第45話 峡部家前日譚
週末の日曜日。
俺は陰陽師教育の前のお手伝いをしていた。
懇親会前に一度仕事を手伝ったことで、俺の霊力がバカ高いことを親父は知った。
それに味を占めたこの男は、陰陽師教育の前に霊力を使う仕事を俺にやらせるようになった。
子供に疲れる仕事丸投げとか、家長としてのプライドは無いのか。
とはいえ、不満はない。俺からすれば消費する霊力は微々たるものだし、この後の教育を万全の状態でやってもらえた方がいいので。
養ってもらっているのだから、これくらいの親孝行はさせてもらおう。
式神への報酬を払い終え、今は墨壺に霊力を込めている最中だ。
机の上に並ぶ小さな墨壺に指を入れ、霊力を込めるのだが……俯きながらの作業ゆえ、さっきから髪が垂れてきて
「お父さん、髪が邪魔なんだけど、切ったらダメだよね」
「ダメだ」
即答だった。
知ってた。
髪は陰陽師にとって切り札になりえる万能アイテムだ。
陰陽術を強化することも出来るし、式神への報酬に使うことも出来る。
そんな万能アイテムは、切った瞬間に賞味期限が発生してしまう。
消費期限は無いのだが、効力や価値は著しく下がっていく。
だから、陰陽師は基本的に散髪をする習慣がない。
俺も生まれてから今まで一度も髪を切っておらず、肩まで伸びた長髪を首の後ろでまとめているのだ。
男がするには珍しい髪形なので、幼稚園の初登園で「女みたい」と馬鹿にされた。SNSで炎上しそうな発言をした男の子には鬼ごっこで反省してもらったので今ではいいお友達だ。
「……。………。……。邪魔」
前世では3ヵ月に一度1000円カットのあるお店に行って、「全体的に短くしてください。後ろと両サイドは6ミリで刈り上げてください」という実益重視の非モテヘアーが俺の定番だった。
ようするに、ずっと髪が短い生活を送っていたので、こうして前髪が邪魔になると気になって仕方ないのだ。
垂れてきた一房の髪を耳に掛ける仕草とか、男がやっても誰得だよ。
こういう仕草は美女がやるから様になるのであって、俺にとってはただただ鬱陶しいばかり。
ヘアゴムでまとめなおしたいのだが、今は指が墨で濡れているため、それも出来ない。
あと墨壺2つだから我慢するしかないか。
「お父さんは髪短いよね。何に使ったの」
そう、親父は俺に髪を切るのはダメだと即答しておきながら、自分はスッキリしているのだ。
つまり、何かの陰陽術で使用したということ。
しかも、現在進行形で頻繁に使用しているということだ。
今までも結構気になっていて、俺は聞く機会をうかがっていた。
「……。聖と優也の誕生の儀に使った」
「そうなんだ」
確かに、我が子の誕生の儀という一大イベントは、大切な髪を使うのに相応しい状況だ。だが、そんなの3年以上前の話だろう。
3年もあれば髪はかなり伸びる。
誤魔化すということは、何か子供に言いたくないようなことに使っているのか?
ちょっと気になるけど、陰陽師にとって「髪は長い方が格好良い」という文化もあるみたいだし、あまり追及しないでおこう。
「じゃあ、初めて使ったのはいつ?」
「初めてか……」
長く伸ばし続けた髪は霊力が浸透し、価値が上がる。
子供の頃はみな髪を使うような場面がないので、大抵の場合、大人になって最初に使う髪にこそもっとも価値がある。
俺もいつか使う時が来るだろう。その参考にしたい。
「最初に使ったのは、この街に現れた脅威度4の妖怪と戦った時だ」
あれ、なんか空気が重い。
聞いちゃいけない話を聞いたときのような……。
俯きがちに話し始めた親父によって、部屋の雰囲気が一気に変わった。
「脅威度4って、周辺の家が協力して戦う相手だよね」
「そうだ。敵の強さによっては国家陰陽師部隊が出動する」
国家陰陽師部隊。
それは大規模儀式に特化した陰陽師集団のこと。
とんでもなく強い妖怪が出た際、個人の力ではどうしようもない相手を集団の力で倒すために創設されたという。
主に陰陽師家の次男三男の就職先となっているらしい。おんみょーじチャンネルで言ってた。
ゆえに、各家の当主には個の力を求められる。
脅威度4の妖怪は個の力を持つ精鋭複数名で囲わねば勝てない相手ということだ。
かなりの強敵だろう。
「そのとき周辺にいたのは我が家と殿部家、それから
「そんなにいるんだ」
俺は殿部家にしか行ったことがないから知らなかった。この辺りにも結構陰陽師がいるんだな。
「いや、今は存在しない。我が家と殿部家だけだ」
ん? ということは、3家がその妖怪に滅ぼされたということか?
