第5章 異国之幽霊編

第140話 アクロバット



 春の暖かさに包まれる4月1日、俺は自宅の中庭に立っていた。

 雲一つない空を見上げ、達成感に浸りながら汗を拭う。


「いい天気だなぁ」


 美月さんの定期お祓いも完了し、これで気持ち良く新年度を迎えられる。

 春休みに御剣様への報告も終え、仕事の成果にも満足してもらえた。

 まだまだ未経験の業務も多いが、陰陽師として着実に経験を積んでいる。

 そして今も、新しい技術を身につけたところだ。


「側転にもコツがあるのか。録画確認しよう」


 昨年も訪れた御剣家では、空前のアクロバットブームが起こっていた。

 小学5年生になる男子2人がYouT〇berの動画に影響されて練習を始めたのだ。

 しかも、日々の訓練に加え、内気によって身体能力を強化している2人は、あっさり習得できてしまった。


「健太カッケー!」


ひとしのそれもいいじゃん!」


「「イェーイ」」


 楽しそうに遊ぶ2人を見て、他の子供達も張り合うように練習し始める。

 そしてついには、子供にかっこいいところを見せようと大人達まで参戦し……。

 かくして、御剣家にてアクロバットブームが巻き起こった。


 夏休みの1週間を御剣家で過ごした俺も、ヤンチャ坊主達の挑発に乗り、アクロバットの練習を始めた。


「アハハ、聖へたくそ!」


「下手くそ〜」


 簡単に技を決める2人に対し、俺はなかなか上手くいかない。

 練習量の違いではない。2人は初めて見た技も難なく習得してしまうのだ。

 俺はまだ逆立ちすら手こずっているのに。


「練習したらできるぜ!」


「試したらできた」


 2人は得意げな顔でそう宣う。


(試したら、か……)


