第148話 儀式の後のラーメン屋
術具店に行った翌日の日曜日。
購入した道具で早速実験開始……という矢先のこと。
「あっ、歯が抜けた」
残り少ない乳歯の1本が、何気ない衝撃によってその役割を終えた。
そして、その1本でちょうど4個目となる。
「行くか」
「えっ、もうお昼だよ。今から行ったら夕方にならない?」
道具は親父が昨日購入したばかり。
準備は万全だが、時間的にアウトだ。奥歯のほうはあまり揺れないので、抜ける時期が分からず、完全に油断していた。
しかし、親父は行く気満々な様子。
「次の休みは2週間後だ。明日からの任務は重要な役割を与えられている。休むことはできない」
なるほど、乳歯の鮮度を落とすくらいならハードスケジュールを選ぶと。
そのもったいない精神、嫌いじゃない。
サクッと倒して、サクッと帰ってくるとしよう。
さっそく俺たちは召喚用の道具を準備し、峡部家の訓練場へ向かう。
公共交通機関とタクシーを利用して、最後は徒歩で到着。
太陽は大きく傾いており、じきに日が沈んでしまうだろう。
闇夜の中で戦闘するのはさすがに躊躇われる。時間を無駄にしないため、てきぱき準備を進めていく。
「本当に大蛇を喚ばないのか」
「うん、時間がないし、経費削減しないと」
それに、あいつはひ弱で弱虫だから。
戦闘なんて任せられない。
空飛ぶタクシーがお似合いだ。
そして、今回も当たり前のように俺が召喚をさせてもらうことになった。
テンジクを含め、今のところ当たりしかひいてないしね。
よし、最後に乳歯へ重霊素を込めてっと。
「準備完了。召喚するね」
「ああ」
3回目ともなれば、ある程度慣れてくる。
……500万円のことを考えなければ。
父親とはいえ、他人が稼いだお金で大ハズレを引いたりしたら居た堪れない。
次から消耗品だけでも俺の金で揃えようかな。
「峡部家が嫡男、峡部 聖が願い奉る。天地を繋ぐ大いなる霊力に託し、心魂を宿す叡智の術を以って、異界より式神を召喚せん――」
どんな式神を願おう?
やっぱり、前衛を務められる奴がいい。鬼とか来てくれないかな。
いや、今日は
「我、霊力を糧に異界と縁を結ばんとする者。我が呼び掛けに応え力を貸し給え!」
とりあえず、ネズミ以外でお願いします!
召喚陣を中心に白い煙が辺り一面を覆いつくす。
夕焼けに染まる訓練場に霧が立ち込める光景は、どこか神秘的ですらある。
上の方から少しずつ晴れていくと、今回は早々に式神の姿が見えた。
「おぉ!」
「聖! 油断するな!」
そうだね、油断していい相手じゃない。
なぜなら、親父が散々苦戦させられた相手――鬼が目の前にいるのだから。
まさか大当たりを引くとは。もしかしたら、なんでもいいという心が物欲センサーを回避したのかもしれない。
「ウゥ――!」
召喚陣の中で鬼が威嚇している。
身長2mくらいの半裸な細マッチョだ。
あれに殴られたら、子供なんて一撃で殺されるだろう。
妖怪とも戦ってきた俺だが、生物的本能が恐怖を訴えてくる。
恐怖を訴えてくるのは間違いないんだが……。
親父の鬼と比べると、目の前の鬼は弱そうに見える。
親父の鬼はゴリマッチョで、射抜くような眼光をもち、生物を威圧するオーラをはなっていた。
それに対してこの鬼は細身だし、顔立ちもどこか抜けている。
とはいえ、そこらの妖怪より強大な力を持っていることに違いはない。
「喚び声に応えし異界の者よ。我と契約を結べ。その対価は力。汝が求めるさらなる力を授けん――」
「ガァァァァァアアア!」
交渉決裂。
体が震えるような雄叫びで拒否されてしまった。
やはり、鬼を見た目で判断することはできないな。気を引き締めよう。
強拳の乱打によって召喚陣が破壊され、戦闘のゴングが鳴った。
俺の初手は――これだ。
「テンジク、喰え」
式神召喚前に戦闘準備は整えてある。
予めモルモット型の式神――テンジクを召喚陣の傍に待機させておいたのだ。
俺の命令を受け、テンジクは目の前の足に噛みついている。食いちぎるわけでもなく、甘噛みでもするかのように何度も口を動かす。
