第184話 負の感情
恵雲様と夕食を共にした翌日。
俺たち4人は山奥へ向かっていた。
その目的は当然、詩織ちゃんの副作用解明である。
俺はこう提案した。
「怨嗟之声を外に出せば副作用が劇的に緩和することがわかりました。つまり、声を誰にも聞かれることなく発散できるのなら、問題は解決したも同然です」
当然最初に試すべき実験。
これを行うには、人のいない山奥へ移動する必要があった。
峡部家同様、東部家も人目のつかない訓練場を持っているという。
俺たちはそこを目指していた。
「山奥に別荘を建てて暮らせば、毎朝怨嗟之声を出せますね」
お世話係さんが明るい未来を夢想している。
それは俺も常駐するということになるので、残念ながら無理だ。
週末くらいなら通ってもいいけど。
そんな打合せを行い、こうして山奥の開けた場所へやってきたのだ。
車から移動式の簡易ベッドを取り出し、お世話係さんが手際よくセッティングする。
これまで何度も使ってきたのだろう。
これから使用頻度が下がると良いのだが……。
「詩織様、こちらへ。はい、横になってください」
山の中で横たわる詩織ちゃんは、さながら眠り姫のようである。
さっさと毒を排除してあげなければ。
懐から取り出したるは、今朝加工したばかりの声帯である。
「首元に置くね。触らないで。両手はお腹。そうそう、動かないでね」
ジェスチャーを交えて伝えるのにも慣れてきた。
詩織ちゃんの準備ができたことを確認し、俺たちも素早く配置につく。
『聖君、ごめんなさいね。私たちだけ安全なところへ逃げてしまって』
「いえ、人のいない状況を作りたかったので。……それでは、始めます。電話も切りますね」
八千代先生が電話の向こうで申し訳なさそうに言う。
運転手さん含めて3人には山を降りてもらった。
目的を考えたら当然の配置である。
「始めるよ。詩織ちゃん」
お世話係さんと離れて心細いのか、首だけ動かして辺りを探している。
それでも、俺の指示を守って動かないところがいじらしい。
手早く終わらせよう。
俺は触手をちぎり、声帯と詩織ちゃんの首を繋いだ。
———!!!
あの日を再現するように、怨嗟之声が轟く。
空気が震え、木々が騒めき、地面まで揺れている。
高級な耳栓を付けているというのに、易々と突破してくるから堪ったもんじゃない。
(おぉ、声帯がどんどん黒くなっていく。見るからに体に悪そうだ。こんなの、精神をやられるに決まっている)
昨日聞いた、塩砂家歴代当主の末路を思い出す。
詩織ちゃんの体に溜まっている悪意がどれだけ恐ろしいものか、改めて実感できた。
(ようやく終わりか)
最初の大きな波が過ぎ去れば、あとは次第に収まっていく。
これが声帯の劣化によるものか、怨嗟之声が満足したからなのかは不明だ。
「詩織ちゃん、大丈夫? 聞こえてる?」
「……?」
詩織ちゃんはお馴染みの驚き顔でこちらを見るも、言葉に反応したようには見えない。
聞こえてなさそうだ。
腐った声帯を回収していると、電話が鳴った。
『いかがでしたか?』
「残念ながら」
こちらの状況を伝えている間に、車の音が聞こえてきた。
先生とお世話係さんが下草を蹴散らしながら駆け寄ってくる。
2人も詩織ちゃんの聴覚を確認したが、やはり声は聞こえていないようだ。
今回の実験から推測できることは1つ。
「たぶん、人が多いところでないと意味がないのでしょう」
「それは、恨み辛みを人に聞いてほしいと、怨嗟之声が望んでいるということでしょうか?」
そういう見方もできるか。
俺は周囲の人間に負の感情を生み出すことで、怨嗟之声が満足するのかと予想していた。
妖怪の本質は負の感情、ひいては陰気を増やすことを目的としているのだから。
しかし、怨嗟術の副作用たる怨嗟之声は、妖怪そのものではない。