 前世でも一度試したことがある。

 子供の頃、テレビを真似して逆立ちに挑戦し……そのまま背中を打った。そしてやめた。

 誰もが一度は通る道だろう。


 しかし、今生の肉体は一味違う。

 背中を打ったところで痛くも痒くもない。

 リスクがないならいくらでもチャレンジできる。


 子供達が所用で集まらず、訓練が休みとなったある日、俺は御剣家の庭先で練習を開始した。

 身体能力は十分、運動センスも前世と比べたら悪くない。

 何度も挑戦すれば出来るだろう。

 明日の朝、生意気なヤンチャ坊主達をあっと驚かせてやる。


 そう思っていたのに、なかなかコツが掴めない。


 何がいけないのか首を傾げていると、洗濯カゴを持った純恋ちゃんが駆け寄ってきた。

 初めて会った時から既に3年経つが、彼女は純粋なままだった。

 今も母親の手伝いをしているところだろう。


「ひじり君、えっとね、もっと腰をこうするんだよ。こうするとね、脚がこうなるから、こうなの!」


 子供達の中で誰よりもアクロバットが上手な純恋ちゃんが、指示語多めな解説と共に何度も実演してくれた。


「こう?」


「違うよ、こうだよ!」


 それでも上手くいかない。

 なぜだろう、真似しているつもりなんだけど。


「わたしが教えてあげる!」


 覚えの悪い教え子を相手に、純恋ちゃんは引かなかった。

 時には脚を、時には腰を、全身をサポートしてもらい、俺はようやくコツを掴んだ。


「「できた!」」


 2回目も3回目も再現できた。

 これは習得したと言っても過言ではないだろう。


「やったね!」


「ありがとう、純恋ちゃんのおかげだよ」


 飛び跳ねるほど喜ぶ純恋ちゃんが俺の手を取り、2人で感動を分かち合った。

 前世で諦めた技術を習得できた事実は、想像していたよりも心に響いた。

 俺に欠けていたのは重心移動の感覚だったようだ。

 身体能力は十分足りているので、感覚さえ掴めばこちらのもの。

 コツを掴んでからは他の技もサマになってきた。


「聖もできるようになったんだな! パルクールやろうぜ!」


「やろうやろう!」


「いや、森の中でやったらパルクールというよりターザン……まぁいいか」


 その夏、俺は内気そっちのけでアクロバットの練習をした。


 なお、洗濯物を干し忘れた純恋ちゃんについては、俺から奥様へ謝っておいた。



 ~~~



 家に帰ってきてからも、アクロバットの練習は続けている。

 現状、妖怪と対峙した時に、俺の取れる選択肢が少ないことに気づいたのだ。

 走る、ジャンプする、しゃがむ。

 一般人が何も考えずに実行できるのはこのくらいだろう。

 しかし、アニメや漫画のバトル展開を思い出すと、それだけでは生き残れる気がしない。

 事実、クラゲ妖怪との戦闘では何もできなかった。

 もっと全身を駆使して大きく動き、敵の攻撃を華麗に避ける、そんな主人公達のポジションに立ちたい俺は、今まさに練習中である。


 家の中庭で側転、バク転宙返り。

 本当は地面を転がって緊急回避の練習もしたいのだが、服を汚したらお母様に迷惑をかけてしまう。流石に自重した。


(結構動けるようになってきたなぁ)


 何事もそうだが、繰り返し練習することで初めて体に馴染み、とっさに動けるようになる。

 アクロバットの練習を始めてから、体の動かし方のレパートリーが大幅に増えた。

 できないと思い込んでいた動きも、試してみたら案外できるようになる。

 片手でバク転や腕立て伏せができたときは自分自身驚いた。

 自分の可能性がどんどん広がっていくような感覚だ。


「次は……これかな」


 動画に出てくる動きは、俺が一度も試したことのないものばかり。

 身体強化もなしに、よくこんな動きができるものだ。

 人間の可能性とはかくも素晴らしい。


 そうだ、壁を蹴って二段ジャンプとかできるんじゃないか?


「おぉ! できた!」


 全力で跳び上がれば軒に手が届く。

 前世ではこんなスタントマンみたいなことできなかった。

 身体強化だけでなく、素の肉体性能も前世より鍛えられているからこそできた芸当だ。御剣家での訓練は無駄ではなかった。

 調子に乗って何度も練習していると――。


「聖! お家の壁を蹴ってはいけません!」


 いつの間にか来ていたお母様に叱られてしまった。

 腰に手を当て、柳眉を吊りあげている。

 あれ?

 ここまでガッツリ怒られたのって、生まれて初めてでは?

 

 いい歳した大人が一人ではしゃいで怒られるなんて……恥ずかしすぎる!


「何があった」


 仕事部屋から親父まで出てきた。

 頼むからこれ以上追及しないで。


「先ほどから物音がしていましたが、何をしているのですか?」


「体の動かし方を――」


「お兄ちゃん、何してるの?」


 優也まで来てしまった。

 お願いだから弟の前で恥ずかしい罪状を暴露させないで。


 騒音を出す側は騒音に気付けない。

 賃貸暮らしで嫌というほど知っていたはずなのに、やる時はやってしまう。


「ごめんなさい」


 心からの反省と羞恥心の籠った謝罪によって、この場は許してもらうのだった。

 幾つになっても、人は過ちを繰り返すものである。俺は前世含めて何度目か分からない気づきを得た。


「僕もやってみたい」


「やめておこうか。普通の人は失敗したらケガするし、家の中で暴れると家族に迷惑をかけちゃうから」


「えー」


 俺が悪いことをすると優也も真似してしまうか。

 次からはもっと人気のないところでこっそりやるとしよう。



 〜〜〜


 子供たちが寝静まった後の居間で、つよし麗華れいかは今日の出来事を話していた。


「聖があんなことをするとは」


「良い子すぎるくらい良い子ですから、たまにはやんちゃしてくれた方が安心ですね」


「それもどうなんだ」


「うふふ、聖も優也も、元気でいてくれれば、私はそれで十分です」


「……そうだな」


 穏やかに語らいながら、夜は深まっていく。

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