鬼も痛痒すら感じていないのだろう、足元にいるテンジクへ視線すら向けない。もしかしたら、存在すら気づいていないのかも。
(そこまで強力ではないのか)
俺は結界の中でテンジクの能力を観察する。
強姦魔を取り押さえた際、テンジクの特殊な能力が発覚した。
拙いやり取りで確認したところ、テンジクは相手の体力に相当する何かを食べられるようである。
曖昧なのは仕方がない。
体力だとか内気だとかは、全て人間が名付けたものなので、式神界の定義とすり合わせることはできなかったのだ。
(鬼ほど屈強な相手には通用しないなら、次は人間以上、鬼未満の相手を見繕うとしよう)
どの程度の相手に効果があるのか、色々試す必要がある。
式神達の能力を使いこなすことこそ、峡部家本来の戦い方なのだから。
(睨み合いは終わりだな)
俺の様子を窺っていた鬼が、ついに動き始める。
「テンジク、逃げろ」
ここからは俺のターン。
初手に選ぶは捻転殺之札。
戦闘開始前に霊力を満タンまで注いでおいたこれで、まずは小手調べといこう。
札を飛ばす刹那、俺は鬼の動きに違和感を覚えた。
(なんか、元気なさそう?)
地を割るような力強い歩みをイメージしていたのだが、迫り来る鬼の足取りはなんとも頼りない。
召喚陣を殴り壊したときの勢いはどこへ行った。
心なしか、先ほどよりも覇気を感じられないような……。
もしかして、テンジクに体力吸われた影響か?
実際、鬼が捻転殺之札をはたき落とそうとするも、見事に空振りする始末。
あっさり臍に張り付いた札を、俺は無慈悲に起動した。
「ガァァァァァア!」
空間の捻れに巻き込まれ、全身から血を垂れ流している。
かなり効いているが、四肢は無事なままだ。
鬼の瞳からも戦意は消えていない。
やはり、霊力だけでは仕留められないか。
次行ってみよう。
するり ピタッ
足を止めた鬼はいい的である。
今度は霊素を満タンまで注いだ。先ほどの手応えからすると……。
「ガッ……ァァァ……」
硬いはずの皮膚はあっさり破け、強靭な筋肉は豆腐のように弾け飛ぶ。
しまいには喉を捻じ切られ、断末魔が響く暇も与えなかった。
御剣家で何度も見たように、鬼が塵となって消えていく。
戦闘終了っと。
「お父さん、契約にうつるね」
「……あぁ」
戦闘時に気を張っていたのか、脱力した親父の声が背後から聞こえてきた。
召喚用の陣が契約用の陣に変わっているのを確認した俺は、さっそく契約を行う。
「我が名は峡部 聖。汝の力を欲さんと召喚せし者也。喚び声に応えし異界の者よ。我と契約を結べ。その対価は力。汝が求めるさらなる力を授けん――」
峡部家の利益を考えるなら、式神の報酬は少なくした方がいい。
ブラック企業の社長をイメージして、強気で当たれ!
さて、契約内容を決めようか。
君には期待しているからね。1召喚当たりこれくらい出そう。
少ない?
馬鹿を言うんじゃない。うちにいる鬼はお前より遥かに強いのに、これくらいの霊力で働いてくれるんだぞ。戦闘能力も大したことのないお前が、同じだけの報酬を貰おうなど片腹痛いわ。
というわけで減額な。
俺はそういう風に吹っ掛けてくる奴大嫌いなんだ。
はい、これで決定。
しっかり働いてくれたら昇給も検討するから、頑張り給え。
……ふぅ、契約完了。
やっぱり圧勝しておくと渋い報酬でも認めざるを得なくなるようだ。
「お父さん、終わったよ」
「よくやった」
親父が珍しく頭を撫でてくる。
まぁ、鬼は大当たりの部類だからなぁ。
そりゃあ褒めたくもなるか。
やはり、精錬霊素を使った方が当たりが出やすい。これは画期的な実験結果ではないだろうか。
あっ、あとこれも嬉しい誤算だった。
「テンジクの吸収能力、思っていたより強いね。優秀なデバッファーとして活用できそう」
「鬼を退治した感想がそれか……。いや、この程度、お前にとっては試練にもならないか」
「退治? 試練? ……あっ」
もしかしてあれか?