だとすると、お世話係さんの予想が正しいのかもしれない。
怨嗟之声は、塩砂家の子孫にずっと訴え続けているのだから。
とはいえ、全ては仮定に過ぎない。
もっと色々な条件で試さないとダメだろう。
「一旦、帰りましょうか」
「そうですね。詩織様、移動しますよ」
とりあえず、今日はここまでだな。作ったばかりの声帯はさっき腐らせてしまったし。
声帯の材料は購入できたのだが、加工に時間がかかる。
帰ったらまた作らないと。
本日の成果:人がいないと効果がないことを確認した。
〜〜〜
翌日、今度は大勢で同所を訪れていた。
集めたるメンバーは東部家で働く皆様。
教師に医師に料理人に、専属使用人からパートのおばちゃんまで、本家の人間を除いて全員勢揃いしている。
踏み台の上に立ったお世話係さんが、メガホン片手に号令をかける。
「皆様お集まりいただきありがとうございます。本日は、詩織様の副作用解明のため、皆様にご協力いただきたく存じます」
人が少ないと効果がないなら、多くすればいいじゃない。
そんな考えのもと、すぐに動員できる人間をかき集めてきた。
「それでは、峡部様よろしくお願いいたします」
「いきます」
今日は声帯を3つ用意してきた。
人が多い場合を3パターン確認するつもりである。
まずは、これだ。
ギィィィィィィーーーーーーー!
声ではなく、ノイズとして放出してみた。
触手から伝わる振動が声帯を通して初めて声になるのであって、声帯を調整すればただの雑音としても出力できる。
意味のある言葉だからこそ、聞いた者が辛くなる。ならば、意味のない音にしてみたらどうだろうか。
「酷い音だ」
「詩織ちゃんはこんな辛い思いを」
「耳鳴りがする」
声帯が腐り落ち、詩織ちゃんの単独ライブ一曲目が幕を閉じる。
観客達は口々に感想を漏らしているが、この前不意打ちで喰らった時よりも負担は軽そうだ。
「皆様、お静かに」
お世話係さんの号令でざわつきが止まる。
そして、八千代先生が詩織ちゃんの聴覚を確認する。
「いおえう?」
「真似しようとしているけど、聞こえていないわ」
ダメだったか。
でも、効果がなかったとは思えない。
それを確かめるには……。
「副作用が緩和されたかどうか、確認してみます」
「お願いします」
お世話係さんの了承を得て、俺は詩織ちゃんの手を握る。
流れてくる負の感情が弱くなっていれば、詩織ちゃんの負荷も相応に下がっていると予想される。
それじゃあ、どれくらい副作用が緩和されたか確認してみよう。
『聞こえる?』
「きこえる?」
———!
一昨日と比べたら、怨嗟之声が10dBくらい下がったような気が。
結果を伝えると、東部家の皆さんは辛そうな顔を一変させた。
「本当か!」
「あぁ、良かった」
「詩織ちゃん、いつもより楽になったのかな」
皆して耳を痛めているというのに、詩織ちゃんの安寧を心から喜んでいる。
素晴らしい献身だ。いっそ怖くなるほどに。
「こちらに椅子を用意いたしました。峡部様もお休みください」
緩和しているとはいえ、精神的ダメージを負ったことに違いはない。
夏の日差しを避け、木陰で回復に努める。
しばしピクニックのような空気を楽しみ、2回目の実験へ。
「もう大丈夫です。次にいきましょう」
「承知いたしました。皆様、整列してください」
お次は通常接触&全体放送バージョン。
緩和すれども、いまだに詩織ちゃんの耳は怨嗟之声で埋め尽くされている。
彼女の聴覚を解放するには、やはり負の感情を引き受ける必要がありそうだ。
怨嗟之声全体放送はすでに実績のある方法だが、繰り返し行っても効果があるのか、確認すべきだろう。
組み合わせることで効果が跳ね上がることを期待する。
それでは、いざ!
———!
