第182話 イタコの治療


 とあるイタコの八戸市の自宅。

 そこには、家主である老婆と、二体の霊がいた。

 一体はイタコの連れ、もう一体は意識のないネグロイドの霊である。


「どれ、始めるとするかね」


 老婆は重い腰を上げて、一人呟いた。

 老いで体が動かないわけではない。一人で野山を歩けるほど健康な彼女は、キリキリ準備を進めていく。

 ただ、気が進まないだけだった。


 それもそのはず。

 長士ちょうし 典子のりこはイタコ衰退の原因となった歴史的大罪人の曾孫弟子なのだから。


「ったく、長老からの指示じゃなかったら断れたものを。何だってこんなことに」


 彼女が師匠に弟子入りして最初に聞かされたのは、降霊術の恐ろしさだった。

 曰く、身を滅ぼしたイタコは、強力な妖怪を倒すための力を欲していた。彼女は言葉を話せる野良幽霊と出会い、協力関係を結んだ。互いに良い関係を築けていると思った矢先——幽霊が裏切った。

 イタコは体を奪われ、幽霊は束の間の自由を得る。そして、何らかのキッカケによって荒御魂となった。

 肉体を持つ荒御魂。

 それは霊体特化の攻撃を肉体で防ぎ、物理的な攻撃を穢れで朽ち果てさせる恐ろしい敵だった。

 身内の問題を内々に解決しようとしたイタコ互助会は、すぐに動ける者を集めて討伐に向かう。

 そして、相討ちとなった。

 当時所属していたイタコの半数が惨殺され、勢力は一気に衰退することになる。


 元凶となったイタコの弟子はたまたま遠方に出張中であり、彼女が駆け付けた時には戦いが終わっていた。

 惨劇を見た弟子は師匠の罪を償うために組織へ献身を続ける。やがて己に弟子ができると、必ず荒御魂事件について語ったという。


『決して、見知らぬ霊を使役してはならぬ。その身に受け入れてはならぬ。言葉を用いて我らを惑わす。奴らがいつ我らを謀るかわかったものではない。心せよ』


 その言葉は代々受け継がれ、長士の心にも刻まれている。


「山奥であの母子に出くわした時点で、逃れられない運命だったのかね」


 なぜそんな因縁のある彼女にこの仕事が回ってきたのかといえば、ひとえに青森で一番降霊術に長けているからだ。

 事件以降、組織再建のために力を貸してくれた東部家からの依頼となれば、失敗することは許されない。

 薄れつつある因縁よりも、実力を優先した結果の人選である。

 長士としても、私情より仕事を優先せざるを得ない。


「これでよし。ほら、アンタはここに寝てな」


 降霊術の中には、霊に接触できる技がある。

 老婆は部屋の奥で寝かせていたジョンを持ち上げ、描いた陣の真ん中に移動させる。

 いまだに意識のないジョンは無抵抗で運ばれた。


 これで準備は整った。

 はぁ、と溜息をこぼした後、長士は気を取り直して儀式に取り掛かる。


「現世と常世の狭間にありし者、我が呼びかけに応えよ。現世の肉体と常世の魂が刹那の交差を——」


 イラタカ数珠がジャジャラと音を立てる。

 お香の独特な匂いが部屋いっぱいに満ち、蝋燭の灯火が強く燃え上がった。

 今唱えている詠唱はイタコごとに異なる。

 それぞれの師匠から口伝で伝承されているからだ。


 ジョンを回復するために行うこの儀式は、降霊術の中でも重要なもの。

 霊を己が身に降ろし、一心同体となる儀式である。

 弱った霊を肉体に収め、霊力を糧に魂の摩耗を回復するのだ。


「二つの魂魄重なりて、今一つにならん——憑依!」


 詠唱の終わりと共に、効果が発動した。

 陣の上で寝ていたジョンがフワリと浮かび上がり、長士の身体と重なる。

 ジョンの霊体は2m近い。にも関わらず、小柄な老婆の中へ収まってしまった。


「ふぅ……。なるほど、こりゃあ酷い怪我だ。さっさと成仏した方が楽だろうに」


 長士は己の身体に取り込んだことで、ジョンの状態を正確に把握することができた。

