第96話 武家見学(裏)
「
御剣家現当主――御剣 朝日が顔を上げると、執務室の襖が豪快に開かれた。
誰が来たのかは姿を見なくても分かる。
御剣家先代当主、御剣 縁武が慣れた様子で部屋へ入って来た。
「返事をしてから入ってくれ。……どうした、親父」
何度言っても改めない父親に、朝日は小さくため息をつく。
先代当主は『少し前まで使っていた部屋だから』と言い訳し、代替わりしても自分の部屋のように訪れる。
これといって隠し事はないが、いくつになっても父親が突然部屋に来たら息子は落ち着かないものだ。
今回は何の用件で訪れたのかと問えば、座布団の上で胡坐をかいた縁武が端的に答える。
「例の件、進めて構わん」
朝日は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
それは先代当主からずっと引き出そうとしていた言葉であり、今日この場で聞くことになるとは全く予想していなかった言葉でもある。
「……どういった心変わりで? 頑なに反対していたが」
「何、奴らの話が真実だった。それだけのことよ」
彼らの話を聞いても半信半疑だった父親が心変わりするような理由は1つしかない。
――計画のカギとなる人物が見つかったのだ。
その人物にも心当たりがある。
ここ数週間御剣家に泊まり、初日に挨拶をしたあの子供。
「では、強の息子が?」
縁武は迷いなく首を縦に振った。
それは人物眼に優れた父親が確信を得たという証拠だ。
朝日にとっては悲しいことに、自分よりも父親の判断の方が正しいことが多く、賛同を得られた喜びより安堵の方が大きかった。
あの計画に賛同した自分の判断は間違っていなかった、と。
「儂はてっきり、安倍家の嫡男がそれだと思っておったが、どうも違うようだ。あれとは格が違う」
「その根拠は」
「それは言えぬ。そういう約束だ」
縁武が約束を破ることは決してない。
当然、朝日は父親の性格をよく知っている。
言えないというなら、死ぬまで口にすることはないだろう。
「ただ、峡部 聖が祝福の品を求めてきたら、融通してやれ。助力を求めてきたら、できる限り便宜を図るように」
しかし、それはそれ、これはこれ。
御剣家を背負う者として、約束の範疇で賢く立ち回る程度のことは出来て当然である。
「それはまた随分と……いや、なるほど、それだけの力を……」
祝福の品は言うまでもなく貴重な品だ。
御剣家ほどの大家でも入手できる数は限られている。
それを峡部家ではなく小学1年生の子供個人へ融通し、そのうえ助力さえ厭わない。
御剣家という武家の中でもトップクラスの戦力と権力を持つ御家の“助力”がどれほどの価値を持つか……日本中の権力者が欲してやまない力である。
「ただし、西の奴らに峡部の情報は流すな」
続く指示に朝日は耳を疑う。
言外に示されたキーパーソンの実力に高揚感を覚えていた彼には、父親の意図が理解できなかった。
「なぜ? せっかく見つけたというのに、それでは先ほどの言葉と矛盾する」
「あれは下手に手を貸すよりも、自分で道を切り拓いたほうが強くなるタイプだ。西の介入が入ると、厄介なことになる。奴らは理想という概念に、ちと取り憑かれすぎとる。お前も含めてな。もう少し聖が大きくなってから、それとなく教えれば良かろう」
父親ほどの才覚を得られなかった朝日には、この指示が飲み込めなかった。正確には、言葉の意味は理解できても、心が納得していなかった。
それでも、御剣家現当主として正しい判断をすべきだと心得ている。
「……。それは、いつもの勘か?」
「そうだ。経験則でもある」
「……分かった。そうする」
朝日は父親ほどの才覚とカリスマを持っていないが、己の凡才を自覚するという、無知の知を学んだ者ゆえの強さを持っていた。
縁武の勘はよく当たる。今回はそれに従うことにした。
今後の御剣家の行動方針を相談するなかで、縁武はふと思い出したように言う。
