第149話 声帯


 鬼を退治した翌日、親父は重要任務へと向かった。

 これで誰に気兼ねすることなく実験を行える。


 俺は学校から帰宅してすぐ、親父のいない仕事部屋で準備を開始した。

 実験といっても、科学者が行うような精密で再現性を重視するようなものではない。

 どちらかというとモノ作りとか工作という方が合っている。

 俺は術具店で購入した品を手に取った。


「ふふっ」


 ラベルに梳鞣髭そじゅうしと書かれた怪しい包みを解く。

 この瞬間はとてもワクワクする。これはいったいどんな不思議能力を持っているのかな。

 添付の取扱説明書に禁忌が記載されていた。


 以下を禁ずる

 ・海上輸送

 ・食材目的の使用


 これを喰うやつがいるのか? ただの板だぞ。

 ……実際いたからここに書いているんだろうな。

 海上輸送はなんでだろう。海に由来するものなのかな。

 想像が広がっていいね。


 素材の性質を確かめるため、俺はさっそく梳鞣髭そじゅうしを手に取る。

 硬い。

 これを加工するにはしっかりとした工具が必要そうだ。

 サイズの割には軽量。

 プラスチックの板のようにも見える。


「うーん、とりあえずこのままで」


 触手を接触させ、霊力を流す。


 ブーーン


「おおっ!」


 仕事部屋に重低音が響き渡った。

 さすが術具店の店主、俺の希望通りの品を紹介してくれたようだ。

 次は霊力の流入速度を変えてみる。


 ブーン ヴィーン フィーン


 さらに続けて流量を変えてみる。


 ブッ ヴィッン シュイーン


「いける」


 俺は実験早々手ごたえを感じた。

 これだけレパートリーのある音を出せるのなら、アルファベットによる42音も再現できそうだ。

 次は幽霊と会話するときの感覚を再現してみよう。


 ブァーヒューキュキュキューブブブブ


 まるでエラーを起こした機械音……うん、これは時間がかかりそうだ。

 もしも俺が絶対音感を持っていたら、この音をうまく調整できるのだろうか。

 とりあえず、幽霊に協力してもらって実験するしかないな。


「幽霊……いや、名前わかんないし、仕方ないけど。呼びづらいな」


 何か仮の呼び名でも考えておこう。

 それから俺はスマホの音程チェックアプリをインストールし、音程を確かめてみたり、触手以外でも同じことができないか試してみた。



 ~~~



 日本で古くから伝わる有名な仮名に“名無しの権兵衛”というものがある。

 そのアメリカ版が“John Doe”であり、一般的なジョンという名前に、“架空の姓”の意味を持つDoe を組み合わせたものであった。


「というわけで、ジョン・ドウがいいと思うんだけど、どうかな?」


 俺は階段下に座り込み、幽霊もといジョンへ提案する。

 言ってからオヤジギャグみたいになっていることに気づく。恥ずかしくなってきた。


『Well, even if you ask me... I can't remember my own name. But yeah, 'John Doe' suits me in this situation. You can call me whatever you like.』

(どうって言われても……。俺は自分の名前が思い出せないからなぁ。確かに、今の俺にはジョン・スミスがお似合いか。ヒーズィーリが呼びたいように呼べばいい)


「よし、それじゃあジョン・ドウと呼ぼう。これからよろしく、ジョン」


『I'm counting on you. I'm praying to God that it'll be a short acquaintance.』

(よろしく頼む。短い付き合いになることを神に祈ってるぜ)


 うーん、陽子ちゃんの生活環境が改善されることは喜ばしいけれど、ジョンにすぐいなくなられると困る。

 せっかく投資した研究費が無駄になってしまう。


「やっぱり時間がないな。俺としてはもっとジョンの見えている世界が知りたい。ということで、これを作ってきた」


『Hey, what's this?』

(なんだ、これは)


「これは梳鞣髭そじゅうしっていう板状の素材を薄く切り出したもので、声帯の形状を参考に試作を重ねた結果、円形2枚を重ねたものが一番人間の声を再現しやすいことが分かったんだ。声帯は空気によって振動するけど、梳鞣髭そじゅうしは霊力を注ぐことによって自ら振動するから、動くことを前提とした声帯そのままの形状では上手くいかなくて――」


『You're getting way too into this. Calm down. I have no idea what you're talking about.』

(熱くなりすぎだ。ちょっと落ち着け。何を言っているのかさっぱりわからない)


