第40話 真守君



 幼稚園生活は順調である。


 あれからもちょいちょい真守君と会話を重ね、順調に仲良くなっていったある日。

 算数の授業を受けていると、園庭側のガラス戸を横切る影が見えた。


「先生、トイレ行ってきていいですか」


「はい、いいですよ。1人で大丈夫ですか?」


「はい、大丈夫です。ちょっと時間がかかると思いますが、心配しないでください」


 こういう時、信頼がモノを言う。

 授業も真面目に聞いているふりをしながら第しち精錬を探り、出された課題もすぐ終わらせて、周りの困っている子達を手助けしてあげている。

 幼児たちの中で唯一、大人とまともに会話できる俺は、手のかからない子として先生から絶大な信頼を得ている。


 だから、嘘をついて授業を抜け出すことも出来る。

 こんな狡猾な幼稚園児嫌すぎる。先生ごめんなさい。


 俺は教室を出て影の向かった方へ歩みを進める。

 すると、後ろから大きな声が響いた。


「真守君! どこに行ったの~」


 これはすみれ組の担任の声。職員室へ救援を出しに行くみたいだ。

 問題児がいると大変ですね。情報提供ありがとうございます。

 ちらりと見えた影、恐らくそうだろうと思っていたが、おかげで確信が持てた。


 俺は他の先生に見つからないよう、幼稚園内を探索することにした。

 幼稚園の敷地からたった1人を見つけだすかくれんぼだ。どうやって探すか。

 教室にはいないとして、隠れられる場所といえば遊具の中かな。


「いないか」


 次はどこを探そうかとあたりを見渡し、目に付いたのが避難用滑り台だった。


「真守君、ここで何してるの?」


「……」


 すぐに見つかった。

 災害時に2階から降りるための避難用滑り台、その下はロープが張られ、進入禁止となっている。

 ちょうど日陰となり人目に付かないこの場所で、真守君は1人砂弄りをしていた。

 いや、よく見れば砂の上に何かを描いている。


「なんだろう、ライオン?」


「いるか!」


 わざと見当違いな予想をあげてみれば、狙い通り否定してくれた。

 とりあえず口を開いてもらわなければ会話も成り立たない。


「そっか、イルカかぁ……。……授業つまらないよね」


「……うん」


 真守君からすれば俺も授業脱走仲間に見えたのだろう。

 唐突な話題変換にもついて来てくれた。

 いつも黙々とブロックを積み上げる彼がどこか鬱々としているのは、それがいけないことだと分かっているからに違いない。


「真守君は勉強苦手?」


「……うん………つまんない」


「絵を描いたりブロックで遊ぶのは好き?」


「好き」


 ノータイムで返事が返ってきた。

 ここ1ヵ月で彼の性格が分かってきた俺からすると、真守君は天才肌の芸術家気質なんだと思う。

 自分の興味があることには没頭するけど、それ以外には熱意が湧かない。そんなタイプ。

 前世の知り合いにそういう人物がいた。なんとなく真守君は彼と似た空気を纏っている。

 そんな彼からすると、授業はさぞつまらないのだろう。何度も逃げ出すくらいに。


「絵、上手だね」


「……」


「ブロックも、何を作っているのか分かるくらい上手いよね」


「………」


「好きなことを全力でするなら、その姿勢を貫くといいよ。中途半端はダメだ。壁にぶつかっても乗り越えられるくらいの情熱を燃やし続けなければならない。周りから邪魔をされても気にせず、死に物狂いで突き進むべきだ。じゃないと、俺みたいに後悔しながら死ぬことになる」


「……?」


 そうだよね、いきなりこんなこと言われても意味が分からないよね。

 でも、俺から送れるアドバイスはこれくらいしかないなぁ。


「せっかく自分の好きなことを見つけられたなら、先生が何と言おうと創作を続けていいと思うよ」


 先生には迷惑をかけるし、親も心配するだろうし、将来学歴で困るかもしれない。

 でも、せっかく好きなものを見つけられたのに我慢するなんてもったいない。

 せっかくの人生だ、好きなことをして生きろ。


 とはいえ、真守君が罪悪感を感じており、好きな絵に集中できないのでは本末転倒だ。

 思った以上に常識人な彼には正道へ戻るアイデアを授けたい。

 何かないか……。


 思案を巡らせながら真守君の隣で地面に絵を描く。陣に似た絵を描いて復習を兼ねるとしよう。

 俺は天才じゃないので名案が思い付かない。こういう時パッと解決してあげられたら格好いいんだけど、俺には無理そうだ。


 何か、何かないかな。

 そろそろ授業時間が終わってしまう。

 アイデアが転がっていないか視線を巡らせると、少し離れた場所で俺達の様子を観察する園長先生の姿が見えた。

 俺達を注意するでもなく、教室へ連れ戻そうとするでもなく、ただただ見守ってくれている。

 真守君を呼ぶ先生方の声が聞こえなくなったと思ったら、そういうわけだったのか。

 俺に謎の信頼を寄せているのか、はたまた事なかれ主義なだけなのか、どちらにせよこの対応は俺にとって都合が良かった。


 どこか心に余裕のできた俺は、ふと、隣で指弄りをしている真守君に目が留まった。なんてことはない、爪に砂が入ったのだろう。


 指……あぁ、あれなら役に立つんじゃないかな。


「真守君、印の結び方って知ってる?」


「いんってなに?」


 某有名な忍者漫画で広まった“印を結ぶ”動作。

 あれには陰陽術的効果と、身体的効果の2つがある。

 陰陽術では霊力を特定の流れに変え、天橋陣の封印を解除したりできる。

 そして、もう1つの身体的効果。こちらは一般人でも意味がある。

 印を結ぶことで脳波や副交感神経の働きが変わり、集中力を上げるのだ。


「こうやって、こう、そして次にこうする」


「………こう?」


 陰陽術指導が進み、クソ親父から本格的な印を教わった。

 俺が知っているのは安全かつ陰陽術的にはほとんど意味の無い印だけだが、今回はこれで十分だろう。


「そうそう、上手上手。授業に飽きたらこれをやってごらん。落ち着くかもしれないよ。それでもダメなら教室から逃げ出すんじゃなくて、教室の中で創作するといい」


「………」


 ちょっとだけ仲良くなった相手の言葉だし、信じてやってみてくれるといいなぁ。

 とりあえず教室から逃げ出すのは危険だからやめてもらおう。


 子供たちが教室を駆ける足音が聞こえる。

 授業が終わったのだろう。

 俺は先生にどう言い訳しようかなと悩みながら教室へ戻ることにした。

 真守君が上手く幼稚園へ馴染めればヨシ。ついでに俺への友好度が上がればなおヨシ。

 避難用滑り台の影でしゃがみ込む彼に幸あれ。


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