第53話 鬼退治1

 まだ太陽が顔を出し切っていない早朝、峡部家は玄関に集まっていた。


「行ってくる」


「行ってきます」


「いってらっしゃい。暗くなる前に帰ってきてくださいね」


 お母様に見送られ、俺達は朝早くから出立する。

 目的地は、親父の雇用主である御剣みつるぎ家の所有する訓練場。

 何をするのかは聞けていない。


 親父はここ2週間ほど、日の出と共に家を出て、夕飯を食べたら気絶するように眠る生活を送っていた。

 疲れ切った顔に反して目はギラギラしており、ダルそうなのに動きに乱れはない。霊力切れの時に見られる症状だ。

 毎日帰ってくるということは普段と違う仕事をしているのだろうが、それが何なのか聞ける様子ではなかった。

 お遊戯会の帰り道で言っていたことに関係があるんだろうな、ということしか分からない。


「ゆうやも行~きた~い~」


「お父さんとお兄ちゃんは遊びに行くのではありません。お仕事に行くのですよ。優也は私とお留守番しましょうね」


 お仕事、なのか?

 陰陽師関係だから仕事といえば仕事なんだろうが……。

 ぐずる優也の声を背に峡部家の敷地を出たところで、俺達を待ち構える者がいた。


「準備できたか。ほれ、さっさと乗れ」


「世話になる」


 お遊戯会の帰り道でも何か知っている様子だった殿部家当主、籾さんが愛車と共に俺達を待っていたのだ。

 俺も挨拶をしながら車に乗り込み、籾さんの運転で目的地へ向かう。

 

「麗華さんはなんて?」


 赤信号で止まった車内に運転手の声が響く。

 親父がピリピリしているせいで、ここまでずっと沈黙が降りていたのだ。


「……」


「暗くなる前に帰ってきてねって言ってた」


「……それだけか?」


 信号が青に変わり、車は再び走り出す。

 籾さんが運転に集中し、会話が途切れてしまった。

 せっかくこの暗い空気を変えようとしてくれたのだ、俺も何か話すとしよう。


「ねぇ籾さん、訓練場に行って何するの?」


「何って、鬼退治だろ。……は? まさか強、お前何も説明してないのか?!」


「……してなかったか?」


 してないよ。

 勝手に背中を押されて、勝手に準備して、勝手に連れてこられたんだよ。


「ってことは、麗華さん何も知らずに2人を送り出したってのか。聖坊の職場体験か何かとでも思ってるんじゃねぇか? 大怪我して帰ったら心配するだろ」


「危険なのはいつものことだ」


「気が張ってるのは分かるけどよ。またお前の悪い癖が出てるぞ」


 決着をつけるというセリフから、戦いに行くのかなとは予想していた。

 けれど、俺が予想しているよりも危険なことをしに行くようだ。

 鬼退治……鬼って実在したのか。


 今更ながら説明していなかったことに気が付いた親父は、今日の目的を話してくれた。


「……峡部家の成人の儀を執り行う。我が家に伝わる鬼の式神との契約だ」


「その鬼ってのがまた脳筋な奴でな。弱い奴には従わないんだと。そんで契約の前に戦って、力を示さなきゃならない」


 これからその戦いの舞台に向かう、ということか。

 契約というより動物界の権力闘争だな。


「鬼に限った話ではない。力ある式神は総じて主の力量を試してくる。召喚陣を継承する者は契約を見据え、常に鍛錬を怠ってはならない」


 これまでいろんなことを教わってきたが、召喚術に関してだけはほとんど教えてくれなかった。

 峡部家の秘術だから最後に教えるとのことで、継承云々以前の問題なのだ。

 成人の儀があること自体知らなかった。


 我が家の新たな風習に関心を抱いていると、ふと疑問が浮かぶ。

 “誕生の儀”が誕生してすぐ行われるのに対し、“成人の儀”は30代で行われるものなのだろうか。親父の年齢はキリの良い数字でもないし、大昔なら10代で成人していたはず。

