第190話 再封印
脅威度6弱の大妖怪——「
形容するならば、二足歩行する爬虫類。怪獣と呼ぶのが相応しい外見だ。
攻撃の効き具合から属性は火と判明しており、赤熱する岩石のような体からは、溶岩の代わりに陰気が垂れ流されている。近づくだけで死の危険があるという理不尽な存在。
巨体に見合う質量攻撃が最大の脅威だそうだ。
「あれが……脅威度6弱……」
「はい……御当主様や塩砂様が戦う日本の脅威。そして、詩織様を苦しめる元凶の一つです」
忌々しいと漏らしながら、お世話係さんが感情を露わにして言った。
妖怪の長いしっぽすら届かないほど離れているというのに、俺の体は小さな震えが止まらない。
負の感情を糧に生まれるという妖怪の上位個体。
人に不幸を齎すためだけに存在する妖怪の本質を、俺は今になってようやく知ることができた。
陰気の影響を受けていないのに、言葉にできない不快感や恐怖が心を埋めつくしていく。
恵雲様と満様、そして詩織ちゃんは、こんな敵と戦ってきたのか。
そんな恐ろしい妖怪なのだが、攻撃を受けて体中に傷がついたというのに、暴れ出す様子がない。
封印から解放された直後は、さすがの妖怪も動き出しが鈍いと聞いていたが、本当のようだ。
もしかして、肉体は解放されても魂のような何かがまだ囚われているのだろうか。
何はともあれ、暴れないならそれに越したことはない。
燦々と照りつける太陽の下、人間に有利な状況で戦闘は始まった。
封印を解除した直後から、恵雲様による再封印の詠唱が始まっている。
「誇りある戦いを初代恵雲様と歴代塩砂家に捧ぐ。慈悲深き
朗々と唱えるのは、再封印までの残り時間を味方に共有するためらしい。
俺も詠唱の文言が記載された作戦概要を読ませてもらった。
詠唱や印よりも、道具類に秘術たる要が隠されているのだろう。
第一陣の攻撃が途切れたところで、本命による攻撃の準備が整った。
黒い霧が晴れた今、大きな的が目の前に聳えている。
生物としての本能が逃走を叫ぶような威容だ。
そんな化け物を相手に、塩砂家当主は戦意を昂らせる。
「きゅうきゅうにょりつりょう」
声は弱々しいのに、やけに力強い声が聞こえてきた。
恵雲様の隣で車椅子に乗っている彼は、印を結んで足元の陣に霊力を注ぎ込み、その力を解き放つ。
陣の中心に巨大な氷柱が形成され、妖怪の土手っ腹に発射——直撃。
周囲の陰陽師達も東北を代表する実力者ばかりだが、怨嗟術により莫大な霊力を持つ彼の攻撃は桁が違う。
さすがの大妖怪とて、その一撃にはタタラを踏む。氷柱が崩れ落ちた後には、赤く光る体内が露出していた。
「目標
続けて人類側の攻撃が炸裂する。
このまま一方的に攻撃できたら良いのだが、妖怪もただ混乱しているだけではない。
「来るぞ!」
もはや質量兵器と呼べる巨大な右足を上げて、邪魔な人間を踏みつけようとしている。
その狙いは明らかに満様だ。
必然的に隣にいる恵雲様も攻撃範囲に入ってしまう。
「行くぞ」
「「「おう!」」」
武士達はそれだけ言うと、恵雲様を守るメンバーのうち半数が妖怪に向かって跳び上がる。
その速度はまさに弾丸。
武士達は地面と足の間を目にも留まらぬ速さで跳ねた。
「ガァァァァァアアア」
完璧な連携による一撃は、今にも下されそうになっていた足の狙いを見事にずらした。
恵雲様達は無事だが、前後不覚に陥りそうなほどの地揺れが辺り一帯を襲う。
大質量の足を動かすとは、武士達の技にいったいどれだけの力が込められていたのやら。
