第195話 嵐の前の静けさ


 親父たちが家に帰り、俺は再び単身赴任状態に戻った。


 8月も残りわずか。

 あとは夏休み最終日まで詩織ちゃんの教育を続けるばかり。

 怨嗟之声拡散法はこれといって副作用もなく、やり方も確立された。

 いつも通り人気の少ない山奥にて、東部家に関わる皆様を観客に、最悪なライブを開催する。


 ——!


「ふぅ、1回目終了です。お疲れ様でした」


 完全耐性はつかなくとも、慣れはする。

 負の感情を流し込まれた俺は、平常心を心掛けながら観客達へアナウンスした。

 すぐ傍では、詩織ちゃんと八千代先生の授業が始まっている。


「詩織、に、げ、る」


「にげる」


 鬼のお面を付けた男性から走って逃げる2人。

 動作と言葉を紐づけているのだ。


「よくできました!」


 今は戦闘に関する言葉を教えている真っ最中。

 悲しきかな、塩砂家に生まれた彼女には必須の単語である。

 生存確率を上げるために、周囲との意思疎通は欠かせない。


 10分経過した頃、お世話係さんを伴った詩織ちゃんがトコトコ歩み寄ってきた。

 また聴力を奪われたのだろう。

 次の授業まで休憩タイムだ。


 椅子に座って休憩している俺の傍で、彼女は控えめに主張した。


「……すわる」


「かしこまりました」


 自分の言葉でお世話係さんに意思を伝え、椅子を持ってきてもらっている。

 声量の加減も覚えた結果、元気いっぱいな声を卒業し、おとなしい性格が反映されるようになった。

 成長したなぁ。


「峡部様、失礼いたします」


 2つの椅子が俺の右手にセッティングされ、詩織ちゃんは俺とお世話係さんに挟まれる形で座った。

 飛び立つ鳥を興味深げに眺めている彼女の姿は、ごく普通の少女に見える。


「峡部様、申し訳ありません。しばしお付き合いいただけないでしょうか」

 