 外観からすでにわかっていたことだが、ジョンの霊体はボロボロであり、人間だったら介錯を頼みたくなるほどの苦痛に苛まれている。

 憑依させている術者には、その痛みが僅かに共有されるのだ。


『……!』


「はいはい、わかったよ。まだ成仏する気がないんだね。せいぜい、気張るこった」


 そして、宿した霊の意志も読み取れる。

 聖から話を聞いていた通り、ジョンからはまだ戦いたいという意志が感じられた。

 ならば、応えないわけにはいかない。


「ぬぅぅん」


 長士は己の霊力をジョンの傷口へ押し当てるように動かした。

 これをしばらく維持することで、損傷した霊体が回復するのだ。


「言っとくけど、アタシはそれほど霊力が多くないからね。痛みがなくなるまで相当時間がかかるよ」


 降霊術に関しては優秀な彼女だが、霊力量自体は平均スレスレである。

 霊体の修復には霊力が大量に必要となるため、1ヶ月間付きっきりで治療に当たる。

 しばらくは今回の依頼料を使って引きこもり生活となる……はずだった。


「うん? なんだい、こりゃ?」


 いつもならそろそろ枯渇するはずの霊力が、ちっとも減らない。

 むしろ増えているような気さえする。


「何が起こって……。あん? 石?」


 体の異常を探そうと手を這わしたところ、お腹に何かが付いている。

 臍ピアスを付けた覚えはない。

 服を捲り上げると、臍に何か石のようなものがあるではないか。

 

「黒い……勾玉?」


 歳を重ねた老婆は大抵のことでは驚かない。

 しかし、さすがの彼女もこの異常事態には動揺を隠せなかった。


「これは一体なんなんだい? このままだとマズいんじゃ? どう考えてもあの幽霊が原因だろう。やっぱりこんな仕事引き受けるんじゃなかった!」


 独り言が激しくなった彼女のそばに、幽霊が寄り添う。

 その霊もまた年老いた女性の霊で、常に長士のそばにいる。なぜなら、その霊こそ長士の師匠であり、共に戦うパートナーでもあるから。

 言葉こそ話せないものの、心配そうな表情で寄り添う師匠に、長士も落ち着きを取り戻した。


「そうだね。慌てるには早すぎたね。どうにもこういうところは昔から変わらない。やなもんだ」


 一度深呼吸した長士は、改めて己の体の変化に意識を向ける。


「どれ……。この辺りから霊力が湧き上がるような……。取れそうもないね。よく見たら悪いもんじゃなさそうだが」


 爪で剥がそうとしたり、突いてみたり、いろいろ試してみたものの、何も変化はない。

 ただこんこんと霊力が湧き上がるのみ。

 これが何のデメリットもないのであれば良いのだが、代償もなしに霊力が得られるはずもなし。

 使うたびに寿命を霊力へ変えていたり、陽気が陰気に傾いていたりする可能性は高い。


「解除……なるほど」


 憑依していたジョンと分離した瞬間、黒い勾玉も離れていった。

 やはり、この外国人の霊が鍵となっているようだ。


「どうしたもんかね」


 若い頃の長士なら、リスクなど考えず、無限の霊力を我が物顔で使っていただろう。

 しかし、そんな無鉄砲な行動を取るには歳をとりすぎていた。


「体の不調はなし。むしろ体が軽いくらいだ。霊力が満ち満ちているからかね。陰陽の均衡は……平衡のまま。短時間なら大した影響はない、か」


 時間をかけていろいろ調べてみたが、悪影響はなさそうである。

 悪影響どころか、調子が良い。

 老化による不調が少し改善されている。


「……」


 長士のジョンを見る目が変わった。

 師匠は相変わらず心配そうな表情を浮かべている。


「分かってるよ。少し様子を見た方がいいね。遅効性の呪いって可能性もある」


 老いからの解放という甘い蜜を前に、長士は一旦静観の構えをとった。



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