技巧派の御剣家に対し、パワーこそ正義な東北の武士らしい力技だ。
恵雲様の詠唱はまだ続いている。
「巡り巡る万物の泡沫、悪しき澱をこの地にて留めん——」
このワードは確か、詠唱が70%過ぎた辺りで出てくるはず。
「第三班攻撃開始!」
妖怪は巨大な見た目に合っているというか、その動きは鈍重だ。
体勢を崩された妖怪が再び攻撃してくる前に、第三班の攻撃が終わった。
「攻撃止め! 総員撤退!」
そして、第三班の攻撃が終わるその瞬間、陣の中央に置かれた勾玉が光りだす。
恵雲様による再封印の儀式が、ついに終わりを迎える。
しかし、同じタイミングで妖怪も再び攻撃してきた。長いしっぽをうねらせ、地面ごと抉るテールアタック。
巻き込まれればどんな人間もミンチになる脅威の一撃は——。
「荒ぶる力を封じ、人の世に一時の安寧を! ——封印!」
妖怪が巨大な尻尾で全てを薙ぎ払おうとするさなか——妖怪の体が砂のように崩れ始め、輝く勾玉へ吸い込まれていく。
その速度は思いのほか速く、退避する部隊にテールアタックが届く前に、その身の大半が吸い込まれていた。
「ガァァァァァアアア!」
怒りに満ちた雄叫びを残して、大妖怪『蔵王之癇癪』は再封印された。
封印解除から僅か5分の出来事である。
騒がしかった戦場は一変して、静寂が支配する。
印を結んでいた恵雲様が構えを解き、部隊へ振り返った。
「封印完了。皆、よくやった」
「「「おおおおおおぉぉぉ!!!」」」
大地が揺れるほどの雄叫びが轟く。
大妖怪にダメージを与えて、なおかつ誰一人欠けることなく戦闘を終えたのだ。
さもありなん。
最終的な戦果としては、満様の攻撃を起点に抉った2mに及ぶ深い傷が最も大きい。
そこは再封印するたびに狙っていた場所で、その集大成が今日結実したのだという。
「あれは発生時の災害が最も大きいタイプの妖怪でね。本体の戦闘能力はそれほど高くないんだ。とはいえ、早々に大きな傷をつけられたのは幸運だった。あと10年は覚悟していたからね」
帰りの車中にて、恵雲様がそう言った。
「ただ、それも怨嗟術による強化の賜物と考えたら、素直に喜べないけどね」
彼の視線の先には、霊力切れで辛そうな満様の姿があった。
文字通り、全身全霊の一撃だったというわけだ。
「脅威度6クラスは遅延策によって問題を後回しにできる。だが、脅威度5クラスはそうもいかない。被害を最小限に抑えながら脅威度5クラスを倒すためには、満兄さんや詩織ちゃんの力が必要なんだ」
脅威度6弱は言わずもがな、脅威度5クラスも一個人で倒すのは困難な存在である。
被害を最小限にするには、瞬殺できる戦力を動かさなければならない。
すると必然的に、塩砂家が動くことになる。
目的通り短時間で倒してしまう為、妖怪の力が怨嗟術によって取り込まれ、副作用も強化される。塩砂家の負担という意味では、発生頻度も格段に上がる脅威度5クラスのほうがよっぽど厄介なのだ。
「ここ数年で脅威度4以上の出現率は跳ね上がっている。終焉の時が近いというのは本当なのだろう」
確かに、陰陽師新聞でもよく報じられている。妖怪そのものの発生件数が増えており、強さも一段階上がっているそうだ。
関東陰陽師会からは、脅威度4でも集団で戦えと指示が出されていた。
一般のニュースなんかでも、各地で自然災害が増えている。
陰陽庁が出している脅威度指標や発生頻度の目安も、いまや過去のものとなりつつある。
ところで、終焉の時って何?