「これくらい構いませんよ」


 お世話係さんが謝るのは、詩織ちゃんが俺の右手の袖を掴んでいるからだ。

 再封印に立ち会ってからというもの、事あるごとに袖を掴んでくるようになった。

 お世話係さん曰く、これが彼女にとって安心できる状態なのだとか。

『意識を奪われると、倒れてしまいますから。幼い頃は常に私の手を掴ませていたのです』とのこと。

 常に袖を掴んでくるわけではない。

 疲れた時や、何か不安を感じた時に掴みたくなるらしい。


「心を許してくれたみたいで嬉しいですよ」


「峡部様のことを、頼って良い相手と感じているようです」


 可愛いものである。

 ここ1ヶ月ほど付きっきりでお相手していただけに、この変化は嬉しい。

 怨嗟之声や副作用に打ちのめされながら頑張った甲斐があるというものだ。


 すると、野原を駆け回っていた霊獣と、草を食べまくる式神がこちらへやってきた。

 ひとしきり遊んで満足したのだろう。


「……来て」


 詩織ちゃんは掴んでいた両手を前に伸ばし、ふれあいを御所望した。

 俺より付き合いの短いテンジクとサトリの方が彼女の心を掴んでいるとは、これ如何に。

 俺は密かに指示を出し、少女の願いを実現させる。


 テンジクを膝に乗せて撫でた彼女は一言。


「かわいい」


 続けてサトリに抱きついて一言。


「きれい」


 戦闘系の単語よりも先に、こういった形容詞の授業を行っていた。

 どうも、詩織ちゃんが希望したらしい。

 怨嗟から単語を学んだ彼女には、正の感情を表す単語が不足していたようだ。

 なぜ今になって学びたくなったのかは謎である。


「そういえば、詩織ちゃんはサトリがどう見えているんですかね」


「詩織様自身、それを表す言葉を持っていないように思います」


 お世話係さんが答える。

 動物の名前とか、優先順位最低だからなぁ。

 俺でさえ一言で表しきれない未知の霊獣を、詩織ちゃんの語彙で説明できるはずもないか。

 ちなみに、サトリがモルモットに見えているお世話係さん曰く、詩織ちゃんが虚空に抱きついているように見えているらしい。

 なんとも不思議な状態である。


 2回目のライブを開催し、俺は再び休憩に入る。

 全く同じ流れで詩織ちゃんがふれあいコーナーにご執心となり、その姿を微笑みと共に見つめる八千代先生が俺の隣に座った。

 そこで、ふと思いついたことを聞く。


「満様は手話を使いますが、詩織ちゃんには教えていないんですか?」


「最初に霊力と陣の使い方を教える必要があったの。むやみに力を使わせないための教育も最優先でね」


 発音能力維持と併せて、そんな理由があったらしい。

 また、満様の場合は子供時代に手話やその他教育を施せたのが大きいそうだ。

 生まれた時から副作用に悩まされている詩織ちゃんはそうもいかない。

 悩ましい問題である。


 そんな深刻な会話ばかりでは空気が湿っぽくなる。

 長く時を共に過ごす先生とは、雑談も結構している。


「あら、〇〇小学校の生徒さんなの? それなら、○○先生はご存じ?」


 その名前は確か、陽子ちゃんの件でお世話になったベテランの先生のものだ。


「そうそう、彼女と私は大学時代の同級生でね。仲良くしていたのよ。しばらく会ってなかったけど、元気にしてるのね」


「世間は狭いですね」


 そんな雑談をしながら回復を待ち、再び言葉を伝えることを繰り返した。

 ルーティンと化した日常における唯一の変化は、満様も怨嗟之声拡散法を試すことになったくらいだ。


「よろぉすぃく」


 満様も聴力を奪われて久しい。自分の声が聞こえないせいで、発音が怪しくなっている。手話をメインで話すのはそのせいである。

 それでも言葉での会話を続けるのは、言語能力の低下を抑える為だと、千代田先生は言っていた。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 心身ともに疲れ果てている彼だが、まだ休んでもらうわけにはいかない。

 急急如律令だけでも、詠唱した方が威力は上がる。

 彼は死が目前に迫ってなお、戦うことを強要されているのだ。


 初めて満様に怨嗟之声拡散法を試した時は、それはもう酷かった。



 〜〜〜


「行きます」


 触手をくっつけた途端、強烈な負の感情が押し寄せてきた。

 それは詩織ちゃんのものより強く、多少慣れてきたはずの俺のメンタルに大きな負荷を与えるものだった。


「死ねぇぇええ殺してやるぅぅううう苦しめぇええ憎めぇぇええ怨めぇえええ呪えぇぇえ絶望しろ死ね死ね死ね!!!煩せぇ!黙れ!消えろ!滅べ!道連れだぁぁ恨め!お前のせいだお前さえいなければ!死ね殺す!愚か者!惨めだなぁ全て無駄だぁ意味がない!苦しめ縊り殺してやる!無能め土下座しろ!消えろ汚物め!気持ち悪い!嫌いいらない臭い!馬鹿が!死ね!怠いぃぃ辛ぁぁい阿保!気に入らねぇ溺れてしまえ!間抜けがぁぁ!殺してやるぅぅぅぅ!!!」


