第68話 庄司さんの家



「依頼は無事、完了しました」


「よかった……ありがとうございます」


 仕事道具を片付けた後、俺達は依頼人へ報告するために1階リビングへと戻った。

 初仕事ということで無意識に緊張していたのか、時計を確認したところ20分も経っていないことに驚いた。

 俺の感覚では1時間くらい経っているのだが。


「ただ、契約書の機密事項に関しまして、改めてお願いしたいのですが……」


「はい、なんでしょうか」


「ぼくの絵は?」


 大人たちの会話などそっちのけで、真守君が声を上げた。

 普段の彼なら絶対にこんなことしない。よほど大切な絵だったようだ。


「それならここにあるよ」


 親父に話を続けるよう目配せしつつ、俺は紙に包んだ絵画をテーブルに乗せた。

 紙を丁寧に外して真守君に渡す。


「……」


 絵を手に取った真守君は、また絵が動き出したりしないかじっと見つめて確認している。

 大丈夫だよ、妖怪はもう退治したから。

 でも、1つだけ注意事項がある。


「真守君、見終わったら僕に絵を渡してね。しばらくは壁に飾らないで、この紙で包んでおいて。妖怪が憑りついたということは、その絵に妖怪が憑りつきやすい条件が整っているってことだから、また妖怪が来ちゃうかもしれない。この紙に包んでおけば妖怪から守れるんだ。分かった?」


「……うん」


 子供は結構話を聞いているものだ。

 地頭がいい真守君は、しっかり事情を説明すれば納得してくれる。


 その後、親父のお願いを快諾してくれた真守君ママも一緒に絵を眺め、しばらくして絵を渡してくれた。

 俺はその絵を再び紙で包んでいく。

 2枚糊付けされた紙には内側に陣が描かれており、霊力を注げば御守りに近い効果を発揮する。

 これでもう妖怪が憑りつくことはないだろう。


 絵を歪ませる事しかできない低級妖怪だが、人を不幸にする力はちゃんと持っている。

 この妖怪が家に居座ると、少しずつ陰気や穢れが拡散され、家の住人を蝕んでいくのだ。


 陰気そのものは悪いものではない。


 家庭にトラブルを引き起こしたりするが、それを乗り越えて成長したり、絆を深めたりするきっかけともなる。

 しかし、それが積もり積もって余裕がなくなれば、いつの間にか負のサイクルに陥り、やることなすこと全部上手くいかないなんてことに。


 要するに、妖怪が家に居て良いことなど何もないのだ。


 さて、そんな妖怪が何故真守君の家に入り込んだのか。

 政治家の家というだけあって結界が築かれており、普通なら侵入されることなどありえないはず。

 つまり、今回の騒動には理由がある。


「先程お庭を拝見した際、結界が壊れているのを確認しました。先月の台風で要となる札が破れたようです」


 親父はサラッと嘘をついた。

 台風も原因の1つだが、主要因は他にある。

 

――智夫雄張之冨合ちふぉちょうのふあい様の奇跡だ。


 神社を起点に広がった聖域は、その地域の穢れを祓い、陰気を打ち消してくれる素晴らしい代物である。

 だが、光あるところに影がある。まるで陰と陽のバランスを保つかの如く、聖域の辺縁部はなぜか陰気が集まる傾向にあるという。

 庄司家の立地はちょうど辺縁部に当たっていた。

 陰気が集まれば人は不運に見舞われ、それはやがて穢れを、ひいては妖怪を生み出す。


 この事実は経験則から広く知られており、神に頼りすぎてはいけない教訓として、陰陽師の間で語り継がれている。


 しかし、こんなことを説明しても霊感のない人には納得できないため、親父は分かりやすい理由でお茶を濁したのだ。

 実際、たくさんの不幸をもたらす自然災害は結界に負荷をかけるから、あながち嘘ではない。


 庭の一角にある灯篭とうろうの中には、草臥くたびれたお札が隠されていた。

 陰気の過負荷によって結界の寿命が早まったのだろう。

 守りを失った庄司家は、運の悪いことに妖怪の侵入を許してしまったのだ。


「私が結界を直すことも可能です。もしくは、知り合いに結界専門の陰陽師がいるので、そちらに依頼することも可能です。多少値は張りますが、専門家に依頼することをお勧めします」


