第138話 お祓い業務完遂



「この辺りにいるはず……」


 さすがは空路。

 帰宅ラッシュに巻き込まれることなく、あっという間に目的地へたどり着いた。

 しかし、最も霊力の濃い場所に美月さんがいない。

 焦る気持ちを何とか抑え、空から辺りを捜索する。


「陰気は感じない。妖怪の姿も見えない。脅威度3以下の可能性が高い。場合によっては、既に祓われた可能性がある」


「陰陽師が出動してるってこと?」


「いや、お前の御守りによって脅威度4の妖怪が祓われている」


 そして明かされる、祖母の病室での出来事。

 えっ、ここで話すの?

 そういえば、真守君の絵に憑りついた妖怪を退治したときも、親父は御守りを疑っていたっけ。


「これからは渡す相手を厳選しなさい。お前が思っているよりも、これの価値は高い。よって、依頼人が殺されている可能性は低いだろう。そう焦るな」


 いや、焦るって。

 超特急で来たけれど、その間に美月さんの身に何が起こるか分からない。

 自分の目で目撃していないから、本当に御守りで妖怪を退治できるのかも疑わしい。

 それに……。


「美月さんの場合、襲ってくる相手が妖怪だけとは限らないよ」


 辺り一帯を飛んでいると、ある路地裏に目が留まった。

 もしかしたら、御守りから漏れ出る霊力が俺を呼んだのかもしれない。


「いた!」


「どこだ」


 大蛇に指示を出し、トップスピードで降り立つ。

 最悪なことに、俺の予感は的中していた。

 美月さんが今まさに人間の男に襲われている。


「お父さんは少し離れたところで降りて。僕が助ける」


「しかし」


「ここは子供に任せて」


 言ってから何か違う気がした。

 強姦魔相手に子供を向かわせる大人がいるだろうか、いや、いない。

 だが、この場においてのみ、その選択は正しい。

 空飛ぶタクシーに減速の指示を出し、俺は大蛇の頭から飛び降りた。


 美月さんに馬乗りしている男の襟をつかみ、全力で引き摺り下ろす。


「ぐえっ」


「お兄さん、女性には優しくしないとダメだよ」


「な、なんだ。今の、お前がやったのか?」


 男は地面に打ち付けた背中を庇いながら起き上がり、俺の姿を見て目を丸くしていた。

 無理もない、子供が大人を引きずり倒したのだから。


「どうして、ここが……」


 そして、俺が背に庇っている美月さんもまた、同じような表情を浮かべていた。

 少しでも美月さんを安心させるように、俺は努めて優しい笑顔で答える。


「美月さんが助けを呼んだら、僕が必ず助けに来るって、約束したじゃないですか」


 あっ、やべ、親父と話すときの癖で“お姉さん”付け忘れた。

 俺も異常事態に直面して落ち着きを失っていたようだ。


 助けを求めるように伸ばされた美月さんの手を掴み、優しく抱き起こす。


「大丈夫ですか、お姉さん」


 男性に乱暴され、さぞ心が傷ついたことだろう。

 美月さんの傍には気を失っているヨンキの姿もあった。


「ヨンキ……美月さんを守ったんだね。偉いぞ。すぐに病院に連れて行ってあげるから、もう少しの辛抱だ」


 美月さんもヨンキも、後は俺に任せて、目を瞑っていてほしい。

 この悪夢はすぐに終わらせるから。


「おい、てめぇ、ガキ、無視すんじゃねぇ。おい!」


「お兄さん、悪いことは言いません。早く警察に自首して、うちでお祓いを受けましょう。きっと、今のお兄さんはちょっと悪いものが溜まってるだけだから、元に戻れば――」


「ガキのくせに俺に説教だと? バカにすんじゃねぇ!」


 あぁ、負の感情に呑まれてしまっている。

 よく見たら最初に美月さんを襲ったストーカーの男じゃないか。

 なぜここにいるんだ?

 虚ろな目の原因は病か、薬か、妖怪か?


