第178話 打倒副作用 AM


 気がつくと、俺は客間で寝ていた。

 お世話係さんが運んでくれたのだろう。


 布団から起きて窓を見れば、外は既に暗い。

 スマホの時計を見ると、驚くことに二十一時を示している。

 朝一番に勉強を始めて、お昼前に限界を迎えたはず。


「随分長いこと寝てたな」


 それだけ精神的ダメージが大きかったということだろう。

 正直、最後の方は記憶がおぼろげだ。


「わかっていたつもりだけど、これ程とは……」


 詩織ちゃんは、これを四六時中浴びている。

 大人があっという間に気絶するような、ドス黒い負の感情を、常に。

 想像するだけで気分が悪くなりそう。

 本当に、あの幼さで最強の陰陽師として日本を守っているのだ。

 それに対して、俺はどうだ?


「これじゃダメだろ」


 詩織ちゃんが自分の名前を言えるようになったのは喜ばしい。

 しかし、単語一つでいつまでも喜んでいられない。

 東部家の最終的な望みは、詩織ちゃんが普通の生活を送れるようにすること。

 毎日一つずつ教えるとして、単語三十個程度では話にもならない。


「何か、対策が必要だな」


 元より、何かしら策を考える必要があるとは思っていた。

 まずは繰り返し行うことで耐性が付かないかと期待したのだが、これはダメだ。

 慣れるより先に俺が廃人になる。

 早急に策を練ろう。

 いくつか浮かんだアイデアをスマホにメモしていると、襖をノックする音が響く。


「失礼しま……! 先生を呼んできます!」


 様子を見に来たお世話係さんが再び姿を消し、すぐに医師を連れてきた。

 医師は脈拍やその他諸々を確認し、「問題はないです」とお墨付きを出して退室していった。

 この建物にはいろんな先生がいるようだ。


「先生、ありがとうございました」


 部屋の外までお見送りしたお世話係さんが戻ってくると、こちらの顔色を窺うように尋ねる。


「お腹が空いていませんか? よろしければ、お夕食の準備をいたしますが」


「お願いします」


 言われて初めて己の空腹に気がついた。

 昼食を抜いたせいで、お腹が鳴りそうなほどである。

 さっきまで怨嗟之声対策―—つまりは陰陽術について考えていたから、二の次になっていた。


「すぐにご準備いたします」


 お世話係さんは他の使用人に指示を出して夕飯の準備をしてくれた。

 てっきり指示を出したらすぐに詩織ちゃんの下へ戻るとばかり思っていたが、まだ部屋にいる。

 何か話したいことがあるのかな?

 ちょうど俺からもお願いしたいことがあるんだ。


「ところで、怨嗟之声についてなんですが」


「……!」


 お世話係さんがわかりやすく狼狽える。

 突然どうした?

 あぁ、なるほど、突然俺が倒れたからか。


「明日の授業から、いろいろ試してもいいですか? 詩織ちゃんに学習意欲があっても、僕の限界が先にきては意味がありません。今日みたいに時間を無駄にしないよう、怨嗟之声に対抗できる手段を用意しておきたいんです」


「はい、もちろんです」


 今度はあからさまにホッとした表情を浮かべるお世話係さん。

 初日から意識を失うほどのダメージを負って、俺が依頼から降りるのを心配していたのだろう。

 小学生が嫌な思いをして逃げ出すのはよくあることだ。

 しかし、大人の俺は契約の何たるかを知っている。

 なにより、こういう仕事こそ、俺が前世からやりたいと思っていたことだ。

 他の誰にもできない、俺だけができる仕事。

 陰陽術のプロフェッショナルとして、全力を尽くそう。


 ……そうだ。

 報酬も、俺の原点に立ち返ってみればいいんじゃないか?

 “なんでも”なら、こういう形の報酬だって……。


「峡部様?」


「あっ、すみません。少し考え事を。対策をする上で色々と用意したいものがあるのですが……」


「全てこちらでご用意いたします」


 お世話係さんの力強い頷きが頼もしい。

 契約書にも、任務中の必要経費は全て東部家が負担すると書いてあった。

 タブレットあります?

 ありがとうございます。

 術具店の注文ページを開いてっと。


「それじゃあ、これと、これと、これ。あと、これもいいですか? 結構値が張りますけど」


「金額はお気になさらず。必要なものは全てカゴに入れてください。式神特急便で今日中に届けてもらいましょう」


 さすが日本三大陰陽師! 太っ腹~!

 こうして夜のうちに明日の授業の準備をするなんて、本当の先生みたいだな。


 おっと、お母様からメッセージが来てる。

 無事家に着いたようだ。

 俺を心配するメッセージの数々に、胸がホッコリする。


[―—最後に、無理せずお仕事頑張ってくださいね]


 ごめん、さっきまで気絶してた。



 〜〜〜



「ということで先生、僕の実験にお付き合いください」


「もちろん私たちも協力します。あら、詩織ちゃんも興味津々みたい」


 幸いなことに、翌日の朝も詩織ちゃんは元気な姿を見せてくれた。

 座椅子に腰掛ける彼女は、俺の方をじっと見つめている。

 勉強に対する意欲がすごい。

 このままではやはり、俺が足を引っ張ってしまう。


 休憩を挟みながら、各種対策を3回ずつ試していくことにした。


「まずは、瞑想を試します」


 場所を問わず、低コスト、低リスクで行える瞑想。

 試さない手はない。


「『わーたーしー』あーしーおーりー」


 ぐぅぉぉぉぉおおお。

 あっ、これ、ダメだ。

 無心になるには瞑想の熟練度が足りない。

 滝と一つになれる長子さんくらい熟達しないと、負の感情を受け流せないだろう。


「次は、陰陽術を使います」


 身体強化を意識的に発動し、全力で肉体を強化する。

 心と体は表裏一体。

 心を鍛えられないのなら、肉体でフォローするのみ!