「あとはもう、国宝や神の力を頼るしかないが、それもこの先の終焉に向けて温存すると決められている。私達は耐えるしかないんだ」
だから、終焉って何よ。
ただ、恵雲様の憔悴したような声と、単語の意味からなんとなく察することができる。
中学2年生が興奮する危険なワードだ。
陰謀論であってほしいなぁ。権力者が口にすると洒落にならないんだよ。
「ふぅー」
そして、お疲れなのは恵雲様も例外ではない。
一通り話して満足したのか、大きなため息がこぼれる。
脅威度6クラスの妖怪を個人で封印できるのは当主である恵雲様しかいない。次期当主である東部家の長男はもう少し修業が必要とのこと。
やはり、数をこなすのは難しそうだ。
「今日はお疲れさまでした」
「ありがとう。見学してみて、どう思ったかな」
「皆さんがどんな思いで戦っているのか、少しだけわかった気がします」
「それはよかった」
疲れていたのだろう。恵雲様は満足げにうなずいた後、静かに目を閉じた。
車に揺られて眠ったのかと思いきや、彼はそのまま講義を始める。
内容は大妖怪封印に伴う現状までの経緯だ。
「局地的な妖怪の大量発生。それ自体は歴史上何度も繰り返されてきたのだけれど、今回は省略しよう」
2代前の東部家当主の時代から、封印する妖怪の数に対し、退治できる数が追いつかなくなってきた。
もともと、第二次世界大戦時に発生した妖怪の封印だけで、手いっぱいだったらしい。
霊力は一晩眠れば回復するけれど、全力で戦うには準備が必要になる。
それは道具の調達だったり、儀式の準備だったり、人員の確保そのものだったり。
「均衡が崩れた決定的な出来事は、奥羽山脈の妖怪大発生。そこで、日本のキャパシティを超えてしまったんだ」
原因は不明。一番主流な説は、山奥を通る霊脈が地表へ急激に近づいたことが原因とされている。それだって明確な観測記録があったわけではない。
ともかく、短期間の間に脅威度5弱以上の妖怪が複数発生したという。
安倍家を始め、日本全国の陰陽師が集結してことにあたったが、それでも退治しきれなかったらしい。
「幸い、人の少ない山奥だったから、そこに封印することで時間稼ぎができた。そして、リソースを使い果たし、疲弊した陰陽師は消極的な対応策を打ち出した」
それが、封印による妖怪の自然消滅。
傷を負った状態で封印された妖怪は少しずつ陰気を発散し、弱体化する。
最終的には消滅するので、封印を維持するだけでよい。
悩まされていた封印管理のリソースがかなり改善されるのだ。
しかし、そんな便利な方法を最初に採用しないからには、相応の理由があるわけで……。
「自然消滅には数十年の時が必要となる。長ければ数百年だ。万全の管理ができればいいけれど、時の流れと共に忘れ去られる封印もある。いつの間にか封印を打ち破った妖怪は、器の中で力を蓄えて完全復活してしまう。できるならば、全て退治すべきなんだ」
親世代の負債を子供に遺したくないと思うのは当然のこと。
本来この手法は、脅威度6強のなかでも上位に位置する歴史的大妖怪に使用するものらしい。
長期間の封印というのは、そうホイホイ使ってよいものではないのだ。
それを使わざるを得ない現状というのは、歴代東部家当主にとって忸怩たる思いだったという。
「今は怨嗟術に頼るしかない。しかしそれも、限界がきている」
不謹慎ながら、同乗している満様からは仄かに死の気配が漂っている。
俺もかつて経験した、逃れようのない最期への足音が近づいているのだ。
これからも妖怪と戦っていく彼は、さらに副作用が強くなっていく。
果たして、いつまで戦うことができるのだろうか……。
そして最後に、恵雲様は眠りに落ちながら独り言ちる。
「もしも……聖君が怨嗟之声の治療法を確立してくれたなら、……東北の地は……再び一時の安寧を……得られる。まだ、次の手が用意できていないんだ」
そんなことを他家の子供に言ってしまっていいのだろうか。
いや、大妖怪の傍にいたのだ、少しくらい陰気を吸っていてもおかしくない。
弱音を吐きたくなるほど疲れているのだろう。
思っていた以上に、日本はギリギリのところで平穏を保っているようだ。
俺は右手を挙げてクシャクシャになった袖を目の前に持ってくる。
「……覚悟を決めるか」
妖怪が姿を現した時、隣にいた詩織ちゃんが俺の袖を掴んでいた。
無意識だったのだろう。その手は隠しきれないほど震えていた。
妖怪そのものが怖いのか、倒した後に襲ってくる副作用が怖いのか、身内の危機が恐ろしかったのか、彼女の心の内を聞くことはできない。
ただ、何も知らない少女にあの重圧を背負わせるのは、間違っている。
とりあえず、親父に相談するとしよう。
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