第7話 月光浴


「あぁ、忙しい忙しい。聖がいい子でとても助かります」


 お母様は独楽鼠のように働く大変すばらしい女性だ。

 ここに来てしばらく経ち、少し埃っぽかった部屋も綺麗になった。

 どうやらお母様はここに嫁いできてまだそれほど経っていないようだ。

 お母様がいるだけで家の中が綺麗になっていくのだから、俺が来た当初の状況は本意ではなかったのだろう。


 そんな働き者のお母様は今俺の隣で洗濯物をたたんでいる。

 ここはいつもの寝室ではなく、日の当たる庭に面した部屋だ。

 少しだけ上等なテーブルと座布団が置いてあることから、客間なのだと思う。

 俺はフワフワな座布団の上に寝かせられている状態だ。


 うーん、太陽がまぶしい。

 たまにはこうして日向ぼっこするのも悪くはない。

 だが……


「ぁぁぅ(暇だ)」


 赤ん坊の身体で出来ることはほとんどない。

 体を鍛えようにも満足に動かず、不思議生物を食べようにもお母様がいては姿を現さない。

 ただただボーっとするしかないのだ。


 普通の赤ん坊だったらそれでいいのかもしれない。

 普段とは違う景色を見ていろいろ学ぶのかもしれない。

 だが、俺は大人だ。

 この無為な時間がもったいなく思えてしょうがない。

 それに、入院していて安静にするほかなかったあの頃を思い出して嫌な気分になってしまう。


 何か有意義に時間を使いたいものだ。


 そう、陰陽師として大成するための何かに。


 こういう時間も費やしてこそ、プロになる資格を得られるのではないか。俺はそう考える。

 陰陽師として強くなるにはやはり霊力を鍛えることが大事だ。その手段である捕食が出来ない今、俺にできることは……。


「だぁぶ(この霊力、動かしたりできるのかな)」


 そんな発想が頭に浮かんだ。

 前世で読んだ転生漫画では魔力を動かすとかなんとかやっていた気がする。

 俺のは魔力ではないが、体の中を巡る不思議パワーであることに違いはない。

 ということは、チャレンジしてみる価値があるのではないだろうか。


 ダメでもともと、俺は身体を巡る霊力を意図的に操ってみようと試みる。


 う~~ん


 うーーんっ


 むむむ~~~


 ふぅ。お母様、おむつを交換していただけないでしょうか。


 この日から俺は霊力をどうにかこうにかできないか試行錯誤するようになった。

 雲をつかむような当ての無い作業だが、現状これくらいしかできないのだから仕方ない。

 それに、陰陽師になるための修行だと考えたら楽しくて仕方ないんだ。

 この感覚は前世でも感じたことがない。陰陽師がどんな仕事をするのかも知らないのに、地味で苦しい時間なのに、成功したところで意味があるかもわからないのに、心が躍るこの感覚。

 そうだ、俺はこういうものを探していたんだ。




 そんなこんなで1ヶ月が経った。

 赤ん坊の身体というのは成長が早い。今では手足をばたばたさせることができるようになり、首もちょっとだけ動かせるようになった。

 これまでは自分の身体なのに神経が通っていないような鈍さを覚えていたが、ようやく自分の意志に従うようになってきた。


 さて、肉体の成長は正直どうでもいい。

 放っておいても勝手に成長することは知っていたし。

 そんなことより霊力だ。


 ついに、ついに動くようになった。

 2週間経ったあたりで「体力と同じでそもそも動かないのでは?」と疑い始めたそれが、ほんの僅かに流れを変えたのだ。

 心臓から血管を通して巡る霊力が、お腹のあたり、たしか丹田と呼ばれるところで滞留するようになったのだ。

 気を抜くとすぐに正規の流れに戻ってしまうのだが、とりあえず動かせるようになったことは喜ばしい。


 これが果たしてどう活用できるのか、それはまだ分からない。とりあえず、もっと多彩な動きを出来るように訓練してみたいと思う。



 今日も今日とて、俺は口に入り込む不思議生物たちを吸収し、力をつけていた。


「あぁぇぅ(だいぶ霊力が増えてきた気がする。消費するんじゃなくて蓄積していくのかな)」


 最近気になるのはこの霊力の性質だ。

 始めはてっきり栄養素と同じで使ったら使った分だけ減り、毎日摂取すべきものだと思っていたが、そうではないらしい。

 体の中を循環する霊力は減る様子が微塵もなく、吸収すれば吸収するだけ増えていくのだ。


「えぁぅぅ(もしかしたら陰陽術を使うと減るのかも。1回でどれだけ減るのかね)」


 それ次第では、今蓄積している霊力は子供のお小遣い程度の量かもしれない。

 子供の頃は大金でも、自分で稼ぎ始めると使うお金の桁が変わるように、今の努力が大した意味を持たない可能性を孕んでいる。


 やっぱり、早く陰陽師としていろいろ教わりたいところ。

 しかし、まだまともに会話すらできない状況でそれは難しい。

 陰陽師がいる世界なのだ、突然喋り出したら悪魔付きとか言われて捨てられる可能性もある。

 お母様のためにも、ちょっとだけ周りより成長の早い普通の男の子を演じるべきだろう。


 結局のところ、今持っている霊力を使って手探りでいろいろ試すほかないのだ。

 現状維持ともいう。


「今日は満月ですよ。一緒にお月見しましょうね」


 普段なら就寝するこの時間に、お母様はなぜか俺を縁側に連れ出した。

 赤ん坊に月を見せたところで何も思わないだろう。情操教育の一環だろうか。


「はい、この陣の上でじっとしてください。そうすると、少しだけお月様の力をかりられるそうですよ」


 何それ、月にそんな不思議パワーあったの?

 お母様の言葉を信じてじっとしていると、確かに身体がゾワゾワする感覚を覚えた。

 これは不思議生物を吸収して霊力が増えた時の感覚だ。

 月の明かりは太陽光を反射しているだけのはず。だったら日中に太陽光を浴びても同じ効果が得られるのでは、そう思ったが、陰陽師の世界にはその道に沿った何らかの道理があるのだろう。

 毎日昼寝しているだけで強くなれるなら誰もがしているはず。

 それに、月光浴をして得られる霊力は、不思議生物を吸収して得られる霊力よりもずっと小さい。ノーリスクローリターンな訓練法といったところか。


「きっと今頃、お父さんもお仕事を頑張っています。貴方のお父さんはすごいの。御剣家の当主様を護衛しているのですよ」


 え、護衛?

 陰陽師って護衛するの?

 ところで御剣家ってどこの家?

 

 ついに明かされたクソ親父の仕事だが、はっきり言って何をしているのか分からない。

 陰陽師って言うくらいだから妖怪を退治しているのだとばかり思っていたのだが。

 しかし、母親の口ぶりからして名誉ある仕事なのだろう。由緒あるお家の当主を守るとなれば、確かに一定の信頼がなければ勤まるまい。

 護衛任務だから泊まり込みなのか、ちょっと納得した。


 それからしばらくお母様は月を見上げていた。

 遠くで働くクソ親父を思っているのだろうか。顔面レベルで言えば全く釣り合わないから本当に違和感がある。

 どんな縁で結婚したのだろうか。


 あいにくその日は雲が出てきて、満月が隠れてしまった。

 月光浴は3時間程度で引き上げ、世界に満ちている不思議体験は終わりとなった。

今日は不思議生物を吸収する以外にもこんな方法があるのだな、と新たな発見があり、有意義な1日だった。

 この調子でどっぷり陰陽師ワールドへ浸かってみたいものである。



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