「『あーなーたー』」


 ぐぁぁぁあああ。

 特に変化なし。

 結構自信あったのに。

 心も体も辛いだけ。


「次は、距離……」


 二人には何のことだかわからないだろう。

 俺は部屋中に触手を伸ばし、最長距離で詩織ちゃんに接触させた。

 上手くいけば、負の感情が押し寄せる前にシャットアウトできるかもしれない。

 触手を切る痛みは……甘んじて受け入れよう。


「『みーずー』」


 はぁぁああああ。

 知ってた。

 多分ダメだと思ってた。

 ノータイムで襲いかかってきやがった。


 音速越えなのか、距離が関係ないのか、とにかく効果なし。

 触手をちぎって、ただただ無駄に自傷しただけである。

 これは試行回数一回でいいや。


 ダメージからの回復を待っていると、お世話係さんが提案する。


「もうじき正午です。お昼休憩にいたしましょう」


 手際よく準備してくれる使用人に感謝を告げ、両手を合わせていただきます。


「まずそう すてて」


「いただきます、と言っているつもりなの」


 ギョッとする俺に先生が教えてくれた。

 死ね同様、これもまた副作用による悪意のこもった教育である。

 恐らく、食事の前に必ずその言葉を聞かされて、意味も分からず真似しているのだろう。

 酷い話だ。


「美味しいですね。どなたが作っているんですか?」


「東部家の料理人は有名な料亭で料理長をしていたすごい人なの。今度紹介するから、その感想を聞かせてあげてちょうだい」


「はい」


 何と言われようと、美味しいものは美味しい。

 先ほどの言葉とは裏腹に、元気に食事する詩織ちゃんを見て、八千代先生がしみじみ呟く。


「それにしても、昨日今日と調子がいいわね。儀式のおかげかしら」


 儀式というのはおそらく、恐山で工藤様が行ったというアレだろう。

 俺との面会が寝たままだった原因だ。


「儀式って、どんな効果があるんですか?」


「元々は死者の怨念を晴らす儀式なのですが、怨嗟術の副作用緩和に効果がありまして。定期的に施していただいています」


 お世話係さんが教えてくれた。

 それならイタコを雇って毎日儀式をさせれば良いと思ってしまうが、残念ながらそう上手くはいかない。

 例大祭を含めて年に数回、術の効果が高まる時期があり、その時にしか受けられないのだと言う。

 霊脈が関係しているのか、恐山の地であることも重要らしい。

 宮城や茨城など、他の地に住む降霊術の使い手たちにも試してもらったが、ダメだったそうな。


「儀式の後は調子が良くなるのですが、本当に儀式のおかげなのでしょうか……」


 お世話係さんが疑義を呈する。


「あら、違うの?」


「儀式の後、部屋を抜け出した詩織様は、建物を出る前に意識を奪われました。いつもより早すぎます」


「1日持たないなんて……。やっぱり、悪化しているのね」


 怨嗟術の特性上、妖怪を倒せば倒すほど副作用も強くなってしまう。

 詩織ちゃんは既に前線で戦わされており、年々悪化の一途を辿っている。


「ついに、儀式も効果が薄くなってきたのかと思っておりました。ですが、その後は一度も倒れていません」


「それってもしかして……」


 二人の視線がこちらへ向いた。

 もぐもぐ、このおひたし、絶妙な味付けだな。ごくん。


「僕が副作用の一部を引き受けているから、ですかね?」


 詩織ちゃんが倒れた後に起こった環境変化と言えば、それしかない。

 普段の詩織ちゃんを知らないので、どれくらいマシになっているのかわからないが、俺が負の感情に悶え苦しんだ甲斐はあったというわけだ。


「辛い役目を押し付けてごめんなさい。でも、詩織ちゃんのこんなに元気な姿は久しぶりで。食欲がちゃんとあるだけでも……」


「ここ数年は食欲も下がってきていて、成長期に必要な栄養が満足に摂れませんでした」


 それは詩織ちゃんを見ればわかる。

 俺より1歳年上なのに、かなり華奢な体躯をしている。

 とてもではないが、日本最強の陰陽師には見えない。


「意識を失っているときは?」


「丸一日続くことはないので、起きた時に」


 視力を奪われている間は、お世話係さんが口まで運ぶらしい。

 完全に介護である。

 こうして自らの手で元気に食事しているだけで、保護者二人にとっては感動もののようだ。

 なるほど、お世話係さんが俺に対して異常なまでに気を使うのは、そういった背景あってのことか。


「ごちそうさまでした。美味しかったです。午後も、頑張りましょう」


 両手を合わせてご馳走様。

 俺の言葉を受け、大人達は眉を落とす。

 しかし、そんな申し訳なさそうな顔をすることはない。

 これは俺の仕事なのだから。

 ほら、詩織ちゃんを見てみなさい。午後のお勉強が待ち遠しいとばかりにペロリと平らげている。


「まずい!」


 詩織ちゃんはお行儀よく両手を合わせ、間違った挨拶で昼食を終えた。

 ―—己の不幸を理解することなく。



二日目 午前の成果:わたし、あなた、みず

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