どれだけ強かったんだ。
「最初に到着したのは我が家と殿部家。各当主とその妻、そして次期当主であった私と籾で、穢れをまき散らす妖怪と応戦した」
籾さんも参加していたのか。
そして、俺が生まれる前に亡くなった前峡部家当主、父方の祖父母もその頃は生きていたようだ。
「その妖怪は後から脅威度4と認定されたが、戦っていた私の感覚からすれば5弱に匹敵した。殿部家が結界を築き、峡部家が式神を召喚する。定石となっていたこのやり方も、奴には通用しなかった」
やたら仲がいいとは思っていたけれど、昔は一緒に戦っていたのか。
でも、今は一緒に働いていないみたいだし……この戦いで何かがあったんだろう。
いつも口数の少ない親父が長々と語りだした時点でそれは分かりきっていた。
「結界をことごとく破壊され、式神も有効打に欠けていた。到着の遅い3家が得意な相手と判明した時点で、我々は遅滞戦闘へと移行した。いつまで経っても来ない3家を待って、な」
何か陰謀を感じる。
「なんで来なかったの?」
「お前はまだ知らなくていい。その時、前当主たちは持てる力の限りを尽くし、妖怪をなんとか抑えた。私と籾の攻撃は牽制程度で、ほとんど見ていることしかできなかったがな。あと少しで国家陰陽師部隊が到着すると連絡が来たとき、父が……倒れた」
お祖父ちゃん、妖怪に殺されたのか。
親父は言葉を濁したけれど、一度死んだことのある俺にはそんな気遣い要らない。
妖怪と戦うと知った時点で覚悟はしていた。
「前衛を崩され、均衡が保てなくなった時、私は髪を切った。父亡き後に契約の切れた式神へ代価として渡し、その場を何とか乗り切ったのだ。それから間もなく国家陰陽師部隊が到着し、封印された」
「退治じゃなくて封印?」
「それくらい強かったのだ。だから私は、あの妖怪が5弱であったと確信している」
なるほど、そんな強力な敵と戦うため、親父は初めて髪を切ったのか。
なんか思ってたより壮大な過去話になっちゃったけど。
てっきり俺は「新しい式神
話が終わったと思っていた俺は、その続きを聞いて驚愕した。
「その後すぐ、母と殿部家の前当主が倒れた」
「え?」
「戦闘中に近づきすぎたことと、怪我から穢れの侵入を許してしまったのが原因だと、医者は言っていた。あまりにも強力な呪いで、解呪すらも間に合わなかった」
えー、勝ったのに、死ぬって、なんて理不尽な。
確かに、妖怪にはそういうタイプがいるとは聞いていたけども。
「妖怪の呪いを完全に癒すことは出来ない。籾の母親も呪いを受けており、ひと月持たずに倒れた。殿部家はなんとか継承を終えたが、峡部家は式神の継承が途絶えてしまった」
それって、もしかして我が家がボロいことと何か関係あります?
おんみょーじチャンネルで一度“式神の継承”って言葉を聞いたことがある気もするが、どういう意味だろうか。
「ゆえに、聖には迷惑をかける。峡部家の召喚陣を一部しか継承することができない」
「いつ継承してくれるの?」
「私が引退する時だ。それまでは私が使っていない式神で練習することになる」
そうか、まだ先か。
報酬の霊力は自力で賄えるし、早くやってみたかったのにな。
それにしても、なかなか考える余地のある話だった。
我が家の現状も少し分かったし、陰陽師の世界の厳しさも分かった。先人たちの築いた歴史として参考にするとしよう。
おもむろに立ち上がった親父が俺の傍に歩み寄り、頭に手を乗せる。
「戦いを生業とする陰陽師はいつ死ぬか分からない。私はお前に全て伝えるまで死ぬつもりはないが……いざという時は、麗華と優也を頼むぞ」
親父……それフラグ……。
「優也は僕が守ってあげる。でも、お母さんを守るのはお父さんの役目でしょ。お母さんが言ってたよ。お父さんが助けてくれて、お母さんが惚れたから結婚したって」
「………話したのか」
恥ずかしがってら。
でも、そうか……親父も死ぬ覚悟で働いてるんだな……。
その点、前世の俺とは違う。ずっと平和な世界で生きてきたから。
いったいどんな気持ちで出勤しているのやら。
俺の幸せな日常を守るためには、家族全員が揃っていなければならない。
お母様の馴れ初め話でもそうだったが、ピンチに駆けつける方法、見つけないとなぁ。
霊素で何とかなったりしないものか。
親父の過去話を聞いている間に墨への霊力注入は終わっていた。
この後は陣の勉強だ。簡易結界や破魔、解呪などなど、用途に応じて覚えなければならない陣がいくつもある。
「今宵は満月だ。勉強は早めに切り上げて、
「じゃあ夜に、月光浴の陣の書き方も教えて」
「……いいだろう」
その顔は「よく飽きずに勉強できるな」と驚いている顔だな。
当たり前だ、こんな面白い勉強ならいくらでも続けられる。プロの陰陽師を目指す者なら当然だろう。
だから、親父が伝えることなんてすぐに尽きるぞ。
変なフラグ立てて早死にだけはするなよ。
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