おぉ、だいぶ楽になった。
俺一人に流れ込んできた怨嗟之声が外部に拡散され、負の感情はそのままダイレクトアタックかましてくる。
怨嗟之声の分だけ楽になった感じ。
声帯が腐り落ち、詩織ちゃんの単独ライブ2曲目が幕を閉じる。
「詩織ちゃん、聞こえる?」
「詩織ちゃん!」
「天照大御神様お願いいたします!」
「怨嗟之声に負けるな!」
皆口々に詩織ちゃんへエールを送る。
耳が痛いだろうに、よくやるよ。
「お静かに!」
お世話係さんの一喝によって静寂が戻る。
八千代先生の方に一同が視線を向けると、彼女の表情がみるみる変わっていくではないか。
「聞こえてるわ! 詩織、これが、聞こえる」
「きこえる」
再びどよめきそうになった大人達は、お世話係さんによって止められた。
今は大切な指導の時間である。
「ご飯、食べたい、食べる」
「ごはん、たべたい、たべる」
八千代先生は写真やジェスチャーを使い、どのようにこの言葉を使うか教えていく。
まずは、自分の状態や欲求を伝えられるよう、教えていく方針だ。
「よかった……」
お世話係さんがポツリと呟く。
俺も話には聞いていたけれど、詩織ちゃんの耳が聞こえるようになっているところを直接見られて嬉しい限りだ。
10分ほど経った頃、八千代先生がこちらへ向き直った。
「元に戻ってしまったみたい」
「この前より長くなりましたね。やっぱり相乗効果があるのかな……」
「詩織様、お菓子はいかがですか?」
「たべたい、たべる」
早速覚えた単語を使ってらっしゃる。
全体放送の効果はすごいな。
ただ、一部頭痛に苦しんでいる者がいるのはネックか。
すぐに回復するのか、後遺症が出ないか……要経過観察といったところである。
再び休憩した後、いよいよ3回目の実験に挑戦する。
最後は最も効果の高そうなこれ。
その名も——負の感情チャレンジ!
声帯で怨嗟之声を外に出し、同時に触手で負の感情を引き受ける。ここまではさっきと同じ。
ここからさらに俺だけでなく他の人にも協力してもらい、負の感情を分散する。
聴覚奪還時間が伸びるか、俺たちの負担が減って繰り返し怨嗟之声を発散できるようになれば有難い。
これまで俺は自分一人で怨嗟之声を受け止め、自分一人で耐える方法を模索してきた。
そこへ現れた人海戦術による緩和療法。
大勢に触手を繋げば、もっと効果が得られるかもしれない。
負の感情を肩代わりすることで、詩織ちゃんの負担が減るはずだ。
そんなコンセプトで考えたのが静電気チャレンジならぬ負の感情チャレンジである。
この実験を行うにあたって、東部家の分家に属する青年陰陽師3人が名乗りをあげた。
いざ、実食!
———!
いつも通り怨嗟之声が鳴り響き、同時に負の感情が流し込まれる。
詩織ちゃんの単独ライブ3曲目もあと少しで閉幕。
目を瞑って襲いくる攻撃にしばし耐えていると、すぐそばで人の倒れる音がした。
「
「おいおい、吐くほど酷かったのか?! って、意識がない。窒息に気をつけろ!」
「気を失っている……。先生診てあげてください!」
大惨事である。
まさかここまで酷いことになるとは思いもしなかった。
いや、数日前に俺も同じ道を辿っていたっけ。
繰り返せば多少慣れるよ。……辛いけど。
「脈拍低下。あなたは救急車を呼んでください! あなたは車に積んであるAEDを持ってきてください」
あれ? なんか、俺の時よりも症状が酷くないか?
「心臓が止まった? このままではまずい。胸骨圧迫します。あなた達は他の二人を!」
えっ、ちょっ、えっ!
そこまで?!
この後は大変なことになった。
救急車で運ばれた3人は何とか助かったものの、回復するまで1ヶ月入院することに。
後遺症がなかったことは不幸中の幸いである。
当然実験は中止となり、一同ざわつきながら帰宅することとなった。
本日の成果:状態を伝える言葉を覚えた。
~~~
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電子書籍版は少々お待ちください。
肆巻のヒロインも表紙に写っているので、興味のある方は是非覗いてみてください。
(ちょっとした配慮により、書籍版は美月→深月に名前が変更されています。)
続刊は執筆継続の燃料となるため、何卒、応援のほどよろしくお願いいたしますm(__)m
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