 怨嗟之声も凄まじい爆音を響かせる。

 文字通り、爆発したかのように木々が騒めき、観客達は立っていられないほどの衝撃を受けた。

 悲鳴が鼓膜を破り、殺意が身体に不調をきたす。


「ぐぅぅううう耳がぁ」

「なんて、酷い……」

「もう止めてくれぇ!」


 観客達は阿鼻叫喚である。

 俺も感情がぐちゃぐちゃになり、勝手に涙が流れてきたところで、人工声帯が限界を迎えた。


「はぁ、はぁ、はぁ……ちょっと、長めに休憩が必要です」


「峡部様、お座りください」


 お世話係さんが椅子を用意してくれた。

 ドカッと座り込む俺にスポットクーラーを当て、甲斐甲斐しくお世話してくれる。

 進展の見えなくなった副作用治療において、俺は紛れもなくキーマンである。

 また倒れることのないよう、手厚く保護されている状況だ。


「侮っていたつもりはなかったんですが、これはかなり堪えますね」


 継承中の詩織ちゃんよりも、歴代当主の力を全て受け継いでいる満様の方が強いのは当たり前だった。


「お疲れ様です。ずんだシェイクはいかがですか?」


「いただきます」


 これ、仙台駅で見かけて気になってたんだよね。

 美味い。

 でも、三口で満足してしまった。


 〜〜〜


 初回で酷い目にあった俺は、次から声帯に敢えて傷をつけ、ライブ時間を意図的に短くした。


「うぉぉぉ……きついなぁ」

「でも、この前までと比べたら、私たち成長してない?」

「気絶しないだけマシか」


 みんな大ダメージを受けているけれど、かろうじて耐えている。

 さて、これだけの損害を被ってまで手に入れたものとは何か。


「しおり」


「詩織様、お名前を呼んであげましょう」


「ぱぱ?」


「あぁ……かあいい娘よ」


 親子の交流や、静かな食事・睡眠などに使われる。

 数十年怨嗟之声に苦しめられている彼にとって、この静寂は値千金のようだ。

 終わりの見えない拷問は絶望となれど、一瞬でも救いがあると知れば抗う力も生まれる。

 マウスを使った拷問実験でも、救いがあるケースは長生きしたらしい。

 心なしか、満様の顔から死の気配が遠のいた気がする。


「良かった……本当に……」

「こんな光景を見られる日が来るなんて」

「ありがとう。聖君のおかげだよ」

 

 みんな喜んでいるが、一部の者は涙を流すほど感謝してきた。

 彼らの喜びようは、詩織ちゃんの時のそれを上回っている。

 その理由を八千代先生が教えてくれた。


「あの人達は、満様に直接助けていただいたから」


 然もありなん。

 休憩時間中、観客の皆さんと雑談することはあるが、満様の治療を始めてからはその機会が増えた。

 彼らにとって俺は恩人というか、身内認定されたというか、そこそこ私的なことまで教えてくれる。


「満様が妖怪を吹き飛ばしてくれたから、妻が助かった」

「子供が踏み潰されそうになったところを救ってくれたの」

「俺が学生だった頃、妖怪に出くわしてなぁ。恵雲様と満様がいなければ、俺は今ここにいない」


 東部家で働く皆さんは、大なり小なり救われたことがあるそうだ。

 その縁が祖父母の代から続いている人もいる。

 逆に最近助けられた人もいた。


「たまたま帰省していた時に、妖怪が出たんだ。もしも詩織ちゃんが来てくれなかったら、私も両親も、みんな死んでいた。命の恩人なんだよ」


 凄腕の料理人さんが料亭を辞めてまで東部家へ来たのは、そんな理由だったらしい。いつも美味しい料理をありがとうございます。


 東部家の分家の人達が塩砂家に感謝しているのは言わずもがな。

 皆で協力して東部家を、ひいては塩砂家を支えている。


「満様と詩織ちゃんを助けてくれて、本当に、ありがとう」


「どういたしまして」


 仕事の成果で他人の人生を左右するなんて、凄まじいな。

 前世ではそんな仕事、一度だってできなかった。

 普通の人は皆、表に見えない社会の歯車になるのが精々だろう。


「……だからこそ、か」


 アタッカーゲスト参加については、恵雲様に話を通してある。

 俺も東部家や塩砂家のようになるには、ここで頑張るべきだ。


 ——俺の夢を叶えるためにも。




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