 これはおかしい。


「成人の儀って、何歳でやるの?」


「それは……」


「おっ、着いたぞ」


 親父が答えを言う前に、俺達は目的地へ到着した。


 車で1時間ほどの距離にある自然豊かな土地。

 途中から民家は疎になり、山間に拓かれた果樹園らしき風景が増えた。

 車とほとんどすれ違うこともなく、発展状況と比較してかなり立派な道路が目的地まで延々と続いていた。

 つまり、目の前にある5階建ビルの所有者は、田舎にインフラ整備を優先させられるほどの権力を持つということだ。


 殿部家の車は広大な駐車場の一角に止められた。

 広い駐車場はガラガラで、従業員のものとみられる自家用車と、マイクロバスが6台ほど駐まっているのみ。

 日曜だから社員は休みなのだろう。平日にはここが一杯になるのかもしれない。


 少し気後れしながら、大人の後ろについて中に入る。

 エントランスを見渡して最初に感じたのは、新築特有の清潔感だ。

 飾り気のない質実剛健な外観に違わず、内装も質素で、お役所風な造りとなっていた。


「おはようございます! こちらに必要事項をご記入ください」


 受付の女性が朝早くから元気のいい挨拶で迎えてくれた。

 親父たちは慣れた様子で挨拶し、書類を受け取る。

 背伸びしながら書類を覗いてみれば、訓練場の入場申請と、責任免責書を書いているらしい。

 バンジージャンプとか、危険なことをする前に書くあれだ。

 これからすることを考えたら当然の流れだが、そんな書類を書くことに慣れていいものなのか……。


「……はい、確認いたしました。お気をつけてご利用ください。 ……頑張ってくださいね」


 親父がこれから何をするのか知っているのだろう、個人的な応援と共に送りだされた。


 手続きを終え、このまま訓練場とやらに向かうのかと思いきや、まだ他に寄る場所があるようだ。

 籾さんの車に戻り、再び山道を突き進んでいく。

 木々の密度が増し、いよいよ周囲から人の気配が消え、目に映る人工物がめっきり減った頃、拓かれた土地に最近見慣れた日本家屋が見えてきた。


 こちらもビルと同じく質実剛健というか……簡素というか……規模こそ安倍家に引けを取らないものの、華やかさの感じられない造りである。日本庭園もないし。

 代わりといっては何だが、隣には年季の入った道場らしき建物があり、ここの当主の人柄が伺えるようだ。


「来たか強! 待っておったぞ!」


 その道場らしき立派な建物から、1人の老人が大声と共に姿を現した。

 紺色の剣道着を纏い、右手には鞘に納められた刀が握られている。スキンヘッドが朝日を反射し、彫りの深い顔をさらに厳めしく感じさせる。

 既に定年退職していそうな外見なのに、その身体は活力が満ち満ちており、離れたこの場所からでも彼が今なお現役であると見て取れる。


「いよいよか!」


「はい、お陰様で戦場が整いました。全て御剣様のご協力――」


「よいよい、そんなことよりも目先の戦いに集中しろ。儂は決戦へ赴く戦友に激励を送りたかっただけだ。お主のことだから、変に考え込んで硬くなっているのであろう。もっと肩の力を抜け!」


「……はい」


 珍しいものを見た。

 仏頂面がデフォルトの親父が、外で気恥ずかしそうな表情を浮かべている。

 肩をバンバン叩かれて……こういう体育会系のノリ苦手だろうに。


「今回もお主が見届け人を務めるか。言うまでもないが、タイミングを見誤るなよ」


「ご無沙汰しております。強も本気のようですので、いざという時までは見守るつもりです」


「それでよい」


 籾さんも知り合いのようだ。

 ここまでの会話を聞けばこの老人が誰かは想像がつく。

 親父の雇用主にして御剣家の先代当主、当主の座を譲ってなお前線で戦う絶対的リーダー、御剣みつるぎ 縁武えんぶ 様に違いない。


「ほぅ、そのわらわが自慢の息子か。 ……なるほど、あながち誇張でもなさそうだ。今度稽古をつけてやろう。時間が出来たら連れてこい」


「はじめまして、峡部 聖です。よろしくお願いします」


 あー、ダメだ。

 俺この人と合わない。

 自分の話したいことをガンガン押し付けてくるこの感じ、苦手だ。

 部下を導く上司としては頼もしいが、個人的な付き合いはご遠慮願う。


 武家の稽古って言ったら絶対にハードだろうし、そんなことするよりも陰陽術の練習を……。


「はい。落ち着いた頃合いに、また連れて参ります」


 ですよねー、上司のお誘いを断れるわけありませんよね。


 思いのほか親父の仕事先がアットホームだった。普通、会長職が一社員の息子を気に掛けたりしないだろう。

 求人広告に“アットホームな職場です”と記載があったら、大抵の人はブラック企業を連想する。死ぬ可能性があることを加味したら、親父の職場も間違いなくブラックだ。

 その分金払いは良いようだし、戦友としてここまで信頼を築けるなら、あながち悪くないのかもしれないが。


「戦闘以外の余計な事は忘れろ。盛大に暴れてこい」


「はい」


 言いたいことを言い終えた御剣様は建物へ戻っていった。

 嵐のような人だったな。

 まともに会話すらできなかったが、言動そのものが彼の性格を表していた。

 安倍家当主が人の上に立つ威圧的オーラを纏っていたのに対し、御剣様は周囲を巻き込んで突き進む歴戦の強者っぽいオーラを感じた。

 どちらにせよ、凡人な俺は彼らの傍にいるだけで委縮してしまう。


「行くぞ」


 手続きや挨拶はこれで終わりのようだ。

 いよいよ決戦の時、気合の入った顔で親父が歩き出した。



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