 色々考えていると、男が不意に殴りかかってきた。

 子供相手に躊躇なく殴りかかってくるあたり、救いようがないな。

 犯罪の専門家に任せるとしよう。


「ひ、聖君、逃げて!」


 美月さんが声を上げる。

 心配いらないよ、と声に出す前に拳が顔面に突き刺さった。


「あれ? パンチ当たんなかったのか? おっかしーなぁー」


 痛くない。

 身体強化した俺の肉体は、成人男性のパンチごときに負けたりしない。

 ……分かってても、正直ちょっと怖かった。

 避けることもできたが、念の為の口実を手に入れる方を優先した。


「いたーい。子供を殴るなんて酷いよ。……それじゃあ、正当防衛ってことで」


 俺はスマホ越しに通話記録が残ることを意識してそう言った。

 小さな拳を握りしめ、そのまま一歩踏み出せば、ストーカーが一歩後ずさる。

 正気を失った男でも、さすがに俺の異常さに気が付いたようだ。


「くっ、くるな! のぁっ」


 ストーカーが逃げ出そうとして転んだ。

 触手で足首を掴んでいるので、はなから逃走など不可能である。


「しばらく大人しくしてよ……ね!」


「ぐぅっ」


 うつ伏せに倒れた男の背に乗り、手首も追加で拘束する。

 美月さんの手前、男の頭は自分の手で押さえつけた。

 脂ぎったボサボサの髪が気持ち悪い。


 男が大人しくなったところで、美月さんが俺を心配して声を上げる。


「だっ、大丈夫!? 殴られたところ、怪我してない?」


「大丈夫だよ」


 と言っても、それだけでは安心できないか。


「美月お姉さん忘れてない? 僕は陰陽師なんだよ。普通の人が知らない力を使えるんだ」


 美月さんは俺の説明で納得してくれた。

 納得せざるを得なかったとも言える。


「離せ! 離せぇぇ!」


 拘束している男が全力で暴れる。

 パワーでは負けてないけど、体重が軽すぎて押し返されてしまいそうだ。

 御剣家で純恋ちゃんに教えてもらった重心を抑えているのだが、大人と子供の体格差は如何ともし難い。

 美月さんの前で暴力は振るいたくないし、どうしたものやら。


 触手をさらに伸ばすか思案していると、足元で自己主張する者がいた。


 ん?

 どうしたテンジク。

 えっ、手助けできるって?

 お前の体格でそれは無理があるだろう。

 まぁ、仮に警察が来るまで男を抑えられるなら、当然報酬は出すけど。


 式神との繋がりを通してそんなやりとりをしていると、テンジクは男の薬指に噛み付いた。

 いや、よく見ると皮膚スレスレの位置で何かを喰むような動きをしている。


「放せっ! このっ!」


 男は依然逃げ出そうとしている。

 テンジクは男の左手が動くたびに追いかけ、喰む動作を続ける。

 やがて移動するのが面倒になったのか、俺が抑えている頭の方へとやってきた。

 頸動脈が通っていそうな首元に腰を据え、何かを咀嚼する。


「はな……せ……はな……」


 気がつくと、男の抵抗が弱まってきた。

 まるで眠りに落ちるように意識が朦朧としているのが、声から伝わってくる。

 そして、終いには本当に眠ってしまった。


「えっ、お前、そんな特殊能力持ってたの?」


「キュイー」


 男が眠りについたことから、体力とか内気とか、そういうものを食べる能力でもあると予想される。

 まさかとは思うが、寿命を奪ってたりしないだろうな。


 テンジクに尋ねてみるも、上手く伝わらなかった。

 俺と式神の繋がりによる伝達性能はジェスチャーゲームレベルだ。

 大まかなニュアンスは伝わるし、YES NOは結構はっきり分かる。

 しかし、細かいニュアンスの違いまでは表現できない。

 体力と内気と寿命を区別するには、俺の表現力は足りなかった。

 全て元気一杯のポーズになってしまう。


 いろいろ問い質したいところだが、今は優先すべきことがある。


「美月お姉さん、もう大丈夫だよ。大人しくなったから」


「うん……」


 美月さん大丈夫か?

 どこか上の空に見える。

 いや、トラウマを抉るような事件に見舞われたのだ、現実逃避しようとするのも理解できる。

 今はまだ、冷静さを取り戻さないほうがいい。

 現実と向き合うのはもう少し落ち着いてからでも、ばちは当たらないだろう。


 ほどなくして警察がやって来た。

 男は逮捕され、事件は一先ずの終息を迎える。


 俺の予想に反して、美月さんの回復は早かった。

 藤原家の訪問日を延期することなく、翌月にはいつも通りお祓いを行った。

 そして春。

 ついにこの日がやって来た。


「うん、美月お姉さん。もう大丈夫だよ。おめでとう」


「ありがとう」


 陰陽均衡測定器では4を示している。

 親父の言う通り、普段は陽に傾いているようだ。

 丸1年かかったお祓いも今日をもって終了である。

 俺としても感慨深いが、一番頑張ったのは美月さんだろう。


 そんな彼女は、とても綺麗な笑顔で感謝の言葉を紡ぐ。


「聖君のおかげよ。本当にありがとう。……本当に、ありがとう」


 こうして俺は、初めてのお祓い業務を完遂した。




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