「聖が強くなれそうな機会があれば積極的に斡旋してやれ」
「介入するのはマズイんじゃなかったのか」
天才の考えを完全には理解できない為、縁武の二転三転する思考に振り回されてしまう。
それは当主交代の折、次期当主として指導を受けている時から変わらなかった。
「何事にも切っ掛けというのが必要だ。強は過保護にすぎる。多少試練に参加する機会を与えねば、せっかくの鳳凰も鳥籠の鳥になりかねん。それに……」
天才の思考は読めずとも、
「あれほどの逸材を利用しないのは人類にとって損失だ」
縁武の行動理念は常に1つ。
身内を、日本を、人類を、陰から守るため、密やかに活動すること。
その為ならば、あらゆるものを利用すべきである。
「相変わらずだな。分かった。今回は親父の勘に従うとしよう」
こうして、御剣家での密談は終わった。
聖の与り知らぬところで、日本の大きな歯車が回りだした。
~~~
とうとう家に帰る時が来た。
ここへ来た当初、この土地は俺にとって一日過ごして帰るだけのお出掛け先だった。なのに、夏休みの大半を過ごし、いつの間にかこの土地に馴染んでしまった気がする。
もはや習慣化した早朝ランニングの先には、母屋の軒先で俺を待ち受ける御剣家の面々がいらっしゃった。
わざわざこんな時間に集まっていただけるとは、小学1年生のお見送りにしては過分なおもてなしである。
「長い間、お世話になりました」
ペコリとお辞儀をした俺に、御剣家の人々がお別れの挨拶を送る。
「いつでも歓迎する。体を鍛えたくなったらいつでも来い。内気の稽古も付けてやる」
「その時は、またご飯食べていってね。聖君の好きな唐揚げ、たくさん作って待ってますから」
「うちの子たちと仲良くしてくれてありがとうね」
「聖くん、またね!」
「また」
「うん、純恋ちゃんも百合華ちゃんもまたね。皆さんお世話になりました」
純恋ちゃん、思ったよりも大丈夫そうで安心した。
初めて妖怪と遭遇してトラウマになってないかと心配していたのだが、杞憂だったようだ。
彼女もまた、御剣の血を引いているということだろう。
それは彼も同じである。
「……ありがとな」
何が? とは聞かない。
はっきり言わずとも、縁侍君の気持ちは十分伝わった。
気恥ずかしさと、悔しさと、感謝の気持ち。
素直になれない中学生男子を、俺は一度経験しているからな。
「うん。縁侍君も頑張ってね」
妖怪に負けたことがよっぽど悔しかったのか、病み上がりだというのに、今日も朝から自主練しているようだ。
右手にぶら下げた木刀と、額に浮かぶ汗が、彼の努力を物語っている。
縁侍君が前衛、俺が後衛、そんな最強タッグが結成される日も近いかもしれないな。
最後に、御剣家現当主、朝日様からお言葉を頂く。
「君ならばいつでも歓迎する。何か困ったことがあれば、いつでも力を貸そう」
え? 何この下にも置かない対応。
以前挨拶したときはもう少し素っ気なかった気がしたんだが……。
おいおい、本当に話してないんだよな?
約束は守ってくれてるよな?
「心配せずとも昨夜見たことは誰にも話しておらん。ただ、優秀な陰陽師の卵であるとだけ伝えた」
また心を読んできた御剣様が顔を近づけて囁く。いや、俺が分かりやすい顔をしているのだろうか。
精錬技術がバレるのではなく、陰陽師として有能ということだけが伝わるなら、むしろ好都合。御剣家とのコネクションを作るという、当初の目的を達成できたのだ、願ったりかなったりである。
「まだ幼いが、妖怪を滅したお主は共に日の本を守る戦友の1人だ。いずれ肩を並べて戦う日が来るだろう。力を求めるならばいつでも来るがよい。歓迎しよう」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
これ以上ないほど友好的な関係を築き、俺は御剣家を後にするのだった。
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