 難航すると思われていた実験だが、予想以上に簡単に結果が出せた。

 その興奮がつい爆発してしまったようだ。

 唯一この興奮を共有できる親父が任務中なので、まだ誰にもこの成果を話せていない。


「要するに、ジョンの新しい声帯を持ってきたってことだよ。実際に使って最終調整したいんだ。日本語はいい感じにできるんだけど、英語だと違うかもしれない。協力してくれる?」


『Vocal cords... That's a fascinating idea. Hahaha! Sure, I'm in. I'll help!』

(声帯……面白いこと考えるな。ハハハ! いいぜ、協力してやる!)


 こうして、俺達は幽霊の声帯完成に向けて動き出した。

 ここまで話を運ぶのにもかなり時間がかかっている。もどかしいことこの上ない。

 早く結果を出したいところ。

 まずは術具製声帯を触手の先端に付けて、いつも通り頭に触手を突っ込んでみる。


『Oh…… Ah…… Wow……』


「その声やめてくれる?」


 なぜか艶めかしい声が触手越しに伝わってくる。

 さっきまで触手を突っ込んでいたときはなんともなかったのに。声帯は異物感があるのかな。

 なんにせよ、野郎のこんな声いつまでも聞いていたくない。


「よっと。これでどうかな。いつも通り喋ってみて」


 霊体のジョンに現世の物質である声帯は固定できないので、いつも通り触手は繋いだままだ。

 ただし、これまで触手経由で聞こえてきた声ならぬ声が、声帯によって空気振動に変換され、俺の耳まで届いてきた。


「My naaame is... "#%&'&%$... Wow, I caaan #%%& heeear my voiiiiiice.」


 おお! いい感じに声になっている。

 これなら音声入力も……くっ、まだ粗いか。

 もう少し調整がいるな。


 ……

 …………

 ………………


「My name is John Doe. I'm participating in an experiment to gain my voice back.」


 翻訳結果は(私の名前はジョン・ドウ。自分の声を取り戻すための実験に参加しています。)となっている。

 

「さっきの言葉はこれで合ってる?」


「Oh. That's right. Amazing, I've really regained my voice.」

(ああ。その通りだ。すごいな、本当に声を取り戻しちまった)


 翻訳結果は(ああ。その通りだ。驚いたことに、僕は本当に声を取り戻したんだ。)となっているが、ジョンの口調を考慮した意訳だとこうなる。

 ここへ至るまでに僅か1週間。

 予想をはるかに超える早さで実験は成功した。

 これからは音声入力を利用してスムーズに会話できるだろう。


『話せるようになったのは便利だが、毎回触手を突っ込まれるのは勘弁だ。どうにかできないのか?』


「俺も男の喘ぎ声なんて聞きたくないよ。そうだね、なんかいい方法ないかな」


『俺は喘いでなんかないぞ! ちょっとくすぐったいだけで……』


 ジョンの言い訳を無視して、俺は改善案を考える。

 そうだなぁ、声帯をジョンの頭の一点に固定できれば目的は達成できると思う。

 でも、現状固定できるのは触手だけ。

 この触手も俺から切り離すと霧散してしまう。

 そもそも切り離すとか考えたくもない。痛いから。


「術具店で何か霊体に干渉できる物を紹介してもらって……あっ、霊力注いだ札なら」


 いや、霊力が抜けたら剝がれるか。

 それに札は霊体にぶつかって進めないから、結局声帯を触手で吊るす必要がある。

 ぐっ、触手の保存方法を見つけたうえで、切り離さないとだめだな……。


『俺のためにそこまで真剣に考えてくれるのか。あの子のことも助けようとしていたし、You're a good guy.』


 うっ、その誉め言葉は……。

 先生プロに問題を委託して以来、何も動けていない俺の心にクリティカルヒットした。

 昼休みとか放課後に教室をのぞいたり、陽子ちゃんに話しかけてみたけど、決定的ないじめのシーンに出くわすことはなかった。

 いじめっ子を懲らしめて、はい解決、なんて簡単な話ではない。

 クラスに蔓延る悪意の空気を排除しなければ、何度でも繰り返すだろう。今度は陽子ちゃん以外がターゲットとなって。

 俺が余計なことをしていじめが悪化したら嫌だし……難しいなぁ。

 でも、何かできないだろうか。

 何か……。

 俺に……。

 できること……。


 そんなの1つしかない。


 いじめについて先生プロに任せたのなら、俺は俺で陰陽師プロとして、できることをしようじゃないか。


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