「主人と相談してみます」


 親父……商売下手かよ。そこは自分を売り込めよ。

 いや待て、俺の友達相手だから誠意を見せているのか。

 結界専門の陰陽師といったら殿部家のことだし、ほとんど身内みたいなものだ。

 機会損失には当たらない。


 その後、親父は結界構築の見積もりをするため庭へ向かった。

 俺もついて行こうとしたのだが……。


「休みなさい。友達と遊ぶといい」


 と、要らぬ気遣いによって置いて行かれた。

 結界構築に必要な情報の現地調査のやり方、興味あったのに。


 もしかしたら親父は、俺が友達の家に遊びに行こうとして初仕事を請け負うことになったと、お母様から聞いていたのかもしれない。

 正直、初仕事が心を占有していて、友達の家云々は親父に言われるまで忘れてたけど。


 今リビングにいるのは真守君と真守君ママ、そして俺の3人だ。

 この状況で真守君と遊ぶというのも、なんか違う気がする。

 俺の心が完全にお仕事モードに入っていて、依頼人である真守君ママを放置できない。

 とりあえず俺は、この場の全員に関わる話題を振ってみた。


「真守君のママも、絵が好きなんですか?」


「え?」


 まさか自分に話しかけてくるとは思っていなかったようで、真守君ママは少し戸惑っていた。

 しまった、この場の正解は子供同士でおしゃべりする、だったか。

 今更話題変更も出来ないので、このまま真守君ママの返事を待とう。


「バレちゃった? 実は私も、昔から絵を描くのが好きで、一時期は芸術家を目指していたの」


 真守君ママははにかみながら答えてくれた。


「でも、私にはあんまり才能がなかったみたいで、お仕事には出来なかったのね。そしたら、うちの息子たちに才能があると分かって、習い事にも通いたいって言い出して、私もついつい熱が入っちゃって――」


 誰でもいいから話したくてたまらない、自分の息子を自慢したい、そんな感情が伝わってくる。

 俺も初仕事の功績を自慢したくて堪らないからよく分かる。


 息子の絵を見つめる真守君ママの眼差しは、単なる思い出の品へ向けるそれではなかった。

 それに、真守君の部屋だけでなく、廊下やリビングなど至る所に絵画が飾られている。

 絵に対する並々ならぬこだわりを感じたのは間違いじゃなかったようだ。

 今も、子供相手だということを忘れて饒舌に語っていらっしゃる。


「――感性を大切にしたいから、ちょっと教室を抜け出すくらい良いじゃないって怒鳴っちゃったのはやりすぎだったと思うけど、でもやっぱり独創的なアイデアは……って、あはは、ごめんなさいね1人で語っちゃって。私が絵を描いていることを話したのなんて久しぶりで」


 いえいえ、真守君を取り巻く環境が垣間見えて興味深かったですよ。

 真守君は真守君でマイペースに絵を描き始めているし。


 真守君パパは美術品鑑賞が趣味で、その縁で御夫婦は出会ったのだとか。真守君のお兄ちゃんも絵画教室に通っており、アーティスト一家に生まれるべくして生まれたのが真守君だったというわけだ。


 俺が護ったあの絵は、真守君が誰に教わるでもなく描き始めた最初の作品で、真守君ママが息子の才能を確信したきっかけであった。

 確かに、あの絵を3歳児が1人で書き始めたら、才能を感じざるを得ない。


 真守君ママの1人語りを聞いているうちに、親父が戻ってきた。

 概算の見積金額を伝え、家の安全を保証したところで、俺達はお暇することになった。


 門前まで見送りに来てくれた真守君がポツリと呟く。


「ひじり……ありがと」


 真守君は俺が何をしたかなんて知らないはずだ。

 親父が真守君ママにしたお願いだって、絵画が残ったことを公表しないことだけ。俺が活躍したとは一言も言っていない。

 それでも、真守君は何か確信を持った目で俺にお礼を告げてきた。


「どういたしまして」


 前世で仕事をしていた時には感じられなかった高揚感が、俺の胸に湧き上がる。

 生きるため、金を稼ぐために渋々働いていたあの頃の自分には得られないものだろう。


 そういえば、真守君と仲良くなってからは、この別れの挨拶をよく使うようになった。

 明日が来ることを信じ切っている、若者だからこそ使える言葉。


「「また明日」」




 後日


 真守君が幼稚園で俺に絵を渡してきた。お礼、だそうな。

見覚えがあるその絵は、真守君ママが語っている時に横で描いていたものだ。

 完成した絵を見てみれば、モデルは陰陽師衣装ルックの俺と親父で、突入前の準備をしている姿だった。

 こっそりついてきたときに見た光景なのだろう。


 だが、本来準備風景は地味なはずなのに、真守君の絵からは仕事前の緊迫した空気が感じられた。6歳児がクーピーを使って描いた絵から、描写されたもの以外の空気を感じたのだ。ちょっと見ないうちにまた成長していた。

 うん、これは将来、有名人になるわ。


 下手したら俺よりも先に。


 プロの道に早いも遅いもないが、改めて頑張ろうと思わされる卒園式前日であった。

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