第135話 美月再起録 秋 side:美月
月に一度の外出とお祓いを続けていたある日のこと。
聖君がペットを連れてきた。
短い毛並みはサラサラで、白と茶色のマーブル模様。
初めて来た場所を警戒しているのか、カーペットの匂いを嗅ぎながら辺りを見渡している。
「モルモットだよ。大人しいから撫でてみて」
聖君に言われるがまま手を伸ばすと、私の手の匂いを嗅ぎ始めた。
「……」
怖がらせないようにじっとする。
しばらくすると、気を許してくれたのかな。
私の手に身体を擦りつけてきた。
背中も撫でさせてくれる。
人懐っこくて可愛い。
「この子の名前はなんていうの?」
「えっ、名前? 考えてなかった。普通は付けないんだけど……」
聖君は腕を組みながら可愛らしくうんうん唸る。
スマホを取り出して調べ物を始めると、何か閃いたみたい。
「この子のことはテンジクって呼んであげて」
モルモットの別名は
聖君が得意げに由来を教えてくれた。
名前の響きからすると、男の子なのかな。
「テンジク君、よろしくね」
「キュイ」
手に乗ってくれたテンジク君に癒されて、少し元気が出た。
聖君には感謝しないとね。
~~~
私は意を決して、お母さんに告げる。
「今日は、1人で行きたい」
月に一度の散歩は、週に一度の散歩に変わっていた。
少しずつ、少しずつ、距離と回数を増やしている。
そして今日、私は決意した。
「大丈夫? 無理してない? 焦る必要ないんだから。ゆっくりでいいのよ」
「大丈夫」
外に出ると決心したときも、同じことを言われたっけ。
お母さんが心配するのも当然。
だけど、今立ち止まったら、もう二度と立ち上がれなくなる。そんな気がする。
「もう少しだけ、前に進みたい」
お祓いを受けてから体の調子もいいし、メンタルも安定している。
ふとした拍子にフラッシュバックすることもあるけれど、その頻度はグッと下がった。
テンジク君と触れ合った後のお祓いは、なんだかすごく気持ちが良くて、まるで昔の自分に戻れたような気がする。
1人で外に出る決心がついたのも、そのおかげ。
「気を付けてね。大通りから外れちゃダメよ。防犯ブザーは持った?」
「うん。大丈夫。……いってきます」
「いってらっしゃい」
お母さんのいない散歩道は、とても心細かった。
頼れる人がどこにもいない恐怖や、いつ襲われるか分からない状況に、気が休まることはなかった。
けれど、数か月前の自分と比べたら、その疲労はずっと小さい。
普段よりも短い距離で散歩を切り上げ、なんとか目的を達成して、帰ってこれた。
「ただいま」
「お帰りなさい!」
玄関を開けると、お母さんが待ち構えていた。
右手に持っているスマホには、私の位置を把握できるアプリが入っている。私が帰路についたのを確認して、待っててくれたんだと思う。
お母さんのことだから、私が出かけてからずっと見守っててくれたのかも。
「よく頑張ったわね」
1人で外を出歩けるようになったことで、ようやく私はあの頃に戻れた気がする。
まだまだ頑張らないといけないけれど、ここからは自分の足で歩いていけると思う。
「お母さん、心配かけてごめんなさい」
「いいのよ。家族だもの。困った時は助け合うものでしょ」
あなたは何も悪くないのだからと、優しく抱きしめてくれる。
とても……とても……温かい。
子供の頃にまで戻ってしまったみたい。
「いつか、私にも家族が作れるかな」
「巡り合わせだから、いつか出会えるかもね」
お母さんは「無理だ」とは言わなかった。
人に対して警戒心しか抱けない私が、パートナーを見つけるなんて、自分自身想像できない。
でもいつか、私にも家族ができたなら、この温もりを分けてあげたい。
~~~
それ以来私は、1人でも出掛けられるようになった。
けれど、人と交流することはない。
人通りの多い道を選びながら、極力人との接触を避けている。
そんな、矛盾したリハビリ生活を送っていた。
道を歩いていると、向かいから人が歩いてくる。
こんな時、私は自然と俯いてしまう。
顔を見られたくない、そんな考えがいつの間にか染み付いてしまった。
外に出られるようになったのは、道行く人に対する過剰なまでの恐怖心が和らいだから。
過剰な部分がなくなっただけで、根本的な人に対する警戒心はなくならない。
今回もそうしてやり過ごそうとしている自分に自己嫌悪していると……。
「あら?」
すれ違う寸前で、相手が立ち止まった。
「やっぱり!」
ち、近づいてくる!
「貴女、大丈夫だった? 私ずっと心配していたの。あの後どうなったのかって」
顔を上げると、そこには見知らぬ女性がいた。
ううん、待って、この人は確か……そう、ストーカーに襲われた時、警察へ通報してくれた人だ。
「あの……はい、おかげさまで、なんとか」
「そう。それならよかった。辛いかもしれないけど、頑張って」
早くこの場を立ち去りたいと思っているのが伝わってしまったみたい。
あの人は軽く会釈してすれ違ってしまった。
私のことを気遣って、すぐに解放してくれたんだ。
「あっ、お礼……」
私、何してるんだろう。
恩人に気を使わせて、お礼すら言えないなんて。
「帰ろう」
自己嫌悪に陥りながら帰路に着く途中、私は立ち止まる。
ポツリ。
ついさっきまで明るかったのに、黒雲が空を埋め尽くしていた。
お母さんの言う通り、傘を持ってきて良かった。
傘があると人の視線が隠れるし、自然と距離ができるから安心する。
結局、私はまだ人を信じることは出来ないし、普通の生活には戻れない。
いつか、元に戻れる日がくるのかな。
「クゥン」
足早に帰り道を進んでいると、不意に犬の鳴き声が聞こえた。
傘で隠れて見えなかったけれど、振り返ってみれば、確かにそこにいた。
「あら、ワンちゃん、こんなところでどうしたの?」
私はダンボールの前にしゃがみ込み、犬に向かって話しかける。
子犬とは言えない大きさの子が、ダンボールの中で狭そうにお座りしている。
どうしたのなんて問いかけてみたものの、ここにいる理由は1つしかない。
「捨てられちゃったのね。かわいそうに」
創作物ではよく見るけれど、本当にこんな酷いことをする人がいるとは思わなかった。
この子は飼い主の言うことを聞いて、大人しく待っているんだ。
終わりのない「待て」を忠実に守って。
「どうしよう」
自分の面倒すら見られない私が、犬の面倒を見られるとは思えない。
無責任に飼う方が迷惑でしょう。
この子が他の優しい人に拾われることを祈って、私は……。
「それで、拾ってきちゃったの?」
「……うん」
結局私は、見捨てることができなかった。
雨に濡れて弱っていたし、濡れた瞳は助けを求めているように見えたから。
もしも私がこの子だったら、例え一時でも雨風凌げる場所へ逃げたい。偽善だとしても、晴れない闇の中から救いの手を差し伸べてもらいたい。
私がお父さんとお母さんに支えてもらったように、今度は私がこの子を支えてあげたい。
聖君のペットと触れ合って、少し羨ましくなったのも理由の1つ。
人間相手には難しいけれど、動物相手ならできそうな気がする。
「はぁ、美月が面倒見るのよ。お散歩だって行かないといけないけど、大丈夫?」
「うん」
こうして、雑種犬の“ヨンキ” が新しい家族となった。
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