俺、峡部家の成人の儀を終えちゃった?
よく知っている式神だから淡々と処理しちゃったけど、鬼を退治したんだから、そういうことだよな。
普通、特殊能力の試金石にしたり、自分の火力を確かめる相手に鬼を使わないよな。
「お父さんが倒した鬼より弱かったけど、いいの?」
「成人の儀は、鬼を倒せる程度の力量を示すことが目的だ。鬼は最低でも人外の膂力を誇る。あれも本来は十分強い式神だった。……目的を考えれば、大蛇を倒した時点でその資格はあったか」
なんか締まらないなぁ。
もうちょっと感動的なライフイベントにしてほしかった。
「む、じきに日が沈む」
「帰ろっか」
何はともあれ、召喚の儀は終えたのだ。
さっさと帰ってお母様の夕食をいただくとしよう。
鬼退治前にたくさん移動したのでお腹が減ってきたところだ。
山林を抜けて道路に出た俺は辺りを見渡す。
しかし、暗い道路には車の影も形もない。
「行きのタクシー、待っててくれなかったね」
「いつもの運転手ではなかったな。失敗した」
大蛇タクシーを喚んで時短すれば、ギリギリ夕飯に間に合うだろうか。
いや、待てよ。
つい最近浪費を心配されたばかりじゃないか。道具も霊力もタダじゃない。
それに、努力義務とはいえ、大蛇は人前に出さないように言われている。
ここは大人しく歩いて山を下りよう。
途中でタクシーが来たら捕まえればいい。
「疲れていないか」
「瞬殺したし、疲れようがないよ」
もう既に太陽は隠れてしまっている。
しばらく歩いたが、運悪くタクシーが見当たらない。
あと少しあと少しと歩みを進めていると、いつの間にか街の近くまでたどり着いてしまった。
普段から訓練している親父と、身体強化で歩きが苦にならない俺は、いっそのこと歩いて駅まで向かうことにした。
すると、暗い夜道を照らす小さな看板が目に入る。
まだ山道の途中にもかかわらず、店が建っているようだ。
『ラーメン さとう』
何という偶然か、ちょうど店の方から柔らかな風が吹く。
豊かな醤油の香りと、柔らかな小麦の香りが温かい蒸気と共に流れてきた。
空腹を抱えた男の鼻腔に、この匂いは反則だろ。
「……食べていくか」
「うん」
俺達の心は1つだった。
店内にはこれといって特筆すべきものがない。
ただ、店内に流れる歌声は低音が響いて耳に心地よく、店主のセンスが光る。
券売機で醬油ラーメンを2つ購入し、狭い店内のカウンター席に並んで座った。
「へいお待ち」
「「いただきます」」
そういえば昔、前世の親父ともこんなことがあった。
何かの帰り道、ふらりと立ち寄ったラーメン屋。
母親に内緒で食べたラーメンの味は、いまだに忘れられない。
ズルズルズル
ズズズ
ズゾゾ
ハフッハフッ
親父と2人で黙々とラーメンを食す。
4月の夜はまだ冷える。
そこへ出来立てのラーメンが滑り込み、体の中から温めてくれた。
戦闘の熱が冷めた体には、この温かさが身に染みるのだ。
正直、感動するほどおいしいわけではない。
お店のラーメンとして値段に見合った美味しさだ。別の場所で食べようと思えば食べられるような味。
しかし、この日、この時、この場所で、2人で食べた思い出は、深く心に刻まれた。
「また、来るか」
「うん」
なんとなく、心が躍る夕食だった。
完食して人心地ついたところで、親父がスマホを取り出した。
「あぁ、終わった。……怪我はない。……もう食べた」
スマホからお母様の声が響く。
怒鳴っているわけではないのに、やけに響いてくるその声は、鬼の咆哮よりも恐ろしい。
『なぜ連絡してくれなかったのですか? 2人の分のお夕飯作ってしまいましたよ』
「すまない」
「お母さん、ごめんなさぁ〜い」
やっぱり報連相大事だわ。
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