅぅ!

 ああぁぁぁぁぁぁあああああああああ!


『パパ!』


 俺は目的の単語だけを送り、すぐさま触手を引っ込めた。

 一瞬だったにも関わらず、流し込まれた負の感情に心を揺さぶられる。

 あー、今すぐ休みたい。


「終わり……ました……」


 俺の任務達成報告を聞き、大人達の視線が詩織ちゃんへ集まる。

 俺の方を驚き顔で見つめる彼女は、口をもごもごさせた後、小さな声で言った。


「ぱぱ?」


 それは、単語の意味が全くわからず、ただ聞こえた音を再現しただけのもの。

 しかし、間違いなく俺が伝えた言葉であった。


「おぉ……おお!」


 恵雲様は立ち上がり、塩砂家当主の方を指差した。


「そう! 君のパパだよ! この人が、君のパパだ!」


 ともすれば失礼な行為だが、詩織ちゃんにとって“指差し”は数少ないコミュニケーション手段であり、彼女も恵雲様の指先を見ていた。


「ぱぱ?」


 『こんにちは』と違い、場に大きな変化をもたらす単語を彼女は繰り返した。

 その度に恵雲様が指差し、彼女の中で遂に繋がった。


「ぱぱ」


 彼女の視線は間違いなく自分の父親に向かっている。

 さらに、彼女自身も指差して繰り返した。


「ぱぱ」


「し……お……り」


 まるで、その呼び声に起こされたかのように、詩織ちゃんパパが目を覚ました。

 2人とも自らの声が聞こえていないせいで、アクセントがズレている。

 しかし、そのやりとりは間違いなく父娘の交流であった。


「ようやく……ようやく……この時が。ありがとう聖君。君こそ、私たちが待ち望んだ救世主に違いない。長い付き合いになるけれど、よろしく頼むよ」


「……はい」


 依頼主の希望が叶って良かったよ。

 ところで、もう退室していいですか?

 接触時間関係なしにダメージ大きいので。


 俺は挨拶もそこそこに退室し、東部家当主との初対面を終えた。

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